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文献名１出廬
文献名２〔一〕霊を見る迄よみ（新仮名遣い）
文献名３（二）よみ（新仮名遣い）
著者浅野和三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ7
目次メモ
OBC B142400c04
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幸か不幸か、自分は十三四の頃から文学熱に冒されて居た。独居と空想と執筆、これが不断の何よりの楽みであつた。散歩をするにも成るべく単身で出掛けて、そしてこの満足を恣にせんとした。自分が全然学校の課程を抛擲して、放縦なる文士生活に突入するに至らざりしは、主として厳格なる家庭の力が大に与つて居たと思ふ。
最初自分は一時昔風の漢学塾で生長した影響を受けて、頻に漢文を作つて喜んだものだ。十四五歳から十七八歳頃迄は、日記でも、紀行でも、論説でも残らず漢文で書いた。が、思想が次第に複雑に成るにつれ、夫の不自由な漢文が段々不便に感じられて来た。
国文学の復活は恰度その頃の事であつた。そして当時売出しの落合直文、小中村義象等の諸先生は高等中学で自分達の担任であつた。博文館から出版された国文学全書などは、当時吾々書生仲間の多数によりて愛読されたものだ。漢文好きの書生は何時しか国文かぶれの書生に化して行つた。ゴツゴツした漢文から、ダラダラした国文へ移りかはりの困難には少からず閉口したものであつた。
さうする中にも、英語の読書力は一年又一年と加はり行き、詩人ではバイロン、ウアーズウアース。ロングフエローなどを囓り、小説ではデイケンズ、サツカレー、スコツトなどと首引を始め出した。やがてテニスンの詩集を繙くに及んで自分はとうとう決心した。
『一つ英文単を専攻して見よう。漢文と国文の書物なら片手間に読破が出来る。昔の人は和魂漢才と云つたが、自分は和魂漢才洋想といふことて進んで見よう。専攻科目を選ぶには、日本人に最も困難を感ずる外国語でなければ嘘だ』
到頭漢文育ちの国文模倣者は、帝大の英文学科に籍を入れることになつて了つた。自分の外には、一高から戸沢姑射氏、二高から大谷饒石氏等、総計十余名、そして英文学の受持の教師は例の小泉八雲先生であつた。
自分は英文学を専攻したことを格別に愉快であつたとも、又自己の天分に適つたことであつたとも思はないが、ただ三年の星霜をば小泉先生の薫化の下に送り得たのは、無上の幸福であつたと感謝せぬ訳には行かぬ。あの脈々たる情想、あの周囲の凡てと絶縁して一管の筆に全生命を托せる犠牲的精紳、あの日本人特有の使命天職を高調して模倣崇拝を極力排斥されたる識力卓見、あのギロギロせる独眼、あの口を吐いて出る金言玉辞──自分は二十余年前の当時を同顧して見ると、小泉師の講堂丈にはモ一度入つて聴講したいやうな気分がする。
かかる時代に於ける自分の文学熱の次第々々に強烈になつて行つたのは言ふ迄もあるまい。何か一つ傑作を作り上げたい──自分の頭脳の九割を占めたのは此熱望であつた。富の希望もなければ、官爵の野心もない、燃ゆるものはただ傑作の熱望のみであつた。
自分がまだ一高に居た時分に、読売新聞で歴史小説の懸賞をしたことがあつた。発表の結果を見ると、一等賞に入選したのが無く、二等賞に当選したのが『滝口入道』といふのであつた。やがてそれが無名で発表され出した。
『滝口入道の文章は中々甘いものだね。一体作者は誰だらう』
『何んでも文科の大学生ださうだ。仙台の二高出身の男だといふ事だ』
『一高連も些と奮発せんと可かんネ。君一つ応募せんか、一等賞が再募集になつて居る』
恁んな会話が、課業の合間々々などによく交換されたものだ。
やがて数ケ月経つと一等賞の入選者が発表された。但し大枚百円の金額が六十円と四十円とに両分され、前のが藐姑射山人の『しのぶの露』に与へられ、後のが江見水蔭氏の何とかいふ脚本に贈られた。文学好きの学生仲間にはこれが又中々の問題の種となつた。
何時しか滝口入道の作者は高山樗牛、又藐姑射山人とは同窓の戸沢氏であると知れて来た。両氏は多くの学生から羨望と嗟歎の眼を以て迎へられた。殊に一高の姑射氏が玄人の江見氏を見事負かしたといふのが、何といふ事なしに無邪気な学生の自負心をそそつたものであつた。
無論自分もこの間に於て頻に筆を走らせて居たものだ。学校の科目には精々全能力の半分位を注ぎ、他の半分、若くは半分以上の心血は道楽の文学に費された。が、中々思ふやうに筆が動かない。和魂、漢才、陽想の理想はあつても其調和が何うしても取れない。二十幾年後の今日でこそ、漸く日本の文章が物の用に立つ所まで一般に発達して来たが、其頃は古典的な色彩が中々強く、国文系と漢文系との熟語成句語法等が、溌剌たる思想の飛躍に強圧を加へて居た。
