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文献名1幼ながたり
文献名2思い出の記よみ(新仮名遣い)
文献名34 直日のことよみ(新仮名遣い)
著者出口澄子
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ 目次メモ
OBC B124900c32
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本文の文字数5482
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本文  教祖さまが弥仙山におこもり中、このたびは木の花咲耶姫の御霊の宿られる女の子が産まれると言伝がありまして、産まれたのが“直日”でした。仰せの通り、まことに変わり者ができたのであります。
 直日をみごもったのは出雲参りの頃でした。この旅は往復二十日ほどの長旅で、当時汽車はないので手甲脚絆の菅笠草鞋ばき、教祖さま、先生(聖師)ともども同勢二十八人ほどの一行でありました。
 この大宇宙界には経の厳の御霊の御系統と、緯の瑞の御霊の御系統の二大系統があるのでありますが、出雲参りの帰り道に、弥仙山ごもりへとつながる厳の御霊の教祖さまと、瑞の御霊の先生の霊的なたたかいが初まったのであります。と言いましても、四六時中喧嘩をされるというのではありません。神懸りの時だけであります。先生のことを「このかたは三千世界にかけがえのない方であるから、大事にしてくれ」と神さまは教祖さまに申されておられたのですが、それが教祖さまはてんしょうこうたいじんぐう様、先生はすさのおのみこと様の帰神となりまして、ここにお二人の激しい荒れようとなられたのであります。
 それで平常のときは、教祖さまは
「これではかないません」と神様にお願いされるのですが、
「なおよ、三千年の因縁ごとであるからもうしばらく辛棒をしてくだされよ」と説き諭すように、また頼むように申されるのが常でありました。
 先生の場合は、まだ大本へ来られて間のないこととて、先生を押しのけ後釜にすわろうとする野心家や、ズバリと見通しのきく先生をけぶたがる鼻高や、先生の御用のわからない者など種々さまざまで、先生を虐待し仕事の邪魔をして大変な苦難を与えたものであります。
 厳と瑞との霊的の激しいたたかいにともなって、このころは大本としては大変難しい時代でありました。家に居たたまれない先生は、暇さえあれば教会の門をくぐってキリスト教の研究をしておられました。すると教会の牧師さんは、教祖さまと先生の、たたかいをよそながら見て知っておりますから、
「別におすみさんがあんたの一生をかけるほどの美人でもなし、おなおさんにもこれというほどの財産もないのだから、何も好きこのんで、親子喧嘩や役員の悪さの中にいないで私の所へ来たらどうですか。私のあとをついでもらいますが」
と誘いかけられたそうであります。
 先生が一を知って十を悟るという図抜けて頭が良いのを見込んで、自分の後釜にしようと思われたのでありましょう。ところが先生はキリスト教の奥義をつかんでしまうと、このころから大本も忙がしくなって来たこととて、あまり教会へは行かれなくなりました。
 私は私で、教祖さま、先生、役員たちの板ばさみで、まことに言うに言われぬ苦労をなめたのであります。
 そうこうしているうちに、明治三十四年九月、「瑞の御霊の変性女子が敵対う」と大変怒られ、弥仙山という山にこもられました。これが天の岩戸がくれと言われるお仕組であります。
 弥仙山は開けてから千四百年の間女人禁制の神山で、あらたかな竜神様の御住所とされていました。それで教祖さまは村人には秘密で知人が神主であったのを幸い、お篭りになったのであります。そして彦火火出見命様のお宮に篭って大望な御用をされたのであります。
 丁度そのころ私は五カ月の身重でした。教祖さまのところへ位田のおすみさん達が御用聞きに時たま行きまして、開祖さまから、
「この世がすっかり暗闇になって水晶の種がなくなってしまったから、このままでおいたら此の世は泥海になるより外はない。今度水晶の種を地の高天原に授ける。それは木花咲耶姫命の御霊である。大本は代々女のお世継、末代女のお世継とする。男を世継にしておくと目的を立てる者が現われて仕組の邪魔をするから、七柱の大神が代るがわる女と生まれて世を持つのである」
とおおせられ、
「このたびの帯の祝いは機嫌よく清らかに祝うてくれるよう。女の子が生まれる。それも、変わりものが出来る」
とのことでありました。
