文献名1冬籠
文献名2〔二〕春から夏にかけてよみ(新仮名遣い)
文献名3(三)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
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データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ92
目次メモ
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南洋勤務中、篠原君はその自由自在なる天言通を利用して面白半分に、予言だの、当てものだのを行つたが、最初はそれが不思議なほど的中したそうだ。部下の水兵などをつかまへて、その郷里の地名やら、家族の姓名、年齢、職業、容貌など容貌などを当てる位は朝飯前の仕事であつたので、何れも舌を惓いて驚嘆したといふことだ。
が、善い気になつて濫用して居る中に、段々それが不正確になつて来た。時々大間違をやつて、飛んだ愛嬌の種を蒔くこともあつたさうだ。これは何れの神憑者の場合に於ても常に見る現象であつて独り篠原君に限つたことではない。霊覚といふものの性質さへ判れば当然の話である。兎角現代人士は自我本位で、他人を自己の奴隷にせんとするのみならず、又神をも奴隷にせんとする。霊覚といふものは、神が人に与へるものであつて、人の能力ではない。故に人は常に霊覚に対して敬虔感謝の意を失つてはならないのだ。神が主にして人は従なのだ。然るに多くは之を覚らず霊覚の濫用をやる。霊覚の濫用といふことは取りも直さす神を奴隷視することだ。最初は神の方で大目に見てくれるが軈て愛想をつかして了つて、懲しめの為めに態と嘘を教ふるやうになる。篠原君の予言が段々外れ出したのは、詰まり霊覚濫用の弊を語るものであつたのだ。
霊覚が段々外れ出したのはよいとして、これと同時に睾丸が段々腫れ出したのには、流石無頓着の篠原君も弱らざるを得なかつた。お肚の中からは天狗さんが盛んに呶鳴る。
『篠原、貴様は斯麼所で愚図々々して居る人間ではない。早く綾部へ行つて修行しろ! 貴様の睾丸は俺が痛めて居るのだ。命令を奉ぜぬと最ツと腫らしてやるぞ!』
負けぬ気の突ツ張つた篠原君は、ただ穏しくその命令に服従してばかりは居ないで、お肚の天狗さんと議論をした。
『自分は官命でこの島に来て居るので、勝手な行動は取れない。其麼無理なことをされては困ります』
『貴様が困らうが困るまいが、俺は神命で睾丸を痛めて居る。痛くて職務が取れぬなら病気引入れをして内地へ帰れば可い』
『そりや余り乱暴だ。そんな無茶な神があるものか』
『無茶でも何んでも俺は神命でやつて居るのだ。穏しく命令に服従せい!』
『厭だ! 邪神の命令なんか聴くもンか』
『聴かねば聴くやうにしてやる』
言未だ終らざるに、睾丸は俄然としてイヤといふ程締めあげられる。何にしろ急所を握られて居るのだから耐らない。鬼の眼に涙を浮べながら、
『まア待つてください。軍医に見せて相談しますから……』
兎も角も診察を受けると、軍医も大変心配して、内地でなければ本当の治療は出来ないといふ。幾回か斯んな問答と診察とを重ねた上で、たうとう病気引入れ、内地帰還といふことになつた。
軍医がしきりに福岡の医科大学を推薦したので、篠原君は先づ其所へ行つて診察を受けた。医者の方では睾丸截取の大手術が必要であるといふ。天狗さんの方ではそんな事をしては可かん、綾部へ行けと命ずる。篠原君は考へた。睾丸を除去すれば男子として死んだも同様だ。其様な事をしてまでも生きたくはない。癒る癒らぬは別問題として、兎も角も綾部へ行つて見よう。
たうとう一両日で福岡を引きあげ綾部へやつて来たのであつた。
普通ならば余程悲観すべき身の上であつたのに、篠原君は案外呑気な所があつた。南洋滞在中の神懸りの失敗譚などを、恰かも人の風評でもするやうに面白可笑しく快活に物語る。腫れ上がつた睾丸を平気で他に見せて事実の証明をやる。退屈すると料理屋へ行つて大に痛飲する。玉突をやる。戻つて来ると霊学上の問題を提げて議論を吹きかける。時には神諭に読み耽つて、深く深く考へ込んで悔恨の涙を流す。一人で八人芸を演じつつ、常に問題の種を蒔いて居た。
かかる中にも自分は篠原君をつかまへて鎮魂をやつたが、不相変盛んに発動して縦横に言葉を切つた。懸つて居る天狗さんは随分放縦な性質で、可なり出鱈目もいへば、反抗もするが、しかし何処となく無邪気な、淡白な所があつて、自分は心から怒る気になれなかつた。
『篠原の睾丸を何故腫らすのだ』
『知らん! 神様が腫らせといふから腫らしたまでだ』
『篠原はモウ改心して居る。さう何時までも虐めては可かん』
『ナニ篠原の奴、まだ改心などするものか。俺が睾丸でも痛めて置かぬと、何んな道楽をするか知れん。俺が憑いて居て改心させるのだ』
『憑いて居て酒を飲ませるのも汝だらう』
『時々酒位は飲む』
『それでは駄目だ。汝から先づ改心せんければ、篠原の改心は出来はせん』
『ムム承知した』
斯んな問答が何回となく審神者との間に交換された。偶には天狗と知りつつ自分は、
『お名前を伺ひます』
などと訊いて見る。すると、決つて、
『この方は菅原道実だ』
などと判り切つた嘘をいふ。
『菅原道真公と仰しやると、何年何月何日にお亡くなりになりましたか』
『知るもンか!』
『何故さう嘘を言ふ。改心せい!』
『改心なんか大嫌ひだ! 大本などといふ窮屈な所にはモウ用がない』
『縛る!』
と自分は大喝する。見る見る天狗は霊縛せられて大悲鳴をあげる。
『痛……痛い! 堪忍々々!』
自分が天狗さんを縛つたのは、三度や五度ではなかつたやうに記憶する。