文献名1冬籠
文献名2〔二〕春から夏にかけてよみ(新仮名遣い)
文献名3(二)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
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データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ89
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海軍大尉の篠原国彦氏が初めて姿を綾部に現したのは、山国の春尚ほ浅き三月の十七日かであつた。数ある大本信者の中でも、篠原君位神の試練に逢ひ、波瀾曲折の数々を踏み、苦心に苦心を重ねて来たものは余り沢山はない。大本神諭には、
『因縁の身魂には神が綱をかける』とあるが、成程これが神の綱といふものであらうと肯かれる位、露骨にかけられて居た。又、
『罪穢の甚い所にはそれぞれ身魂の借銭返済がある』
とあるが、成程これが過去の罪穢を払つて居るのだなと思はれる程度に、猛烈な修祓を受けたものだ。現在大本の役員として働いて居る人であるから、其人の身に起つた一伍一什を、細大漏らさず有の儘に書き立てるのは、いささか自分としても心苦しいが、しかし、之を黙殺するのは余りに教訓に富み、余りに興味があり過ぎる。思ひ切つて素破抜いて了はうと思ふ。
自分が初めて篠原君に逢つたのは、大正五年十二月の初旬、綾部へ出発の数日前の事であつた。その頃篠原君は無論現役の身の上で、近く独逸から奪つた南洋のサイパン島無線電信所長に任命せられ、赴任するといふ間際であつた。南洋通ひの汽船の出発が、予定よりも数日遅れたばかりに、同君は汐留の旅館三浦屋に泊り込んで居た。陸に上つて居る時の海軍士官は遊ぶことばかり考へる。篠原君も、呑気な事にかけては人後に落つる人ではなかつた。球でも突かうか、浪花節でもききに行かうか、飲みに行くのも悪くないが、それにはチト金が足りないなどと考へて居る所へ、丁度三浦屋に泊つて居られた出口先生の風評を耳にした。それが動機で篠原君も中里の自分の所へ訪問して来た。篠原君と大本との最初の連絡は、偶然も偶然、殆ど滑稽に近いものであつた。若し、南洋通ひの汽船の出発が遅延せねば、篠原君は綾部の事などは知らずに南洋へ出掛けたであらう。さうでなくとも、若しあの晩浪花節でもききに行つたら、矢張り綾部の事は知らずに済んだに相違ない。船が遅れて三浦屋へ泊り込んで、そして出口先生の風評をきいて、自分の所へ大本の話をききに来たばかりに、切つても切れぬ関係が出来て了つて、たうとう現職をも離れ、懸命に今や大本の為めに努力して居る。神から見れば何事も予定の行動であらうが、神のまにまに使はるる人間から見れば随分不思議に思はれる。
一通り篠原君を捉へて大本の話をした上で、自分は例の鎮魂に取り懸つた。すると五分と経たぬ間に大発動をやり出した。先ずバタンバタンと畳から一尺許りも跳び上る。そしてズンズン自分の方に向つて突進する。
『何誰?』
と名前をきいて見る。
『名前など名告る必要はない。知りたければ勝手に査べろ!』
と乱暴なことを言つて、ブツブツと強く意気を吹きかけながら、自分の膝に突当つて、尚ほ熾んに跳ねる。自分はなだめるやうに、
『審神者といふものは神さまのお名前を質問する資格を有つて居ます。これは神格の高い低いに拘はらない。何卒穏かにお名告りください。何誰です?』
『名前なんぞあるもンか! 知らん知らん!』
不相変暴れ散らして手がつけられない。仕方がないから大喝一声、
『莫迦ツ!』
と呶鳴りつけて見た。先方では益々怒り出したが、然し審神者に向つて突撃して来る程でもない。ただ何やら空気焔を吐きながら、ドシンドシンと跳び狂ふのみであつた。この頃の自分は、もうこれしきの事には驚かなくなつた。打つてかかわば縛るまでと、多寡を括つて身構へして居るだけだ。先方でも畏い事は知つて居るから、矢鱈と跳びついても来ない。
出口先生も三浦屋から来合せて居られたが、この様子を見るや、篠原君の背後に回り、そして軽く霊縛を施された模様であつた。
自分は一通り訓戒を与へた後で鎮魂を止めた。自己に復つた篠原君も、いささか呆れて、
『大変暴れて、失礼なことを申したやうですが、私に憑いて居るのは一体何ですか』
『天狗さんどす』
と出口先生は打笑ひながら。
『何か悪霊でも懸つて居るかしらと思つて、貴下の背後に回つて査べて見ましたが、野天狗さんが独りで気焔を吐いて居る丈どした』
兎に角此をきツかけに、篠原君は尚ほ一二回訪ねて来て、霊学上の問題やら、立替立直の話やら多大の興味を以て研究を始めた。鎮魂も続いて実行した。言葉を切るのが非常に楽な天狗さんで、普通の談話とかはらぬ程流暢に喋つたが、何をいふにも篠原君は出発間際であつたし、又自分も引越し騒ぎの最中であつたので、双方ともに十分の意を尽す遑なくして別れねばならなかつた。その際自分は宮沢君の例などを引き、改心せざる副守護神の予言の、決して信頼してならない所以を、呉々も注意したのであつたが、後に至りて見ると、矢張りある程度までの失敗は免れなかつた。