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文献名1冬籠
文献名2〔二〕春から夏にかけてよみ(新仮名遣い)
文献名3(五)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ103 目次メモ
OBC B142500c27
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本文  篠原君が盛に発動して、苦しんで居る最中に、いつしか丹波の山奥にも春が訪れた。その来ることは遅々として牛の歩みの如くであつたが、いよいよ来たとなると、山国の春の常として一時に勃発した。梅、桃、桜などが矢継早に咲くは、開くは、ツイ先達まで雪に埋もれて姿を見せなかつた野山の草も、畠の野菜も一時に青々と茂り出した。
『いよいよ春の盛りだナ。矢張り綾部の春も佳い』
 大本への往復の途中には、覚えず立ちどまつて、つくづく周囲を見まはすこともあつた。
 が、それはせいぜい五分間位のもの、大本に居ても自宅に居ても、自分は常に求道の人々に囲繞されて、神さまの話と、鎮魂の実施とに全然没頭し切り、却々春の気分を味はつて居るどころの騒ぎではなかつた。その後幾度春を迎へても、自分の身体は段々忙しくなるばかり、今年で五年になるが、自分はまだ綾部の町中すら碌に知らずに居る。況んや付近の名山勝地を歴めぐりて、烟霞の欲を恣にするなどの余裕は一層無い。
 気候が良くなつた所為か、四月に入つてから、色々の人が尋ねて来る。岸一太博士が初めて大本に参拝したのは、たしか四月の七日であつたと記憶する。岸さんは秋山さんなどと同じく、例の天然社組の一人だが、最初から深く大本神諭に感心した一人で、爾来今日に至るまで其信仰は一直線に進んでゐる。早速自分が鎮魂したが、ただの一度で天眼通の体験を得たなどは、随分神さまの綱のかけ方の早かつた人と言はねばなるまい。たしか参拝の翌朝のことであつた。岸さんは、宿屋の一室で、火鉢の傍に坐つて、試みに鎮魂の姿勢を取つた。すると閉ぢたる眼の中に、茶盆の上に載せてあつた茶壺の内部が見え透いたではないか。尚ほ熟視すると、その茶壺は空つぽで、中に茶が入つて居ない。
『鎮魂を終つてから、念の為めに茶壺を開けて見交したが、矢張り茶が入つて居ませんでした』
と岸さんは其日自分に物語つて居た。
 岸さんは間もなく帰京したが、早速自身と入れ違ひに、同氏の鉱山に勤務して居る採鉱技師の金谷謹松氏を修行の為めに派遣した。最初金谷さんは一週間位修行の予定であつたが、それが一箇月にも延び、それから幾度も往来して居る中に、たうとう大正九年になつてから、綾部へ引越して了つた。この人の事については面白い話が沢山あるが、ホンの輪廓だけでも掻いつまんで書いて置かう。
 金谷さんは海外に十七年も居た人で、帰国後も洋服より外に着たことがないといふ人であつた。かく言ふと、非常にハイカラ男のやうに聞へるが全然その正反対で、腰には常に職業用の鉄槌その他をブラさげ、草鞋脚絆で、山の中ばかり歩き回つて居る人であつた。綽名が「山の叔父さん」と呼ばれる位山の奥に籠つて居た。そして採鉱事業にかけては不思議な才能を有つた人で、一と目見て大概金銀銅鉄の所在を直覚して了ふ。従つてこの人の力で発見された鉱山の数は実に多い。
 金谷さんには欲もなければ得もない。埋れて居る宝を掘出しさへすれば、それで沢山なので、掘出したもので自己の資産を作らうなどといふ観念は一向無い。尤もそれだから斯んな採鉱家になれたので、欲があるものには神が直覚を与へない。直覚がなければ、何事をするにも人神の妙技を発揮し得ぬが、就中採鉱などといふ暗中摸索の仕事は到底勤まらない。
 常に山に起臥して、天然と親んで居るだけあつて、金谷さんは歯の浮くやうな洋行帰りとは全く異り、非常に敬神の念が強かつた。天狗の話などすると、現代人の多くは鼻の端でせせら笑ふが、金谷さんは、自身天狗の存在を体験して居た。
『山奥にばかり住んで居て見ると天狗にはよく遇ひます』
と金谷さんは真剣に物語るのであつた。
『坑夫などは天狗のことをよく知つて居て大変畏がります。天狗が通る時は、俄かにザーツと風が吹いて来て、青葉でもバラバラ散るものです。私も何遍か其麼目に逢ひました。凝乎とすかして見ると、チラリと何物かが見えるやうに感じます。天狗が居ないなどといふのは、何も知らん奴のいふことです』
 兎に角金谷さんは、大本を知らぬ時から、大本式に出来上つて居た人であつた。ただ最初坐ることだけは拙で、鎮魂の時に困難を感じたが、一週間位で立派に坐れるやうになつた。そして三週間ばかり過ぎた時には霊眼がそろそろ開け出した。従来直覚で働いて居た人が、今度は霊覚といふことになつたのだから、誠に鬼に金棒で、その後同氏の発見にかかつた鉱山の数は幾十かに上るさうだ。就中青森湾で見つけた鉄鉱は、無尽蔵に近いもので、その質も良好との事だ。岸さんの鉱山事業の裏面には、かかる人物の活動が与つて居たのである。
 現在金谷さんは、綾部で神饌用の野菜作りに懸命の努力を払ひつつあるが、何れ、時節が来ればその天分を十二分に発揮することと思ふ。
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