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文献名1冬籠
文献名2〔四〕秋の丹波よみ(新仮名遣い)
文献名3(三)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ177 目次メモ
OBC B142500c47
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本文の文字数1759
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本文 『今年はみつしり栗なりと食べませうよ。折角丹波に引越して来たんですもの……』
 斯んな動議が妻の口から提出される。
『成るべく大きいのが好い。半分食つてお腹が一パイになるやうな奴はないかしら……』
『まさか』
 兎に角、親も子供も丹波に来た以上、丹波栗を食はねば義理が済まぬやうな気がして、精出して栗と親んだ。焼いたり茹たり、栗飯にしたり、金糖にしたり……。秋の間食つただけでは食ひ足らぬと見え、一斗か二斗ほど砂に埋蔵て春まで持ち越したりした。
 丹波の秋の人間の胃袋は却々忙しい。モ一つ外に大事の食料があつた。柿や栗は少々下品で、舌の端を喜ばせる丈だが、これはずつと上品で、霊的で、味よりは香気が取柄だ。いふまでもなくそれは松茸だ。
『よい松茸があります。買うてお呉んなはれ』
 矢張りこれも山奥の方から熾んに持ち出して来て、門を入つて売りに来る。
『松茸があるなどと言はんかて、其香で判つて居るぢやないか』
と言つてやりたい位、十間も先きから其香気が鼻を衝く。
 綾部に居ても芳烈な松茸の香に飽ことは出来るが、しかし綾部に居ては松茸狩りの興味を恣にすることだけは出来ない。松茸の真価は、之を食ふことによつては勿論判らず。嗅ぐことによりてさへまだ十分判らない。ただ之を枯葉の下から探り出すことによりてのみ初めて判るものらしい。
 ここらが松茸の有難いところかも知れない。
『今年は是非先生と御一緒に松茸狩りに来てください。その準備がしてありますから』
 北桑田の牧さんからの懇切な勧誘があつた。自分は関東にばかり住んで居たので、まだ松茸狩りといふものを為た事がない。是非一度はといふ念が、むらむらと胸の底に湧かんでもない。出口先生も亦、
『今年は一遍ずツと北桑田を回つて来ませうかい。夫婦連れて出掛けませう』
 相談はたうとう纏つた。同勢は出口先生御夫婦に、自分等夫婦、星田、福島の両女史などといふ連中で十月の十四日綾部を出発した。
 汽車で殿田まで行つて、それから徒歩で宇津の湯浅さんの本宅に向つたが、成る程北桑田は丹波の中の丹波と言はるる地方だけあつて、却々山奥だ。就中宇津といふ村は、何処へ出るのにも峠ばかり、車は愚か、馬も通らないやうな山里だ。斯麼不便な所に人里があるさへ不思議と思はるるのに、その中から大本創業時代の中心人物が出たといふに至つては、たしかに奇蹟中の奇蹟たるを失はない。
 湯浅さんが初めて出口先生に会つたのは、明治四十二年頃の事らしい。自分は今爰にその不思議なる入信の径路を書いて居る遑はないが、実に教訓に富んだ、面白い挿話を沢山を有つて居る。わけてもその二番目の男の児の研ちやんが裏の池に陥ちて、絶息して二時間許りも経過した時、一粒のお護付によりて、忽ち蘇生した実話などは、確に何人をも感動せしむるに相違ない。兎に角斯かる浮世を離れた地方に住みて、裕福な生計をして居たものが、一家眷族を挙つて綾部に移り、専念神に奉仕するに至つた裏面には、容易ならぬ深い因縁来歴がなければならぬことは、言ふまでもあるまい。
 上下十余丁もある峠路に一同皆汗みづくとなり、暮の色と夕餐の煙とがけじめもなく混りかけた時分に、漸く宇津の里に着いた。
 この辺は往年大本の地盤開拓の為に、出口先生が幾度となく往来跋渉された地方のこととて、一草一木皆先生の記憶と感興とを喚起するの種ならぬはなく、途すがら例の快活にして滑稽なる思出語りに、山坂の嶮しさも忘れさせて貰つたのであつた。
 宇津は人家二三十戸もあるであらう。八幡宮の鬱蒼たる森林は、今も尚ほ自分の眼の裡に残つて居る。其所から約一丁、道の左手に大きな構がある。それが湯浅さんの本宅であつた。その頃湯浅さらうふ×ふたりごlのこじぷんたちふうふ忘やベナbけふんは老父母二人のみを爰に残して、自分達夫婦は綾部に住んで居るのであつたが、今日はわざわざ一行を歓待すべく綾部から戻つて来て居た。
 裏手へ回つて見ると柿の大木があつて、ぎツしり黄ばんだ実を付けて居た。この柿の木の傍に天然の清水を湛へた池があつたが、この池こそ例の研ちやんが先年溺れた池であつたさうな。そんな話を知るや知らずや、当時十二三になつて居た研ちやんは、屋根へ上つて竹棒で柿実を打ち落し、大きな籠に山盛にして、頻に自分達に勧めるのであつた。
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