 私はこれを聞いて、神様のお言葉は結構とは思いながらも、全部素直には聞けませんでした。一度は必ず反対したものですが、今度のことも半信半疑でおりますと、明治三十五年旧一月二十八日、予言どおり女の子が生まれました。その子が直日であります。

 直日が生まれまして初めて弥仙山にお詣りしたのは、四魂揃うたそのお礼詣りであります。日の出の神様は直日であります。すでに四魂は揃うたのでありますから、取違いのないように願いたいのであります。
 四本の松が三本になったのは「清吉の肉体はないのである」とのお知らせで、三代直日が清吉の現われであります。それで四魂の揃うた御礼であると言うて、教祖さま、先生、私が直日を抱いて四人がお礼詣りをしたのであります。この日が、「弥仙山が開けてから千四百四十余年、直日が生まれてから四百四十日目や」、こう言って先生は大変おどろいておられました。

 私は直日の種痘についてはなかなか苦労したものでした。
 教祖さまは「この子には決して疱瘡を植えられぬ」と言われます。
「そういうわけにはゆきません。私が植えまいと思うても役場が植えさせますがな」と反対するのですが、
「水晶の御種を貫かんならんで、まぜこぜには出来ぬ」と申されるのであります。
 ところが役場や警察からは喧しく言うて来、板ばさみの私も仕方がなく、どうかして疱瘡を植えさせようと思案しました。私はよく子供を抱いて出歩く性でしたが、疱瘡を植えにゆこうとすると、竜体が私や家の周囲を取りまいて、どうしても出ることが出来ないのであります。こういうことを繰り返しては年を積んでゆきました。
 私が植えに行こうと思うていますと、教祖さまがヒョッコリと出て来られ、
「おすみや、お前はこの子に疱瘡を植えようと思うて居ってじゃ。神様は、この子に疱瘡を植えたら世界がいったん泥海になると仰せられている。もしそんなことになれば、私は申しわけのために自害をする」と、きつく言われるのが常でありました。
 こんな調子でありますから、役場から罰金をとられたり、警察へ呼び出されて叱られたこともたびたびありました。ある時など、「お婆さんがどうしても聞かねばお前の家へ大砲を向けるぞ」と警察で脅かされたりしました。帰って教祖さまに申し上げますと、「兵隊なと大砲なと向けるがよい。私のことで言うているのではない、世界のためにいうておるのじゃ。そんなことに恐れるような神ではない」と答えられるのであります。
 かれこれ七、八年も暮れたでしょうか。学校で役場と相談して疱瘡を植えることになりました時も、いざ植えようとしますと、もう直日の姿は霧のように消えてそこらに居なくなるのであります。
 教祖さまはいつも直日を抱いて寝ておられまして「疱瘡を植えるでないぞ」と寝ても覚めても言い聞かせておられます。そのためどうしても植えさせませんので、私は腹が痛いから吉川医師に見てもらうと詐して直日を連れて行き、役場の村上さん立会の上、植えることにしまして「お前が植えなんだらお祖母さんも、お父さんもお母さんも皆縛られて牢へ入れられるんですよ」こういうて植えるよう言いふくめました。
 そして直日が部屋へ這入ったら直ぐに戸を閉めて貰うことにしたのであります。医者が直日に「疱瘡……」とひとこというが早いか、「だました!」と叫ぶとともに、大変な勢いでどうして戸を開けたか眼にも止まらず、飛び出してしまったのであります。
 私はあわてました。教祖さまに告げられては一大事と跣足で追いかけます。直日は「だました!おばあちゃんにいうてやる」とわめいて走ります。私は「植えせんで教祖さまにはいうてくれな」と一生懸命かけりました。しかし、とうとう取り遁がしてしまいました。
 教祖さまが怒られると金色に輝く玉のような眼をカッと開いて、それはそれは恐ろしいお顔であります。直日に遁げられて「もうキット教祖さまに告げているに違いない。教祖さまは大変なご立腹であろう」と、私は恐るおそる教祖さまのお部屋の襖をあけてのぞき「よいお天気ですなあ」とそれとはなしに様子を伺って見ますと「よいお天気やな」と大変に機嫌がおよろしい。
 私はこの時ほどヤレヤレと思ったことはありません。今までは植えようと思うていると、先方で感ずいて叱られたのに、今日に限ってまことによい御機嫌であります。なにげないふりして「直日さんはえ?」と尋ねますと、「居らんで、何処へか遊びに行ったんやろう」と答えられました。見ると廊下の隅にむつかしいふくれ顔をした直日がいます。私が小声であやまると「おばあちゃんにいわんけど誑した」とプリプリ怒って居ましたが、ついにそのまま教祖さまには解らずに済みました。
 しかしこれで事が片付いたのではありません。
