文献名1冬籠
文献名2〔一〕綾部の冬籠よみ(新仮名遣い)
文献名3(三)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
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データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
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十二月の十四日の午後であつた、自分が二階へ引籠つて、頻に「神霊界」の原稿を書いて居る所へ、大本から使者が来て名刺を持参した。
『このお方が見えて居ますから直に来てください』
名刺を見ると、意外にもそれは秋山真之海軍少将であつた。
『秋山少将か、こりや面白い、早速行くと言つてください』
実際自分の心の中は勇み立つた、秋山将軍といへば天下の名士であり、神算鬼謀、天下無比と謳はれて居る人だ。自分は永い間海軍部内に居ることは居たが、まだかけ違つて一度も其謦咳に接したことがない。然るにこの人が、自分が綾部に引越したたツた三日目に参綾するといふのは、不思議といへば不思議だ。斯ンな名士から早く判つて呉れれば誠に結構、頑迷不霊な海軍部内も案外容易に覚醒するかも知れぬと、うれしくつて耐らなかつた。そして神ならぬ身の、意外な突発事件が秋山少将を中心として起り、ますます誤解と紛糾とを重ねるに至らうとは、露ばかりも想像し得なかつた。
兎も角も急いで大本に行つて見ると、出口先生と秋山さんとは、統務閣に於て正に会談中であつた。自分も早速其座に加はつて初対面の挨拶もそこそこに、直に神霊上の問題に突入した。
秋山さんの顔は従来写真で知つて居るだけで、実物を拝見する事は今日が初めてであつた。高い彎曲した鼻、やや曲つた口元、鋭い、しかし快活な眼光、全体に引緊つた風丯動作、誰が見ても只者でない丈はすぐ判る。海軍士官気質といふ、一種独特の型には箝つて居るが、しかし何処ともなく、其型を超越した秋山一流の特色も現れて居て、妙に人を引きつける所があつた。確に僥倖で空名を馳せ居る人ではないと首肯された。
談話を交ゆること一時間ならずして秋山さんの長所は次第々々に判つて来たが、しかし其短所弱点も亦髣髴として認められた。頭脳の働きの雋敏鋭利を秘め、為に停滞拘泥することを嫌ひ、自分が善と直覚するものに向つて、周囲の一切の顧慮を打棄てて勇往邁進する勇気にかけては、確に天下一品の概を有して居た。軍人でも政治家でも、官吏でも、或る地位に達すると、兎角イヤに固まつて了つて、心の門戸を鎖し、清新溌剌の気象に乏しくなる。殊に知名の名士といふ奴が却つて可けない。僥倖で博し得た其虚名を傷けまいとして、後生大事に納まり返る。其麼人物には面会せぬに限る。会へば一度でがつかりして了ふ。所が、秋山さんには微塵も其臭味が無かつた。日露戦役の殊勲者などといふ事を毫末も鼻の端にブラ下げず、思うて居る事は何でも言ひ、判らぬ事は誰に向つても聴き、キビキビした、イキイキした、何とも言へぬ美はしい、気持のよい、真直な男らしいところがあつた。
しかし一方に長所があれば、同時に又短所の伴ふのは致し方がないもので、秋山さんは余りに其頭脳の鋭敏なのに任せて八人芸を演じたがる所があつた。一つの仕事をして居る中に、モウ其頭の一部には他の仕事を幾つも幾つも考へて居るといつた風で、精力の集中、思慮の周到、意志の堅実などといふところが乏しかつたやうだ。
『参謀としては天下無比だが、統率の器としては什麼であらうか』
といふのが海軍部内の定評のやうであつたが、成程この評にも一片の真理は籠つて居ると思はれた。人にはそれぞれ特長があり、方面がある。秋山さんは日露戦役に海軍の名参謀として立派な職責を果し、又天下の耳目を一身に集めた人である。それ丈で秋山さんの秋山さんたる所以は十分に発揮されて遺憾なしである。終生ただの一度も花咲く春に逢はず、空しく埋木となつて了ふのも決して尠くない。欲をいへば限りがないが、秋山さんの一生などは先づ以て最も意義ある、又最も華やかなる一生と言うてよかつたやうだ。
が、自分は茲に秋山さんの人物評を試みるのが目的ではない。秋山さんの晩年と大本との関係を有りのままに描きたいと思ふばかりだ。大体に於て言ふと、秋山さんの信仰に対する態度には、例の秋山式特色が現れて居た。早呑み込みをするが、ややもすれば移り気が多過ぎて、其結果不徹底に流れた。或る時期には明照教に凝つて見たが、一年足らすで之を見棄て、次で川面凡児氏に傾倒し、同志を集めて其講演を聴いたり何ンかしたが、之も一二年で熱がさめた。池袋の天然社にも出入したが、それも余り永くは続かなかつた。兎も角も物質かぶれのした現代に一歩を先んじて、神霊方面の問題に研究の歩武を進めようとしたのは、確に卓見たるを失はなかつたが、姉崎博士の所謂迷信遍歴者といふ部類に編入されても致し方がないところがあつた。彼方を漁り、此方を漁りて帰着する所を知らない。吾々から無遠慮に之を批評すれば信仰上の前科者であつた。最後の秋山さんは大本に来たが、モウ一と息といふ所でこれにも躓いて了つた。
『何所へ行つて見ても、半歳か一年経つ中に、自分の方が偉く思はれて来て仕方がない』
その日秋山さんは自分に向つて斯ンなことを述べたが、秋山さんの長所も短所もよくこの一語の裡にあらはれて居たやうに思ふ。