文献名1冬籠
文献名2〔一〕綾部の冬籠よみ(新仮名遣い)
文献名3(八)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
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データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ33
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綾部へ引越し早々、秋山さんの来訪から海軍士官の大挙参綾となり、そのドサクサ紛れに、他の方面の人々は少々影が薄い形になつて了つたが、実は綾部生活の初期に於て自分として書落してはならぬ人々が少しはある。忘れぬ先に一寸書いて置かねばなるまい。
自分と綾部との連絡者として、忘れてならぬのは飯森機関中佐である。自分はこの人を通じて初めて大本を知り、そして最初の約半年間は、この人を師として幾多の疑団を説くことが出来た。何所までも、飯森さんは自分にとりて道の恩人であり、教の先輩である。この人なかりせば自分などは今頃尚ほ善い気になつて海軍の粟を喰み、そして下拙な謡曲でも唸つたり、横好きの小説でも書いたりして、無意義な月日を送つて居たかも知れぬ。
けれども、道しるべの恩義は恩義で、信仰に対する態度に至りては、全然別問題として取扱はねばならぬ。是は飽までも是、非は飽までも非、決して二者を混淆することは許さるべきではない。
露骨に言ふと、自分が飯森さんの信仰に飽き足りなく思ひ出したのは、大正五年の六月、同君が横須賀再訪の時分からで、その感は同年八月綾部参籠中に一騒濃厚となり、十二月綾部に引越してから、更に一冊濃厚となつた。私情私交の上からは、これほど心苦しいことはないが、思ひ切つて言ふ丈けのことは爰で言つて了つて、一方に飯森さんの教へを乞ふと同時に、他方に於ては天下の信仰に入る人々の参考にも供したいと思ふ。
自分から見ると、飯森さんの大本信仰の態度には幾多の矛盾がある。飯森さんは口には大本神諭を尊重する。又実際その部分々々を信仰することは確である。しかし、平然としてその中の何箇所かを無視して省みない。神諭の中には、明かに教祖の霊格を指示してあると同時に、二代澄子刀自教主輔出口先生等の霊格をも指示してある。しかし、飯森さんはドウも出口先生その他二三の人を信ぜぬらしい。神諭の中には、人間又は動物の霊魂について屢次言及され、且それ等の霊魂が厳として個性を具へたる客観的実在であることを明記してある。しかし飯森さんはさうは考へて居らぬらしい。神諭の中には、霊学が天授の神法であり、大本の教を開くには神諭七分、霊学三分にせよと教へてある。けれども飯森さんは霊学を排斥して、催眠術の一種であるなどと言ひたがる。神諭の中には、明かに世の立替立直しが幽界と共に現界にも及ぶ所の一大事実であると教へてあり、実際又神諭に警告されて居る通りの事が、明治二十五年以来、着々として現世界の表面に出現しつつある。しかし飯森さんは、神諭の立替立直しは単に精神界丈の事で、現界とは没交渉だなどといひたがる。数へ立つればまだまだ沢山ある。自分は什麼しても、飯森さんを条件付の大本信者としか思へなくなつた。大本神諭の絶対排斥論者に比ぶれば、五歩も十歩も進んで居ることは確かだが、要するに、其様な事なら大本教の信者たることをやめて、自身飯森教の教祖になるより外に途はないではあるまいか。で、自分は幾度か飯森さんに向つて苦言を呈したのであるが、不幸にして自分の主張に誤謬があるのか、それとも、自分に同君を導く丈の誠意と力量とがなかつたか、飯森さんは次第々々に自分と遠ざかり、又大本と遠ざかつた。
自分が綾部へ引越した頃飯森さんは居を「新建」にかまへて居た。で、雑誌「神霊界」を刊行するにつけては、自分は内心大に飯森さんの援助を期待して居たところが、ドウも飯森さんは引籠り勝ちで、いかに勧めても一度も筆を執らなかつた。海軍士官の雲集するに当りても、飯森さんは多くは吾不関焉の態度を執り、一向教理の説明紹介等には骨を折つてくれなかつた。又何と思つたか一月半雪の三尺も積つて居る最中、同君は大本を出て本宮山頂の破屋に引移り、極端に超然主義を発揮しようとした。が、その期間は短く、まもなく郷里のお母さんが亡くなると同時に、そのまま能登に帰り、大本には再び姿を見せなかつた。飯森さんのその後の動静は、余り詳しい事を知らぬが、一二年の後、能登から東京に出で、東京から地方にも移り、近頃は京都辺に居を構へて居られるらしい。一二度綾部にも顔を出されたが、自分は落着いて話をして居る暇がなかつたので、最近の信仰が元の通りか、それとも少しは違つて来たか、さツぱり判らない。しかし余り綾部へ寄りつかぬ所を見ると、依然として大本神諭の部分的信仰者、唯我独尊の飯森教創立者ではだからうかと思はれる。自分としては、この人にして什麼してかく迷へるかと、衷心から気の毒であり、又残念であるが、飯森さんから自分を見ると、大本神諭の盲従者、向不見の猛進家、精神的王国の建設に満足することを知らずして、現界の改造などに向つて下らぬ努力を払ふ没暁漢、飛んでもない者に大本を紹介したものだと、今頃は後悔して居るかも知れぬ。飯森さんの事は、一般の読者にはいささか縁の薄い、興味なき話かも知れぬが、大本の沿革及び自分の閲歴の上には、肝要な事であるから、筆の序に一回分丈余白をかりて書いて置く。