文献名1冬籠
文献名2〔四〕秋の丹波よみ(新仮名遣い)
文献名3(六)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
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データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ189
目次メモ
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翌くる十六日は終日の大雨で、そのまま吉田邸に滞在、久振りで雨の音をきき乍ら、手持無沙汰な、つれづれの気分を味つて見た。多忙も苦しいが手持無沙汰も亦苦しい。ドウせ苦しいのなら、矢張り莨一服喫む間の無い生活の方が好いやうな気もした。
十七日尚ほ降りしきる雨を冒して吉田邸を辞し、弓削の牧邸に向つたが、間もなく途中から晴れ模様になつた。大雨の後の路は案外によく、又雨に洗はれた山間の秋色は殊の外鮮かであつた。
行くに従つて左右の山と山との間隔は次第に離れ、案外広々とした平地になつた。鉄道線路から四五里も引込んだ丹波の山奥に、かくばかり田園が開けて居やうとは、何人も予想の外であるに相違ない。
二里ほど歩いて牧邸に着いた。嵐山の麓を流るる保津川の上流は、牧さんの所からツイ一二丁の所にあつた。背後は山、前は保津の平原、却々善い気分のする土地柄であつた。斯麼土地に背き、和気藹々たる家庭を後にし、一年の大部を綾部に送り、タツツケ姿で日夜神事に鞅掌する牧さんの行動は、たしかに理屈や常識を超越して居る。年齢もまだ三十幾つの血気盛りだ。後備陸軍少尉といふ肩書を見ると、虎髯を生やした恐い小父さんかと思はれるが、実際は瀟洒たる若旦那だ。肩書は志願兵に出た記念に過ぎない。夫人は周山の吉田さんの長女だ。兎に角、創業時代の大本と北桑田大本の沿革史を辿らうと思ふものは、この関係を無視するやうな事では訳が判らない。
午後から又雨が少し降り出したが、予て約束の松茸狩の催しは、これしきの雨位で止められたものではない。濡れる事は覚悟の前で男も女も手拭の頬冠り、借物の単衣を上つ張りにして、裾をまくつて草履ばき、籠をぶらさげて裏の山へと繰込んだ。
雨は格別でもなかつたが、掻き分ける草の雫で誰も皆ビシヨ濡れになつた。濡れぬ前こそ露をも厭へ、濡れて了へば勇気は百倍、女連までが崖と言はず、藪と言はず、素晴らしい勢で駆けまはり、掻きまはした。
が、何んと言つても松茸狩の大将は出口先生、断崖絶壁をも飛鳥の如く飛びまはり、そして他の五倍も十倍も見つけ出した。矢張り松茸狩にも霊覚が働くのではないかと思はれた。
その中で一人困つたのは自分であつた。さなきだに余り上手ではない所を、掛けた近眼鏡が雨に曇つて了つたので、何処もかしこも只茫漠として幕を掛けたやう。拭いても拭いても後から早速曇つて了ふのには往生した。時々脱して見るが、矢張り駄目、軽い松茸だと思つて、よくよく見ると枯葉であつたなどの滑稽も演じた。
しかし自分の手で採取した松茸の量は、一行の中で一番多かつた。収穫の約半分、少くとも三分の一位は、たしかに自分の手を煩はした。其処には無論秘訣があつたのだが、しかし種明しをすれば何んでもない秘訣であつた。
詰り出口先生の発見した松茸の全部を、自分が後から行つて採収したといふに過ぎぬのだ。
『浅野はん! 在りますぜ』
先生の声をしるべに、近づいて見ると成程在る。大小とりまぜ十本も固まつて生えてる所さへある。好い香気が氛々として鼻をつく。
『此奴却々根が固い。見付けるのも大変だが、採取係も力が要る……』
文句を言ひ乍ら取つて居る中に、早くも先生の声が二三十間も上の方の藪蔭に聞える。
『浅野はん!、在りますぜ……』
呼ばれる、行つて採る。又呼ばれる、又行つて採る。
『浅野はんのお役目も却々御苦労な御役目やな』
誰やらが労はるやうな、冷かすやうな事をいふ。
『まだまだこれで私の役は済んだのではありません。帰つてから食べるお役目が残つて居る……』
『アハハハ』
『オホホホホホ』
二時間許り山の中は笑ふ声、呼びかはす声に充ち充ちて、賑かな松茸狩であつた。
帰つてから一と風呂浴びて、さて採り立ての松茸を焼いたり、煮たり、蒸したりの御馳走攻め、快よく一酌を催したのであつた。
其晩も例によりて先生の揮毫があり、又集まつた村人に対して福島、星田両女史の大本講話があつたが、昼の疲れと酒の酔とに、自分は陶然として華胥の国へと旅立つて了つた。