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文献名1出廬
文献名2〔五〕引越準備よみ(新仮名遣い)
文献名3(十)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ274 目次メモ
OBC B142400c75
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本文  村野さんの鎮魂で三郎の熱は下り、元気はすツかり回復した。自分達を妻はホツと安心の胸を撫でおろすと共に、初めてしみじみと産土の神さんの働きが判つた。体験体得、実物教授程身にしみるものはない。それが無い間は兎角人間の屁理窟が勝利を占め、うつかり減らず口を叩く。ただ一度でも実験があると初めて真剣になり、浮調子の影が省かれる。つらつら考ふるに大正五年までの自分などは皮肉、屁理窟の専門家だ。事物を正面から観察して、善意の解釈を下すかはりに、大抵裏面から逆に悪意に、ひねくれて考へて見たがる。幸にその悪癖が矯正されて行つたのは、偏に神様の御示教のお蔭である。フフンと鼻の端であしらひたくても、それが出来ない事にされて了つた。又自分などは、元来寛容性に富んで居る人間ではなく、ややもすれば偏狭に、苛察に流れたがる。それにも拘らず、大本の教の門に入つてからは割合に他の批評をさまで気にもかけず、大概の場合には青筋を立てて怒つたり、罵つたり、ムキになつたりせずに済まし得る。元の自分なら容赦せずにおくべき事を奇妙に容赦して居る。そして兎や角と皮肉る人を見れば、これも訳がわからぬからと、寧ろ同情の念を催して来る。近頃大本攻撃で名を売出した某々氏等の駄弁駄評──許し玉へ実際さうだ──をきく毎に、ああ自分も元の自分であつたら矢張り斯うであつたらうと思ふと、これ等の人々が気の毒で耐らない。神様もあンまりだ、何等の体験も与へず、これ等の人々をして盲目的悪罵冷評の罪を作らせて、やがて世の中に顔出しの出来ぬ破目に陥らせる。什麼かして一時も早く此等の人々を、その気の毒な境遇から脱却せしむる方法はないものか。神様は何時まで此等の人々に、かかる間接的懲罰を加へられるのであらうと、却つて神様がうらめしいやうな気がせんでもない。
『産土の神さんが、そんなに吾々の面倒を見てくださるのだとは知らなかつた。全く今度は善い学問をしたネ』
『うつかりして居ましたネ。明日の朝は早く行つてお供物をしてお詫をしませうよ。綾部へ行つても、産土さんへは忘れずにお詣りせんと可けませんネ』
 自分達夫婦はその晩すやすやと安眠せる三郎を間に置いて、斯んなことを語り合つたのであつた。
 くどいやうだが少し説明を許して貰ふ。人間は皆産土の神さんの氏子であつて、生れる前から死後に至るまでも、連綿と引きつづいてその御世話になるのであるから、祖宗の御神霊を崇敬するのを忘れてはならぬと同時で、くれぐも産土の神さんを無視せぬことを心得ねばならぬ。土産の神に対する日本の古来の風習は、実に世界に冠絶せる点で、さすがに神国の神国たる所以は最もよくこの点に現れて居る。いかなる山間僻地、津々浦々にいたるまで、産土の神さまを祀らぬ所の無いのは、世界中独り日本国あるのみだ。西洋心酔の極はこの誇るべき美風をも、ともすれば蔑視するやの傾向がある。最も畏るべき悪風潮の一つであるを失はない。
 かくいふと何等体験のない、例の屁理窟家さんはいふであらう。
『我輩はまだ産土神社などに叩頭した例がないが、それでも一度も罰を受けず、御覧の通りピンピンして生きて居る。迷信家にも困つたものだ。チト心理学でも研究したら可い……』
 ところが、些し神界の消息が判つてくるに連れ、こんな気焔は吐けなくなる。これは決して名誉ある気焔ではない。十二三の悪太郎が意気揚々として、『俺などは什麼悪戯をしてもお父さんから叱られない。偉いだらう』といふのと同様の気焔である。悪太郎の叱られないのは、親が未成品として之を遇するからで、決して偉いからではない。産土の神が人類に対するのも之と同様、到底コムマ以下の人間、相手にして叱る価値のない人間として、大目に見逃してくださるに過ぎぬ。烏や雀は平気でお宮の屋根に糞をするが、神様はお咎めにならぬ。諸外国の多くに於ては、産土の神さまを祀ることさへ知らぬが、禽獣同様に看做されて居るから、同様に罰も何も受けない。神の責罰を受けぬは決して偉いからではなく、その正反対に余りに低級、余りに愚鈍、余りに無智、余りに無作法なので、相手にされないのだ。涕垂れ小僧並、烏や雀同様に取扱はれて居るのだ。自分なども大正五年の十二月から、初めて神界の一人前の取扱を受ける身分になりかけ、その時の懲戒が余りに身にしみたので、ツイ老婆心から斯んな説明もやりたくなるのだ。
 さうすると、屁理窟家は尚ほ理窟を並べるであらう。『産土の神の懲戒は可いとして、何故罪もない子供に熱を起させたのだ。親が悪いのなら親に熱を起させさうなものだ』と。それも御尤もといひたいが、矢張りさうは行かぬらしい。個人主義にかぶれた人間から云へば、親は親、子は子であらうが、神さまの規則は些し違ふ。神さまから見れば生と死とはただ形態の相違。親と子とは同系異体、二にして一、一にして二、何処まで行つても連帯責任だ。親は子の罪を負ひ、子は親の徳を享け、功罪禍福ともに相分担して行かねばならぬ。仏教はこの方面に於て説くこと甚だ詳密を極めて居るやうで、ややもすれは霊を無視して体のみに重きを置かんとする西洋の遺伝説などの遠く及ばぬ処があると思ふ。
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