 役場からはしょっちゅう喧ましくいうて来ます。直日は植えさせません。途方に暮れた揚句、五斤の砂糖を買いまして──そのお金に心配したことは今の十万円のお金を出すよりも当時は苦しみました──吉川さんへ行き「どうぞ植えた事にして貰いたい」とお願いしたのでありますが、それも聞いてもらえず、そこで、「それではお宅へ行って教祖さんに得心の行くように話をしてあげます」と出て来られたのであります。
 教祖さまは穏かに神様のお言葉を伝えて、どうしても植えられぬ旨を述べられたのであります。吉川さんもキリスト教の信者ですから、その信仰の強いのに感心し、「実は疱瘡というものは外国の牛のたねを持って来て植えるものですから、汚れるとおっしゃるのももっともです。それでは機械も凡て清めて、形ばかりの種痘をいたしますから」。そこで教祖さまの血をもって直日の足に真似だけの種痘を施されたのであります。
 教祖さまは直日の傷口を塩で念を入れ念を入れて清められたのは申すまでもないことであります。今では跡かたも残ってないそうです。
 直日の幼い時はまことに物言わずで何時もふくれた子でありましたが、一度だけ人を笑わしたことがあります。私が寺小(下駄屋)へ連れて行きましたら、其処にある高下駄の先掛けを見て冠と間違え「オッチャン、ウチのお父ちゃん、神ちゃんの前で、それ頭へのせて、神ちゃん拝んでやで」と申したものですから、一同大笑いで「直日さんがものを言うた」と不思議がったほどでありました。
 直日が小学校に上がるころの大本はまことに貧窮な時代で、私は内職の麦稈帽子のウズを作ったりして居りました。それでも親心で、また何んといっても初めての子の入学でしたから、着物を新調して初登校を飾ろうとしましたところが、「こんな赤いベベはいや」と言ってどうしても着ようとしません。男の子のような娘とは知りながらも、折角のこととて私はえろう怒ったことがありました。
 学校は嫌いらしく、ただ国語と歴史の時間だけ眼の色が光ったということであります。
 六年を卒業しましたので女学校に入れようとしますと、教祖さまは反対で、直日も、「神さまは何もない処から造られたのだから、私も勝手に覚える」といってなかなか聞きません。それでも入学はしました。
 ある日髪を結いながら、泣いています。訊いてみると、女学校では先生が、「髪を二つに分けるよう」と言うのだそうです。それが嫌いで髪を一束にして、二三十本だけチョッピリと結び、これで二つに見えるか、といって泣いていたことがあります。
 兵古帯でも女らしいのは大嫌いで、直ぐ引きさいて帰る。下駄も女物だと直ぐ割って来る。余りのことにある日「黒い三尺帯でも締めたがよかろう」と冗談を飛ばしますと、「ほんまかい、黒い帯をしてもよろしいか」と大変な喜びようで、早速黒帯をしめました。
 一事が万事このさまで、遊び事でもまるきりの男振り、馬に乗る真似をしてハイヨハイヨハイヨハイヨと飛び廻り、剣術が好きで毎日お面お胴の掛け声勇ましい状態です。もうこれからは自分の思うようになるといって、黒足袋を穿き、厚歯な下駄に太鼻緒をつけて喜んでおりました。
 ある日のこと「修業をさしてくれ」と言いますから、何の修業かと聞くと、「剣術の修業」だと申します。私はかまわないが教祖さまにお願いしてみよ、と言いますと「思うようにやらさせてやってくれ」とのことでありました。これまで直日は教祖さまの側を一時も離れたことがなかったのでありますが、これより名古屋の朝倉さんに依頼して剣術を習うことになったのであります。
 大本の役員で京都の御召問屋の主人であった梅田さんから、お召の裾模様のある反物を直日にと買ったので、一度女らしくして見ようと思い、「これを着て写真を撮って来れば、後はズーとどんな着物を着てもよい」と言いましたところ、喜んで写真を撮りに行きましたが、後でその写真を見ると、裾を膝の辺りまでまくし上げ、片足をグッと前方に伸ばして居るではありませんか。これは一体何かと聞きますと、「下駄を写そうと思って」とのこと。お召の裾模様の下には、棕梠の太緒の大きな下駄がお相撲さんの足かなんぞのように、でんとうつっているのでした。
 そのように、することなすことが余り男ばっていますので、どうなることかと心配になり、時々教祖さまに伺いますと「今はこうして居るけれども、時節が来れば神さまが女らしくして下さいます」と申されるのでした。それでも私にすれば親心から気をもんだものでありました。
 しかし、このように表面は豪傑の直日も、真実の性は優しい情の深い子でありました。
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