文献名1冬籠
文献名2〔二〕春から夏にかけてよみ(新仮名遣い)
文献名3(七)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
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データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ111
目次メモ
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五月八日には香森といふ法学士が参綾した。この人が又秋山、岸、谷本等の諸氏と同じく、例の池袋の天然社組だ。大方秋山さんか但しは谷本さんから、大本の話をきいて来る気になつたのであらう。曾て××大臣の秘書官を勤めたり、××会社の重役を引受けたり、相当の社会的経歴を有せる上に、薩摩の出身と来て居る。豪放磊落の表皮の下には、却々巧智と才弁を蔵し、一寸した応対の間にも、却々人を外らさぬ如才なさがほの見えた。
『大本へも却々面白い人物が来るやうになつたものだ』
と自分は心強く思つた。
例によりて、大本の説明に二三時間を費し、夜の九時頃になつてから、金竜殿で鎮魂といふことになつた。其時分には夜間の鎮魂には燭台を使用した。四十八畳の広間の真中に、たつた二本の小蝋燭を点すのであるから、室内は随分薄暗い。夜気陰々として身に迫るものがある。其処に神主と審神者ただ二人相対して坐り、ヒユーと神笛の音が闇を破るのだから、自ら玄妙隠微の趣が漲り亘りて、いかにも幽斎の修行らしい気分がする。
香森法学士は洋服であつたが、出来る丈洋袴を緩めて正座せしめた。ドウモ洋服姿の鎮魂は余り感心しないが、今の世では、これも或る程度まで止むを得ない。日本人は腹力と腰が据つて居るものと見え、洋服のままでも大抵正規の姿勢を取り得るが、欧米人と来ては呆れる程下拙なのが多い。下腹部がペコンと折れ込み、背が丸くなり、窮屈さうに折つた膝だけが、ヌーツと前方に突出して居る様子は、什麼しても長髄彦の末孫としか思はれない。昨年中参綾の西洋人を捕まへて、両三再四試みたが、何れも其麼状態であつた。この点は先天的に備はる国民的特色で、余程根柢が深いやうだ。大石凝先生に言はせると、膝と胴と直角を為す跪坐の姿勢が、天地陰陽の真精を表現せる最も正しいもので、これは日本人特有の姿勢だとある。其所説の当否は尚ほ攻究の余地があるにしても、少くとも世界の人類中、跪坐を以て常態とせるものが、日本人に限るといふ事は、余程考へねばならぬと思ふ。支那人、印度人でさへ甘く行かない、欧洲人に至りては、椅子などを工夫してその長い脚を持て剰して居る。吾々日本人が自己の天賦の特長を無視して、何を苦しんで胡坐をかいたり、腰を掛けたりする必要があらう。ドウも日本人は、跪坐した時に初めて心身の正調を維持し得るやうだ。近頃日本のハイカラ達の間には、応接間などを洋式にするのが流行であるが、これは飛んだ心得違ひではあるまいか。椅子に腰を掛けるのは、欧米人の方が遥に引立ちて見え、初対面の刹那に於て、此方に七分の損失がある。矢張り堂々と日本座敷に引見して、持つて生れた下腹部と腰の強味を、十分発揮して見せるべきであらう。兎角日本人は自己の長所を没却し、対手の長所を模倣することにのみ力めるから頭が上らない。取敢ず日本の在外大使館や外務省の建物などは、早く純日本式に改造し、畳の上で折衝することだ。さすれば日本の外交もずツと刷新されるかも知れない……。
イヤ香森さんの洋服鎮魂から、ツイ筆が脱線した。困つた筆だ。大急ぎで話を続ける。香森さんが発動状態になつたのは、坐つてから約十分の後であつた。閉ぢて居た眼がいつしか開かれて、ギロギロと審神者を睨めつける。それが明滅する蝋燭の灯に反射して、気味悪るいこと夥しい。その中組んだ両手が自から解けて、拳固を握つて両膝に突き立て、双肩を山のやうに聳えさせ、唇辺には一種の豪傑笑ひを湛へた。什麼見ても物騒千万、ただでは済みさうに見えぬので、内心聊か警戒しながら、先づ其神名を質問した。
『何誰ですか、御名を承ります』
豪傑天狗却々返事をしようとせぬ。ただニヤニヤ大きく笑つて居る。折から外は雷雨模様で、ピカピカゴロゴロ、刻々物凄い無言劇の場面を繰り広げる。
自分は再三再四、天狗さんに問答を促したが、什麼しても口が開かず、黙つて威張りかへつて居る。いかにも、審神者などは眼中に無いといふ態度だ。さりとて審神者に喰てかからうともせぬので、此方から攻勢を取りて無下に縛ることも出来ない。仕方がないから一つ、
『莫迦!』
と呶鳴りつけて見た。すると突嗟に、先方から、
『莫迦!』
と鸚鵡がへしをして来たが、依然として乱暴はせぬ。自分は如何に之を処分すべきかについて大に困つた。言葉を切るなら理屈で責めつける。乱暴を働くなら霊縛して懲らして呉れる。ただ黙つて威張つて居る奴は始末にいけない。このまま鎮魂を中止するのは何んでもないが、それでは一野天狗に翻弄された気味があつて、腹の虫が承知せぬ。百方苦心の結果、一つ睨み倒して呉れようと決心した。自分は黙つて、何時までも凝乎と、先方の眼を鋭く見詰めに見詰めた。
暗い蝋燭の光、ザアと降る大粒の雨、ゴロゴロピカピカ。そして天狗と審神者との睨めツ競。
これが約三十分ばかりつづいたが、たうとう天狗は耐へ切れず、香森さんの身体を突き飛ばして置いて、ぱツと逃げ出した。初めて自分自分にかへつた香森さんは、
『イヤ飛んだ失礼をしました』
と挨拶したが、常識では解し兼ねる今の態度について、深く深く考へ込んだ様子であつた。