文献名1出廬
文献名2〔五〕引越準備よみ(新仮名遣い)
文献名3(七)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
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データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ261
目次メモ
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それから自分の質問に連れて、狐の悪霊はいろいろの事を白状した。金子が儲からぬ腹癒せに、夫人の家庭に風波を起させることばかり考へ、其んな時には臨時に主人公に憑いてムカ腹を立てさせたり、母親に憑いて意地悪をやらせたり、小僧に金子を落させて見たり。其他頻に悪智慧の有らん限りを絞つた。此が為めに何れだけ家の中の風波が増大したか知れぬらしい。『忌々しいから家中の人を片ツ端から酷い目に逢はしてやりました。余ンまり業腹ですもの……』などと言つて居た。一体この狐に限らず、狐狸の悪霊はこの種のイタヅラに妙を得て居るやうである。爾来数年の間、何度自分は彼等を発動させて、これに似た事実をきいたか知れぬ。何人も日常生活の間に、莫迦らしいと感じつつ、尚且或る一種の魔力に引きづられて、心にもなき愚行を演じ狂態を行ふことがあるのを発見するであらう。其んな時には、大抵狐か何ぞの悪霊に翻弄されて居るのだといふことに、早く気がつかねば可かぬ。人間何をやるにも省るといふことが何よりも肝要だ。碌でもない事をして居る癖に、終末までそれに気がつかぬ人は、モウ神の綱の切れた人だ。遅くまで気のつかぬ人は、落伍者たる資格が十分に備はつた人だ。迅く気のつく人にして、初めて悪霊も之を捕ふべき手懸りなく、結局世界はその種の人によりて率ゐられて行く。
大抵訊く丈け訊いた時に、自分はいささか容を改めて狐に改心を迫つた。
『艮の金神さまがこれから幽界の規律を正されるといふ事は、お前達も知つて居るであらう。モウ今迄のやうに悪事を働けはしない。今の中に早く改心して泥足を洗つたらどうか』
『でもネー、私達は駄目なんですよ』といささか当惑した風で、『悪戯をするのが私達の性来で、今更神さまのお気に召すやうには出来はしませんもの……。それに東京にはまだ面白い種子が沢山ころがつて居ますからネ』
『改心が厭だといふのでは什麼も致し方がない。何れ時節が来たらお前達でも改心せずには居れなくなる。しかし今日限り此人の肉体から退く丈は退いてくれ。君などの巣をくツて居る所ぢやない。隠しく言ふことを聴いて呉れるか』
『でもネー、このままでは余ンまり……』
『この儘では退けぬといふのか。それなら自分にも量見はある。大神さまにお願ひして懲罰を加へる』
『そ……それは一寸待つてください。仕方がない、妾も江戸子だ。このままきツぱり見切りをつけるとしまそうかネ』
『さうして呉れれば自分もうれしい。流石に感心だ、大分時間も長くかかつた。早速肉体から離れて呉れ』
言つて自分は組んだ両手に力を籠めて、ウンと気合をかけた。狐の霊はニヤリと薄気味悪い笑ひを漏らして、別を告げるものの如く頭を低げんとしたが、この時更に掛けた気合に、夫人の肉体はパツタリ横に倒れた。
間もなく眼を開けて起き上つた夫人を見れば、モウすつかり元の上品な優雅な姿に戻つて居た。
『まア妾……何といふイヤなものに憑かれて居りましたでせう。狐はこれきりモウ戻りませんでせうか』
『さア事によると戻つて来るかも知れません。退くと言つても中々彼奴達のいふ事は信用しきれませんからネ。兎に角油断は出来ません』
『油断するなと仰ツしゃつて、一体什麼すれば可いのでせう』と夫人は大変心配さうである。
『信仰です。信仰に油断があると魔は何時でもさします。一切の我利我欲を棄てて生れ赤児のやうな心になり、大神様にお縋りすれば、世の中に畏ろしいものはありません。しかし其実行は実に六ケ敷い……』
其日はそのまま辞して帰つたが、果して右の狐の悪霊は、その後再三再四夫人の肉体に戻つて来て、種々の悪戯をした。たうとう大本の役員の一人が東京まで出張して、苦心の末漸く夫人の肉体から、それを引離すことに成功したのはよかつたが、狐先生今度は方針をかへて、夫人の長女の十八になるお嬢さんに憑依した。発狂といふほどでもないが、時々発作的に家人の隙間を覗つて、ふらふらと飛び出して仕方がない。両親は心配の余り、綾部までお嬢さんを連れて行き、約一箇月も滞在して、辛うじて其悪狐の来襲を防ぐことに成功した。この為めに一家を挙げて信仰に入り、大神様を奉斎することになつたのは幸福であつた。その後は全然件の狐の襲来といふことはなくなつたさうである。
狐の愚霊などといふと、世人は尚迷信臭く思ふであらう。そして『万物の霊長たる人間に動物霊などがついて耐まるか』などと気焔をあげたがる。愚な話だ。万物の霊長が身体を不潔にして置けば、半虱子がついたり、蚤がついたりする。之と同様に心を不潔にして置けば、無論狐でも、狸でも、蛇でも、蟇でも、猫でも、何んでも憑く。自分の霊的研究によれば、流行病なども単に黴菌だけの説明では不足のやうだ。黴菌を媒介するのは大抵狐狸の仕業であるやうだ。黴菌だけなら石炭酸か昇汞水で殺せるが、悪霊はさうは行かぬ。神力以外に之を防いでくれるものがない。此等の真消息が判らぬ中は、人間は間断なく狐狸其他の翻弄を免れないものと覚悟せねばなるまい。