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文献名1出廬
文献名2〔四〕綾部の参籠よみ(新仮名遣い)
文献名3(九)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ215 目次メモ
OBC B142400c60
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本文  自分が綾部へ着てから約一週日を過ぎた八月六日に、沓島冠島参拝があつた。新参ながら自分も之に参加して見ることにした。
 沓島冠島は別に小島大島とも呼ばれて居る。舞鶴の沖数里にある日本海の無人島で、近海の漁夫達によく知られて居るばかりでなく、海軍に奉職したものなら大抵熟知して居る。艦砲射撃とか、速力試験とか、舞鶴鎮守府所属の艦船は、終始この付近を遊弋して居る。
 が、大本信者から此二小島は全然別な深き意義に於て重要視されて居る。幽界の消息が毫しも判らず、竜体そのままの元の活神の話が、荒唐無稽の架空譚とよりしか思はれぬ一般世間の人々には、要領を得られぬ話であらうが、実はこの沓島こそ艮の金神様の三千年余り左遷されて居た場所であり、又冠島は雨、風、地震、荒、岩の五大竜神の幽栖所であるのである。艮の金神なる御名称の起原も、つまりは沓島の位置が地の高天原たる綾部の神都の艮の当るところから起つたので、鎮西に流された為朝が鎮西八郎と号したのと何もかはりはないやうである。それは兎に角綾部と沓島との関係は実に密接を極めたもので、明治三十三年旧七月大本教祖が神勅によりて初めて爰を開かれてから、今日に至るまで年々大本の役員信者は、この二島に出修することになつて居り、現に大正九年の夏などは七百余の信徒がこの島に参拝した。
 大本教祖が初めて沓島冠島を開かれた時の話は余程不思議である。明治三十三年の一二月頃から突然教祖は妙なことを家人に向つて言ひ出された。『何処ぞに沓島といふ島があるかい。神さんは是非、私に沓島を開けと八釜しく仰しやられるが、其麼ところがあるかしらん……』
 近所の人々に訊いて見たが誰もその所在を知つて居るものが無い。『教祖さんが何を言はれる』位に、誰も余り相手にする者もなかつたさうであつた。所が数箇月経つ間に、知る人あつて初めて其所在地が明瞭になつた。神命とあれば水火の中といへども辞することを知らぬ教祖さんは、たうとう出口先生その他を伴はれて、舞鶴の大丹生屋といふ船宿から漁船を艤し、風涛を冒して島開きを決行された。爾来年々大本信徒の出修すること爰に二十年、大本年中行事中の最も神聖無比なものとなつて居る。就中明治三十八年五月日本海大海戦に先立ち、大本教祖が七十の老軀を提げて沓島に立籠り、十有余日に亘りて荒磯の上に跪坐瞑想を凝らし、以て皇軍の勝利を所願したるが如きは、数多き大本神話中にありても最も出色の美譚である。自分は今これ等につきて詳説するの遑がない。誰か椽大の筆を振ひて最近二十年間の沓島冠島出修史を編するもののなきかを翹望して止まない。
 それは兎に角自分は自分にとりて記念すべき大正五年八月六日の沓島冠島出修の話を略叙する。その日は九十何度かの極めて蒸し暑い日であつたが、一行は午後の汽車で舞鶴に行き、それから例の大丹生屋に向つた。一行四十七人、何れも蓙、菅笠といふ扮装、それが不規則な行列を作つて、ガサガサゴソゴソ練り行く有様は可なり異様な光景であつた。前後左右を振りかへつて見た時、自分は心の中に思はざるを得なかつた。
『自分も随分思ひ切つて不思議な仲間入りをしたものだ。若し知己の海軍士官にでもこの光景を見付けられたら、さぞ風評の種子にされるだらう』
 大丹生屋に着いて晩餐を食ひ、いよいよ船に乗り込んだのは午後八時頃だつた。四十七人は漁船五艘に分乗した。自分の船には出口先生、同直霊嬢、星田悦子氏、吉田竜次郎氏、その他三四名が乗込んだ。船頭は六十許りの矍鑠たる老爺であつたが、明治三十三年教祖島開きの時にも、この老爺がお伴したと聞かされて少からず興味を惹いた。
 一同高らかに大祓祝詞を唱へつつ波の上を進んで行く。最初二三里の間は軍港入口の水道なので、格別船の動揺もなかつたが、空模様は頗る悪い。時々ポツリポツリと雨滴が面を撲つ。四方暗澹、山と海との境界も判らない。
『船頭さん、沖の模様は什麼ぢやらうな?』
『さア此模様では荒れてますナ。先づ六ケ敷かも知れません……』
 天候に関して心細い談話がそろそろ交換され出す。同時に種々の不思議な現象が出口先生その他の人々の霊眼に映り出す。
『今夜は海上が海坊主で一ぱいや。何万とも数へ切れはせん』と出口先生が独言される。すると艫の方に寝て居た直霊さんが、幽霊を見たと言つてムクムクと起き上つた。
『什麼幽霊です?』と自分が尋ねる。
『ハイカラ男が一人に若い女が二人どす』と例によつて其答へは極めて簡単だ。幽霊を見るなどは、世間では大事件だが、大本の内部では花を見る、演劇を見るといふのと大してかはらない。幾分好奇心を動かされたのは自分位のものだ。
『什麼して若い男や女の幽霊がこの辺に居るのでせう?』
『さア大方○○旅館の息子かも知れまへん』と出口先生は軽く答へられた。
『○○旅館といふと、あの京都の……?』
『さうです。あの旅館の別荘がツイ其処にありますが、昨年だつたか、あしこの息子この海で心中しました。新聞にも載つて居ましたらう。旧暦の盆に近いので、今夜は其霊魂が出て来たのでシヤろ』
 幽霊、海坊主、闇、雲、風、雨、四辺の風物が何となくだんだん物すごくなりつつあつた。『常識で考へた日には』と自分はひそかに思つた。『三四間の木葉船に乗つて、荒模様の日本海の夜中に乗り出すなどは無謀極まる話だ。這様無謀なことを年中行事として平然として実行するなどは、信仰なしには出来る芸ぢやない。しかし真似をするのはまだ容易いとして、先頭第一に之を決行した大本教祖の金鉄の決心は畏れ入つたものだ。よくこんな事がやれたものだ……』
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