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文献名1出廬
文献名2〔二〕心の岩戸開きよみ(新仮名遣い)
文献名3(四)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ65 目次メモ
OBC B142400c21
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本文の文字数1995
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本文  池から戻つて、自分は一と先づ暇を告げて旅館まで引取らうとすると、出口先生は、
『まアゆつくりおしやす、御飯でもあがつて……』と引留められる。聞きたい事は幾らでもあるので、其儘先生の居間に坐り込んだ。
 やがて洋灯が点く、夕餐のお膳が運ばれる。自分は先生と相対して膳に向つた。
『大本には御馳走はありません』
 先生は無造作に言ひ放つて、さツさと食事に掛られる。自分も箸を執つたが、成る程御馳走はない。膳の上には少量の漬物と焼鯣と、そして冷飯だ。今日でこそ大本式の食事といへば意味が一般に通ずる位に有名になつたが、当時の自分はそんな事は知るよしもない。世間並に『結構です』とは答へたが、心の中では余り結構とも思はなかつた。
『一遍宿屋へ戻つて、一杯飲んだ方が気が利いて居たかナ』
 こんな罰当りな事を考へながら兎も角も鯣を頬張つた。ところが其鯣の堅さと云つたら無かつた。自分の歯は随分岩畳に出来て居るが、其歯が少々驚いた程堅い。鯣を噛まんとすれば飯は噛めない。飯を噛まんとすれば鯣は噛めない。自分は一時ヂレンマに陥つた。平重盛でもあつたらそのまま歎息して箸を投じたかも知れぬが、自分はモ少し横着であつた。早速土瓶を取つて湯漬にして、二切の漬物でさらさらと二三杯流し込んで了つた。
 食後暫く又話し込んだが、此夕先生は七時五十分の終列車で、信者を連れて大和橿原の神宮参拝に出掛けられることに決まつて居たので、大急ぎで其準備にかかつた。
『まあゆツくり話しておくれやす。誰か役員を呼ばせます。俺はこれで失礼……』
 先生のお出掛といふと、今日でも大本の内部は一と騒ぎがある。見送りに行くもの、荷物を持つもの、ガタガタバタバタ総員皆駆け出して来る。自分は其晩初めて其光景を実見した。兎に角自分一人は局外者なので、聊か手持無沙汰に、ポツネンと薄暗い洋灯の下に取り残された。
 十分間許り経つと。ガツシリした体格の三十五六の婦人が入つて来て会釈された。頭髪は一種の束髪めきた、無造作な結方として、甚だ粗末な綿服を纏ひ、胸には二つ許りの熟睡せる女児を抱いて居た。
『あんたはん御遠方からお出でなされたさうどすナ。生憎と先生がお出掛なされてお相手が出来ませんが、今湯浅はんといふお方を呼びにやりました。古い自家の役員どす……』
 純然たる丹波訛りの、しかし語尾の明晰な、力の籠つた音調で話し出された。容貌も、ふつくりとと肉付の豊かな丸顔ではあるが、何所となく犯し難き、やや男性的な威厳を帯びて居た。間もなく此人が出口先生の夫人の澄子刀自であることが知れた。
『爰は明けても暮れても始終神さんのことばつかり言つて居る所どす。あなた方のやうに世の中で働いておゐでの御方から御覧になれば、まるきり発狂者のやうに思はれますやろ』
 飾り気もなく、気取り気もなく、露骨に無邪気に、ヅンヅン言つて退けられる稚気三分、田舎味三分、霊味三四分といふ点が大変自分の気に入つた。出口家第二世か、大使命の在る人か、そんな事は当時の自分にはまだ頓と判らなかつたが、この人が只者でない事丈けは、最初の五分間で見当がついた。遠慮や会釈は何時の間にやら烟散霧消して了つた。そして、さながら久し振りで、生家へでも帰つた気分で、胡座をかいて話し込んだ。
『教祖さんの神懸りになられたといふのは一体貴女のお幾歳の時なのです?』
『妾の九ツの時どす。教組はんといふお方は、妾などとは違ひまして、平生は誠に控へ目な、人中ではよう口もきかれんお方どすがナ、夫が霊が懸つて来ますと、眼は斯うすわつて、両手を斯う張りましてナ、腹の底からウムウムと、妾、そんな時には身体中が慄へましたがナ』興が乗ると、手真似、身振り、仮声まで使つて元気よく話し出される。天真瀾漫、一点の虚偽虚飾もなく、御自分で実地に見て来たままの活きた話をされるので、聴者に取りて一と通りの興味ではない。正に天下一品の趣がある。
 湯浅仁斎氏がやがて使を受けてやつて来た。此人は大本の信仰に入つてからモウ十年にもなる人、日夕出口先生と教祖とに、親炙して来た、一種の活字引なので、丹波訛り丸出しの弁ではあるが、矢張りその一言一句には人を動かす所がある。教祖のこと、出口先生のこと、種々の神懸りの実験談、それからそれへと話が続いて、夜の更けるのも知らなかつた。
『今晩は爰へお泊りやす。お荷物は宿屋まで役員を取りにやります』と、澄子刀自の勧められるまま、自分はたうとう大本の内部に泊ることになつた。そして持つて来て貰つた鞄から和服を取り出し、窮屈な洋服と着かへて、一層臀を据ゑてしまつた。三人の会話は夜半までもつづいた。
 今でも想ひ出して可笑しいのは、その晩自分が脱ぎ棄てた洋服が、翌日の午後まで誰も手を触れるものがなく、室の隅に置かれたことであつた。大概の事には困らぬ大本の人々も、洋服の始末には余程困つたものらしかつた。
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