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文献名1出廬
文献名2〔三〕初心の審神者よみ(新仮名遣い)
文献名3(一)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ123 目次メモ
OBC B142400c36
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本文の文字数2022
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本文  出口先生が、鎮魂帰神の神法の種子を横須賀の地に蒔きつけ、審神者の卵と目鼻のつかぬ神憑者とを置き去りにして、卒然として帰途に就かれたに就きては、深き意味があつたやうだ。つまり獅子が其児を千仭の谿谷に突き落して見るのと同一筆法で、言はば自力で立て、自力で学べ、自力で悟れ、他にたよるなといふ事の、実地教育を施されたものであつた。これは先生自身がなされたといふよりも、寧ろ先生に憑り給へる神様のなされたことで、先生の方では涙を以て神命を奉ぜられたものであつたらしい。後日先生の述懐に、『私も最初審神者の修業時代には神の試練に遇つて散々苦労して覚えがある。浅野はんもこれからだと思ふと、知らん振りで何も言はずに、帰らねばならぬのが誠に辛うて、横須賀の停車場で別れる時は、涙が零れてならなんだ』
 兎に角、それから続く約五十日の間に、自分は生れて初めて苦心らしい苦心、修業らしい惨業をした。それまでの自分は、まるで温室咲きの梅のやうなもの、余りに苦労なしに育てられ、従つて呑気で、不真面目で、悪戯好きで、大概の仕事が身にしみない。友達や同僚などが、一寸した事にも興奮するのを見る毎に、自分は、それ等の人々を嘲ると同時に又自分自身の不真面目をも嘲つたものだ。若しあの生活が何時までも続いたとしたら、恐らく自分などは、独りよがりの皮肉家、浮世を茶にするすね者位の所で、一生を終つたであつたらう。
 所が、今度といふ今度ばかりはさうは行かなかつた。気にかけまいとしても什うしても気にかかり、考へまいとしても什うしても考へ込まねばならぬ、真剣勝負の、活きた、血の出る仕事であつた、お蔭で次第に人生の責務といふ観念が発生して、些しは人間らしい人間になりかける端緒が出来たかと思ふ。精神的に述ぶれば、それ迄の自分は生きた死骸であつた。此死骸に向つて先づ一点の霊火を投ぜられしは、大本の教祖出口直子刀自で、そしていよいよ再生の恩沢に浴する事を得せしめたるものは出口先生と、その置土産の霊魂帰神の神法とであつた。これを思ひ彼を思ふと、今更乍ら神恩の有難さを感ずるばかりで義理にも世人の馬詈誤解位では腹も立てられず、三日や五日の不眠不休位には、格別の不平も起し得ない。勿論尚未だ修業中の身で、元の娑婆臭い匂ひが失せず、人間味が多量に残つて居るが仕方がない。一層奮励努力して他日の大成を期するばかりだ。それは兎に角、これから初心の審神者としての、苦心談やら失敗談やらを、有りのままに告白して見ることにしよう。
 神主として自分の鎮魂を受け、遺憾なくこの第一期の修業の目的を遂行する事を得しめた人々は数人に上るが、先づ指を屈せねばならぬのは宮沢理学士であつた。宮沢氏なかりせば、自分の研究は何れ丈不便を感じたか知れぬと思ふ。やつて居る最中は、酷い目に逢はせると怨みもし、怒りもし、又弱りもしたが、今日となりて見れば神の御恵みの、貴重なる研究材料であつたとしか思はれない。
 出口先生の横須賀滞在中から既に宮沢君の神憑状態には幾分険悪分子が含まれて居るべく見えた。途轍もない高声で呶鳴つたり、いろいろ重大な予言を連発したり、初心の審神者を驚かすこと一と通りではなかつたが、其真に暴ばれ出したのは、出口先生の帰られた当日の晩からである。
 多分夜の八時頃でもあつたらう、自分は宮沢君ただ一人を坐らせて鎮魂を始めたのであつた。すると忽ち帰神状態になつたのはよいが、其権幕がいかにも大変であつた。昨日までこんな事は無かつたのに、今夜は先づ両眼をかつと開けて了つたではないか。其光りは爛々として火を吐く如く、おまけに、平生の眼に比して少くも二倍の大きさがある。いつしか組んだ両手も離して了つた。そして威丈高になつて、その両手を膝に突き立てて居る。
『こりやたまらぬ』と自分は内心冷やりとしたが、さりとて逃ぐるにも逃げられず、ヤツト痩我慢で質問して見た。
『何れの神様か、御名を伺ひます』
『武甕槌命』と、さきで高くは無いが、極めて威厳ある、さも武甕槌命らしい音声で咄嗟に答へが出た。
『はツ』と初心の審神者先生、早くも頭をさげて、その恐ろしい権幕に呑まれて了つた。それが果して武甕槌命なりや否や、又かかる高級の神がさうお手軽に常人に神懸するものか什うか、一々冷静に、緻密に審査判断する事が、それが審神者の役目であるといふことさへも、碌々御存知のない初心の審神者の事であるから、一も二もなく武甕槌命のお懸りであると鵜呑みにして了つた。到底疑ひの眼を以て詰問するなどの分別もなければ、又勇気もなかつた。却つて反対にうつかりしたことでも言うて、什麼お譴めを受けぬものでもない位の、ただ戦々兢々たる有様であつた。こんな事で神の審判などの出来る道理があつて耐るものでない。今考へて見ても冷汗が流れる。
 これがそもそも自分が五十日間油を搾られ、味噌をつけ、最後に漸く、一道の光明に接し得た第一期修業の発端であつた。
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