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文献名1冬籠
文献名2〔一〕綾部の冬籠よみ(新仮名遣い)
文献名3(四)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ17 目次メモ
OBC B142500c06
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本文  秋山さんは前年皇道大本で発行した「この道」と題せる小冊子を、何処かで披見したことがあり、それから一度は綾部といふ所へ行つて見たいと思つて居たさうである。海軍士官のこととて卸々其機会が無くて困つて居たところ、今回其坐乗せる軍艦「吾妻」が舞鶴へ入港したのを幸ひ、早速訪問したといふことであつた。秋山さんは当時水雷戦隊の司令官であつたのである。
 着眼の奇警雋敏、他人の軽々に看過するところを、いち早く見付け出すといふところが、秋山さんの独壇場ともいふべき点で、恐らく海軍部内に類倫を絶てるばかりでなく、日本全国でも肩を並べ得るものはあまり無かつたに相違ない。薄ツペらな、極度に印刷の汚い「この道」一冊で、大本に対して大体の見当をつけるといふのは、確かに鈍眼凡骨者流の企て及ぶ芸当ではない。煙を見てその火たるを察し、角を見てその牛たるを知るなどよりは、何れ丈け困難な仕事であるか判りはせぬ。これにくらべると、立派に印刷された大本神諭を提供され、又これほど迄に変化せる世界の現状を見せつけられ、尚ほ且無我夢中で、お目出度いことを並べ立てる腐儒学究の徒の頭脳の働きの鈍さ加減、血の運りの悪さ加減は誠にお話にならぬ。秋山さんのやうな人は、ややもすれば余りに機敏過ぎて失策り、又これ等の連中は余りに鈍重すぎて失策る、なかなか思ふ壺には箝らぬものだ。
 実際出口先生も自分も、秋山さんの呑み込みの迅いのには舌を捲いて驚いた。一をきいて十を覚り、片麟を見て全竜を察するといふ趣があつた。僅か数時間の会見で、大本の概要は残る隈なく秋山さんの腑に落ちて了つた。大本神諭の予言警告をきいても、神人合一の原理原則をきいても、日本国並に日本の使命天職をきいても、スラスラと何の苦もなく受け入れて了ふ。さながら長鯨の百川を吸ふと言つたやうな概があつた。日暮辞して帰るまでには、秋山さんの決心は八九分までついたやうであつた。
『本当の神さんは確に爰だと思ひます。これからみツしり修業にかかりませう』
 自分に向つて斯んなことを言つた。
 尤も秋山さんが、神霊問題に就いて、かくも理解が鋭かつたのは、ただその頭脳が雋敏であるといふ以外に、別に有力なる原因があつた。外でもない、その日露戦争中に於ける貴重なる霊的体験であつた。
『従来は誤解を受けますから、誰にも発表したことはありませんでしたが、あなたにだけ`話します。』
 と前置きして秋山さんは次の物語を自分に漏らしたのであつた。
 一つは浦塩隊が突出して常陸丸金州丸を襲撃した時の事であつた。日本の上下はこの奇襲に遇つて色を失つて震駭した。上村艦隊は直に前線地から招致されて、敵艦隊の撃滅の任に当つたのであるが、いかに急つても悶いても、出没自在なる敵の行動の不明なるが為めに、徒らに業を煮やすのみで如何とも手の下しやうがなかつた。復讐の急に燃ゆる国民は、もどかしがつて上村将軍を罵倒するものさへあつた。日本全国はまるで鼎の湧くが如きものがあつた。
 秋山さんは当時東郷艦隊の中佐参謀として、軍艦三笠に乗組み、旅順の封鎖任務に従事してゐた。無線電信で、頻々としてこの情況が報告されるが、勿論東郷艦隊としては、旅順の沖を一時も離れることは出来ない。その時分の秋山さんの苦心焦慮は極点に達した。
 問題は浦塩艦隊がいかなる行動を執るかであつた。日本海を通過してそのまま浦塩に引きあげるか、それとも日本の東海岸に突出して日本艦隊の空虚を衝き、散々あばれ散らした上で、津軽海峡若くは宗谷海峡を抜けて帰航するか、上村艦隊は之によりて追撃の方策を決定せねばならぬ。普通の人間智慧で考へたところが、二者何れも有り得べき事で、到底断定的結論を下すことは不可能である。しかし上村艦隊としては、その何れかに目標を置いて索敵運動を開始せねばならぬ。成功不成功はこの際の一断によりて別れるのであるから大変だ。人間の相場は斯んな時に決定する。機敏の間に可否の判断を下して、そして百発百中決して誤らぬ人が、生きて一世の師表と仰がれ、死して百代に廟食するのである。
 人間が幾ら智脳を絞つて到底決し兼ねる時、人間が匙を投げて神の前に鰭伏した時、神は初めて真心の人を助けるといふ事を、この際秋山さんは初めて体験したのであつた。
 終夜考へ尽して考へ得ず、疲労の余りとろとろと仮寝んだかと思はれた瞬間、秋山さんの閉ぢたる眼の中が、東雲の空のやうに明るくなり、百里千里の先まではつきり見え出した。不図気がついて見ると、眼裡に展開したのは日本の東海岸の全景で、そして津軽海峡が向うに見えるではないか。
 尚ほよく注意して見ると、今しも三艘の軍艦が津軽海峡を目指して北へ向つて航する。その三艘は夢寐の間にも忘れ難い、予て見覚えのある浦塩艦隊のロシア、ルーリツク、グロムボイではないか。
『彼奴ども東海岸を回つて津軽へ脱けるのだナ』
 かくて直覚した瞬間に、海も波も艦も一時にパツと消えてパツチリ眼を開けた。夢か夢にあらず、現か現にあらず、秋山さんは生来初めての経験とて、霎時は戸惑ひの気味であつたが、これは予て聞き及べる霊夢といふものだなと悟つた時には、覚えず感泣の外なかつたさうだ。
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