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文献名1冬籠
文献名2〔一〕綾部の冬籠よみ(新仮名遣い)
文献名3(十三)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ54 目次メモ
OBC B142500c15
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本文  二十八日で全快すると、谷本さんに断言したはいいが、矢張り気にはかかつた、癒る癒らぬは大部分当人の改心如何によるのだから、自分としてはそれまでに是非先方を改心せしめねばならぬ。
 で、自分は一心に神様に祈願をかけると同時に、早速谷本さんを金竜殿に連れて行つて鎮魂に着手した。
 一二回鎮魂をやつて居る中に、そろそろ手応へがあり出した。たうとう四回目かの時に、言葉をきらせる事に成功した。
『何誰です? 御守護神さんの御名を伺ひます』
 何時もやる紋切形の質問を発して見る。飽まで善言美詞を用ふるといふのが神の道なので、よしや、先方が狐狸の霊と知れて居ても、最初は鄭重に出るのを法則とする。頭から慳貪な、粗硬な言語を用ふると、内々改心帰順する気持のものまでが反抗したがる。什麼しても言向け和すことを忘れてはならない。
 谷本さんの憑依霊の狐であるのは、実は最初から自分に知れて居た。奴さん何と返事するかと見て居ると、中々勿体振つた態度を執つて、
『少彦名命』
 と名告つたものだ。自分は之をきいた時に、微笑を禁ずることが出来なかつた。少彦名命は数ある神様の内でも、最も小柄の神様で、指の股から逃げ出したといふ事が、神話に残つて居る。四尺七寸五分の谷本さんをこれに見立てた手際は、確かに甘いと言はねばならぬ。
『狐は狐だが、こりや少し気のきいた狐だワイ、一筋縄では行かぬかも知れぬ』
 と心の中に思つた。
『少彦名命と仰ツしやると、何誰のお児さまですか』
『この方は神皇彦霊神の児であるのだ』
『いかなるお役目の神さまですか』
『先づ医術ぢやナ、薬などといふものは、皆この方から授けたものぢや』
 古事記や日本書紀に載せてある位の事はスラスラ答へる。一寸この方面から尻尾がつかまりさうにもないので、自分はいろいろと胸の中で工夫を凝らしたが、さて善い考へも浮ばぬ。
『什麼いふ因縁を以て、谷本の肉体に、お懸りなられましたのですか』
『谷本はこれでなかなか役に立つ男ぢやから、選抜して使うて居るまでぢや』
『然らば少彦名命には、他の肉体にもお懸りなさることがありますか』
『そりや懸つたことがある。世界経綸の使命に与るこの方であるから、屢次海外にも出張し、外国人にも懸つてやらねばならぬ』
 と却々気焔を吐く。自分はいささか追窮の糸口を見出したと思つた。
『外国方面では、最近何れの国に御出張なされましたか』
『独逸へ行つてまゐつた』
『独逸の何人かにお懸りでしたか』
『独逸ではあのカイゼルに懸つて仕事を致した』
 いよいよ占めた! と自分は私かに北叟笑んだ。
『カイゼルにお懸りなされましたか、然らば、少彦名命には、独逸語には御精通のことと信じます』
『独逸語か……。知つて居る』
 と少々躊躇の気味ではあつたが、騎虎の勢ひで、かく言ひ切つた。
 自分の独逸語の知識も頗る貧弱であるが、半分出鱈目を混ぜて早速独逸語で喋り出してやつた。イヤ流石の自称少彦名命様もこれにに大に惶てた。自分の質問に対して何と答へる詮術を知らず、只口をモグモグさせる丈であつた。
『独逸語に御精通だと承つて居りますが、何故さう御遠慮を遊ばします。万望独逸語で、拙者の只今の質問に御返事を願ひます』
『…………』
 自分は谷本氏の憑依霊の当惑した様子を見て、可笑しくて耐らなかつた。噴飯したいのを無理に我慢して、
『いかがですか、独逸語は余程お忘れの御様子ですナ。私も独逸語は大抵忘れ了つたが、神さんでも矢張りお忘れなさるものと見える』
『そりや神でも忘れる……』
『独逸語の一、二、三、四は何といひましたかナ、それ位の御記憶はありませう』
『ムムそれ位は覚えて居る……』
『言つて戴きます』
『ワン、ツー、スリイ……』
 とうとう自分は失笑して了つた。
『冗談ぢやない、それは英語の一二三だ。その様子では、貴下が少彦名命と名告るのも、ドウも余り信用が出来ない。他所へ行つてなら、何と出鱈目を言つても宜しいが、大本の大神様の前では嘘詐りは御慎みください。芝居気は廃して、本当の事を白状なさい。それが改心の第一歩ぢや』
『イヤ嘘詐りは言はぬ。この方は全く少彦名命に違ひはない……』
『黙れ!』
 と自分は大喝した。
『少彦名命であるか、それともさうでないかが、大本の審神者に判らぬと思ふか。大神様は改心の実を挙げたものから、救ひの綱をかけられる。神の名を詐称するやうでは、まだまだ改心には距離が遠い。さア早く有りのままを白状せぬか』
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