文献名1冬籠
文献名2〔二〕春から夏にかけてよみ(新仮名遣い)
文献名3(八)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
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データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ115
目次メモ
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香森さんの鎮魂で、自分は初めて対手の霊を睨み倒す事を覚えた。昔から『睨みがきく』といふ俚諺があるが、成程眼力といふものは豈夫の時に威力を発揮するものらしい。例の金谷さんの話に、ある時山奥で坂をスタスタ駆け降りると、バツタリ大熊に打ツつかつたことがあるさうだ。三四尺の距離を隔てて熊と差し向ひになつたので、金谷さんも進退谷まつたが、熊の方でも一寸困つた。
この時若し金谷さんが、弱点を見せて逃げ出しでもすれば、すぐにヤラれるのであつたが、さすがは「山の叔父さん」だけあつて、ウンと下腹部に力を入れ、熊の眼を睨みつけること十分許り、最後に
『莫迦!』
と一喝した。すると件の大熊は、クルリと後を向いて逃け出したさうな。
『猛獣などに出遇つた時は睨みつけるに限ります』と金谷さんは言つて居たが、これは猛獣のみに限らず、すべての場合に適用し得る、一の秘訣であるらしい。藪睨みは感服出来ぬが、正面からの大睨みは忽かにされぬと思ふ。
それは兎に角二度目に香森さんを鎮魂した時は、モウ野天狗の発動はなく、立派な鎮魂状態になつて居た。爾来爰に足掛五年、同君の信仰はいよいよ金鉄の如く、あらゆる栄職の申込を片ツ端から排斥し、イザといふ場合に国家、皇室の為めに蹶然奮起すべき機会の来るのを、心静かに待つて居るらしい。五年間飛ばず鳴かずのその態度には、確に見あげたところがある。何れ天下の耳目を驚かすほどの、大飛躍大鳴動を起すのではあるまいか。
香森さんに引続いて、天然社関係者が尚ほ三四人も来た。××子爵は五月十七日単身で参綾した。越えて六月三日更に夫人を引連れて再度の参綾をされた。子爵は寧ろ常識的な政治趣味の饒かな人で、貴族院あたりのキケ者だが、夫人の方は之に反して余程霊的素質が勝つて居る。第一回の鎮魂には尚ほ幾分夫人の肉体心が勝つて居て、守護神の発動を妨げたけれど、第二回からは立派に言葉を切り、近来になく面白い審神をしたのであつた。五月下旬には田畠さん、六月初旬には××子爵の参綾などがあつて、面白いことであつたが、何れも其落着は今後に付けらるる人々なので、爰に其裏面の内容を報告するの自由を有せないのを遺憾とする。
天然社開係者以外の人々も可なり沢山やつて来た。六月初旬には海軍の飛行家の難波大尉が来て一週間許り滞在した。この人の鎮魂状態は滑稽を極めて見物人を喜ばせた。二三回で容易に言葉を切り、何も彼も無遠慮にベラベラ喋る上に、両手を翼のやうに拡げて、バサバサ煽りなから、クルリと頭で逆立ちを巧にやる。試みに名前を請求すると、
『ピーヒヨロヒヨロヒヨロヒヨロ』
と正真の鳶も三舎を避ける位に甘く鳴く。流石飛行術に苦労を重ねた人だけあつて、其副守護神が鳶から出世した天狗なのである。
『烏天狗ならお伽噺で判つて居るが、鳶天狗などがあるものか』
などと屁理窟は言はぬことだ。平田先生の「寅吉物語」の中にも、たしか鳥から進化のせる天狗の消息を漏らして居たと思ふが、自分の此数年来の調査の結果によりても、山野の鳥は生き乍らにして幽界に入り、天狗になつて居るのが多いやうだ、家禽は一向意気地がなく、十年も経てば老死して了ふが、山野の鳥にはそれがない。修行の積まぬ中こそ其姿を人の肉眼に見せ、弓矢や鉄砲弾で生命を失ふが、或時期に到達すると、俄然として其姿を消して了ふ。但し人間の肉眼に映ぜぬだけで共肉体は決して亡びるのではない。山野をいかに歩いて見ても、鳥の死骸の落ちて居ぬのは、彼等の多くが老死せぬことの一の証拠である。
兎に角天狗界といふものは、その内容が甚だ複雑豊冨で、人の霊魂をはじめ。鳶あり、烏あり、雀あり、鷲あり、鷺あり、又その他の動物あり、沢山の階段に別れて居る。その中神のお使として働くのは所謂正神界の眷族であり、又放縦不羈、乱暴狼籍を極めて人畜を苦しめるのが、所謂野天狗である。鎮魂を施して発動せしめると、現代人の多数に野天狗が憑いて居ることを発見する。狐狸等の動物霊に比すれば、概して豪爽淡白で気分がよいものの、喧嘩をしたり、大酒を仰つたり、女色を漁つたり、弥次馬を働いたり、野天狗さんも随分悪い事をやる。江戸ツ児だの、書生だのといふものは、就中野天狗さんの為めに肉体を占領されて居る。
飛行家の難波さんが、鳶の天狗にその肉体を占領されて居たなどは、不思議のやうで実は当然の話だと思ふ。