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文献名1冬籠
文献名2〔三〕東のぼリよみ(新仮名遣い)
文献名3(七)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ157 目次メモ
OBC B142500c41
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本文  東京滞在中にも、篠原君は一日に何回となく神懸り状態になつて、種々の事を喋つた。多弁な霊であつた丈、その言ふ所は玉石混淆、必ずしも信頼は出来なかつた。後で嘘である事を発見して詰問してやると、『神さんが嘘を言へと仰しやるから言つたのです。私ア仞も知りません』などと言つて、洒蛙々々したものだつた。
『貴下は近い中に、モウ一遍東へ出直して来なけれぱなりません』
 ある日自分に向つて斯麼ことを言つた。
『何時です?』
『夏の暑い最中でせう』
『用事は?』
『私には判りません』
 幾らか気がかりなので、尚ほ二三問答をして見たが、結局しれ以上に要領を得られなかつた。嘘であるのか、それとも真実なのかさへ判明しなかつた。
 其後約一箇月の日子は経過した。こんな問答をしたことさへ殆ど想ひ出さなくなつた自分に、突如として国元の父からの書状が届いた。何心なく披いて見ると、驚くべし母危篤の報……。
 母は七十三歳の可なりの高齢ではあつたが、従来殆ど病気といふものを知らぬ健体で、故障といへば老眼鏡をかける位のもの、耳もよく聞え、足も達者、頭脳も健全、殆ど老衰の兆を見せなかつた。殊に記憶力の強いのは天稟で、子供の時分に習つた四書や唐詩選などの全部を、今も尚ほ一字一句の末にいたるまで暗記して居た。一年に一度位は横須賀へも出て来て、よく自分が箱根だの、江の島だのと案内したものだ。最後に出て来たのは、大正五年の秋の半で、その時は観音崎の走水神社に参拝した。いづれその中、綾部にも一度呼び迎へようとして居たところに、突如として今回の危篤の知らせには、さながら晴天の霹靂の感がした。
 手紙によると、ツイ二週間ほど前に、梯子から墜ちたのが原因らしい。僅に三四尺の高さから落ちたのであつたが、達者なやうでも年齢は争はれす、内臓機関に故障を起して、急転直下的に重態に陥つてしまつた。
 取るものも取りあへず、自分は大本に飛んで行つて、四方さんに頼んで、病気平癒の祈祷をなし、又御神籤を引いてもらつた。出た御神籤は悪くはなかつた。
 更に出口先生に手紙を示して、然るべくお頼みすると、先生は早速御神前に行つて御祈願をしてくだすつた。
『大方癒りますぢやろ。綺麗な、透明な珠が三ツばかり上るのが見えました。病気が薄らぐ兆かと思ひます』
 御神籤といひ、又出口先生の御神示といひ、表面は至極良好に見えたが、何うやら不安な、暗い影が翳して居るやうに思へて仕方がなかつた。さうする中に間もなく電報が届いた。それは母の死を報せたものであつた。
『篠原の守護神が、あんな事を言つて居たが、矢張り幽界ではモウ決つて居た事なのかしら……』
 真先きに自分の胸に浮んだのは、斯麼考へであつた。
 ああ何処までも生死の鍵は神に握られ、こればかりは人間に貸与へられるといふ事は無いやうだ。その後数年の間に、自分は屢次かかる場合に遭遇したが、一回毎に益々この感を深うする。
 御神籤といひ、霊示霊覚といひ、神人両界の交通機関には相違ないが、これで何も彼も、人間が幽界の秘事を知り得ると思ふと、飛んだ心得違ひだ。何処まで神は主にして人間は従だ。知らせてよい事と、又知らせて悪い事との審査判別の権能は神が把持する。人間から強制されたから、ツイ幽界の秘事をも漏らずといふのは、邪神のすることで、正神の断じてせざる所である。殊にこの点について厳正無比なのが、今回国祖によりて組織されたる大本神界である。
 出来る丈未来の事を知りたいといふのが、人情の免れ難き点であらう。殊に疾病にでもかかつた時は、癒るか、癒らぬかを誰しも神様に伺つて見たくもなるが、癒る場合には喜んでをしへてくださるとしても、癒らぬ場合には神さまもお困りに相違ない。約三十年間御御前の奉仕をして居る四方さん迄が『お神籤はよく反対が出る事があります』と言つて居る。実際それに相違なからう。神様は決して機械ではない。必要に応じて常に臨機の処置をとらるる。死の問題などは、先づ最後まで人間には判らぬものと覚悟せねばならぬやうだ。
 霊示霊覚にしても矢張り神の手加減が加はる。母死去の電報を見せると出口先生は悵然として、
『矢張りさうでしたか。最初は病気が軽くなるのかと思ひましたが、あれはみたまになつて昇天することのお告げでした……』
 自分は倉皇として行李を整へて、再び東の空に旅立つたが、思ひもかけず生みの母に別れた気分は、いかに神界に全生命を捧げた身にも少しはこたへた。一と目位生前に逢はして呉れてもよかりさうなもの、神さまも余りだといふ感じが、一時は胸の底に無いでもなかつた。
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