それかあらぬか自分は何うしても満足が出来ない。自分は書いては破り、破りては又書き、一高時代から大学の二年生時代に至るまで一篇の作物をも発表するに至らなかつた。所が、その時に至り、自分の心身上に俄然として不可解の一変化を起し、それからは殆ど連月『帝国文学』誌上に自作を発表するやうになつた。
最初自分は一時昔風の漢学塾で生長した影響を受けて、頻に漢文を作つて喜んだものだ。十四五歳から十七八歳頃迄は、日記でも、紀行でも、論説でも残らず漢文で書いた。が、思想が次第に複雑に成るにつれ、夫の不自由な漢文が段々不便に感じられて来た。
国文学の復活は恰度その頃の事であつた。そして当時売出しの落合直文、小中村義象等の諸先生は高等中学で自分達の担任であつた。博文館から出版された国文学全書などは、当時吾々書生仲間の多数によりて愛読されたものだ。漢文好きの書生は何時しか国文かぶれの書生に化して行つた。ゴツゴツした漢文から、ダラダラした国文へ移りかはりの困難には少からず閉口したものであつた。
さうする中にも、英語の読書力は一年又一年と加はり行き、詩人ではバイロン、ウアーズウアース。ロングフエローなどを囓り、小説ではデイケンズ、サツカレー、スコツトなどと首引を始め出した。やがてテニスンの詩集を繙くに及んで自分はとうとう決心した。
『一つ英文単を専攻して見よう。漢文と国文の書物なら片手間に読破が出来る。昔の人は和魂漢才と云つたが、自分は和魂漢才洋想といふことて進んで見よう。専攻科目を選ぶには、日本人に最も困難を感ずる外国語でなければ嘘だ』
到頭漢文育ちの国文模倣者は、帝大の英文学科に籍を入れることになつて了つた。自分の外には、一高から戸沢姑射氏、二高から大谷饒石氏等、総計十余名、そして英文学の受持の教師は例の小泉八雲先生であつた。
自分は英文学を専攻したことを格別に愉快であつたとも、又自己の天分に適つたことであつたとも思はないが、ただ三年の星霜をば小泉先生の薫化の下に送り得たのは、無上の幸福であつたと感謝せぬ訳には行かぬ。あの脈々たる情想、あの周囲の凡てと絶縁して一管の筆に全生命を托せる犠牲的精紳、あの日本人特有の使命天職を高調して模倣崇拝を極力排斥されたる識力卓見、あのギロギロせる独眼、あの口を吐いて出る金言玉辞──自分は二十余年前の当時を同顧して見ると、小泉師の講堂丈にはモ一度入つて聴講したいやうな気分がする。
かかる時代に於ける自分の文学熱の次第々々に強烈になつて行つたのは言ふ迄もあるまい。何か一つ傑作を作り上げたい──自分の頭脳の九割を占めたのは此熱望であつた。富の希望もなければ、官爵の野心もない、燃ゆるものはただ傑作の熱望のみであつた。
自分がまだ一高に居た時分に、読売新聞で歴史小説の懸賞をしたことがあつた。発表の結果を見ると、一等賞に入選したのが無く、二等賞に当選したのが『滝口入道』といふのであつた。やがてそれが無名で発表され出した。
『滝口入道の文章は中々甘いものだね。一体作者は誰だらう』
『何んでも文科の大学生ださうだ。仙台の二高出身の男だといふ事だ』
『一高連も些と奮発せんと可かんネ。君一つ応募せんか、一等賞が再募集になつて居る』
恁んな会話が、課業の合間々々などによく交換されたものだ。
やがて数ケ月経つと一等賞の入選者が発表された。但し大枚百円の金額が六十円と四十円とに両分され、前のが藐姑射山人の『しのぶの露』に与へられ、後のが江見水蔭氏の何とかいふ脚本に贈られた。文学好きの学生仲間にはこれが又中々の問題の種となつた。
何時しか滝口入道の作者は高山樗牛、又藐姑射山人とは同窓の戸沢氏であると知れて来た。両氏は多くの学生から羨望と嗟歎の眼を以て迎へられた。殊に一高の姑射氏が玄人の江見氏を見事負かしたといふのが、何といふ事なしに無邪気な学生の自負心をそそつたものであつた。
無論自分もこの間に於て頻に筆を走らせて居たものだ。学校の科目には精々全能力の半分位を注ぎ、他の半分、若くは半分以上の心血は道楽の文学に費された。が、中々思ふやうに筆が動かない。和魂、漢才、陽想の理想はあつても其調和が何うしても取れない。二十幾年後の今日でこそ、漸く日本の文章が物の用に立つ所まで一般に発達して来たが、其頃は古典的な色彩が中々強く、国文系と漢文系との熟語成句語法等が、溌剌たる思想の飛躍に強圧を加へて居た。
それかあらぬか自分は何うしても満足が出来ない。自分は書いては破り、破りては又書き、一高時代から大学の二年生時代に至るまで一篇の作物をも発表するに至らなかつた。所が、その時に至り、自分の心身上に俄然として不可解の一変化を起し、それからは殆ど連月『帝国文学』誌上に自作を発表するやうになつた。
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