文献名1出廬
文献名2〔三〕初心の審神者よみ(新仮名遣い)
文献名3(七)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
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データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ148
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日を重ぬるに従つて鎮魂の修業は次第に真剣に、綿密に、真面目になつて行つた。
好奇心時代、吃驚仰天時代は最初の二週間許りで幸に経過し、それからは、やる方も、やられる方も一所懸命だ。従つて変化も種類も深みも一回ごとに加はつて行つた。
自分の実験材料として、殆ど連日又連夜鎮魂を命ぜられたのは妻であつた。宮沢君の天言通は勿論自分にとりて貴重であり、有益であつたが、兎角興奮性で少からず気を揉ませる。其所へ行くと妻の方には全然其虞が無い、落着払つて研究に従事することが出来た。
妻が過日の鎮魂に言葉を切つて小桜姫と名告つてから、霊統問題が大に自分の頭を占領するやうになり、頻に宮沢君の天言通を利用して直接の証明を神界に求め、その結果各自の守護神なるものは、自己の霊統の祖先であること、更に古代に遡つて祖先の祖先の大祖先を求むれば、終に本霊に到着する事、其本霊は国津神として永久不滅に存在する、所謂『元の活神』である事等を次第次第に会得するやうになつた。
が、自分は之に満足せず、同時に妻を鎮魂して、その方面からも、出来る限り、前人未解決の問題を探るべく努力した。たしか五月の十二三日の午後であつた。例によりて妻を離座敷に呼び、鎮魂を命じた。いよいよ深い帰神状態に入つたと見た時、自分は膝をすすめて守護神に迫つた。
『御守護神のお名前は先日承知いたしました。が、其霊統については甚だ疑問が残つて居るのであります。いかなる霊統の御方で、御本霊の御名は何と仰しやるか、是非それを伺ひたい』
妻は先日言葉を切つた時に、気息が塞りさうだつたので、こんな質問をされるのを其後は大変厭がつて居た。ところが、今突然自分から又言葉を切れと迫られたので肉体としては『さては又か』と大に驚いたさうである。
けれども人間の考へと、神さんの考へとは余程違ふものと見えて、小桜姫の霊魂は、自分の質問に応じて之に答へるべく、例の臍下丹田から発動して、気息を送り、唇を開き、舌を動かし、低くはあるが、十分に聴き取れる程度に言葉を切つてくれた。当人は不賛成、守護神は賛成──こんな場合には特に二重人格の作用が判明する。唇から漏れた言葉は極めて簡単で、ただ、
『と──よ──た──ま──ひ──め』
とのみで、それから先きは出なかつた。
豊玉姫ときいた時、自分は何所かで此名は見たことがあると思つた位、それ程『古事記』と遠ざかつて居た。自分が『古事記』や『日本書紀』等を一読したのは高等学校在学時代で、其後は横文字の書物と首ツ引許りして居たから、二十幾年の間に神代の物語や神々の御名前とは、大変御無沙汰になつて了つて居た。まして妻の方は、従来『古事記』などは一度も繙いたことなく、従つて豊玉姫のトの字も肉体としては知らなかつた。豊玉姫が果して霊統の先祖でありや否やといふ問題は、爰に述べるには、余りに神秘に過ぎ、高遠に過ぎ、当分自分は之に関して沈黙を守るを正当と心得るが、そんな問題は別として、兎も角も、これが決して暗示説や潜在意識説で説明の出来ない問題であるだけは明白であらうと思ふ。
其後自分は幾多の質問を妻の守護神に向けて放つたこともあるが、モウ言葉はそれきり出して呉れなかつた。かく天言通の方は物足りないものであつた。が之に反して天眼通は殆ど遺憾なきまで発揮され、自分の修業研究の上に多大の便宜を与へた。大正五年の春から七年頃にかけて、自分が妻の天眼通を用ひて、疑惑を解き実務を解決し、最後の断案を下すの資料とした事が幾十百回に上るか、実は挙げて数へることが出来ない、其中の書いて差支なき部分、又書いて興味のある部分はこれから追々書いて見るとしよう。
元来霊覚は大体に於て之を四種類に分けるが最も実用的であるやうだ。古来六神通と云うて居るがそれには及ばぬと思ふ。四種類とは天言、天耳、天眼、天筆である。憑依霊が口を使ひて言語を発するのが天言、耳を使ひて知らせるのが天耳、眼を使ひて見せるのが天眼、又手を使ひて文字を書かせるのが天筆である。此外には例外があるが、先づ大体はこんな所だ。末梢の方で査ぶればかく神通力は幾種類にも上るが、根源を糺せばただ一つ、詰り守護神の活動に外ならぬのである。妻の場合には守護神の活動が主として眼にあらはれ、極めて一小部分が言語にもあらはれたのであつた。霊覚の分担方面は些しは修業の力でも左右し得るが、九分九厘までは天稟で、大概の人は天言があれば天眼はなく、天眼があれば天耳はないといふ風に、分業的になる。通力の自由自在縦横無碍なのは矢張り故大本教祖だの、現在の出口先生だのである。