文献名1冬籠
文献名2〔五〕並松雑話よみ(新仮名遣い)
文献名3(三)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
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データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ210
目次メモ
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先祖や両親の罪穢を除つてくれた三郎の眼は、同時に又幽界と現界との、一種の連絡機関としての役目をも勤めてくれたのであつた。
既にしばしば述べた通り、帰幽した人の霊魂は生前の個性をそのまま保留して、永久不滅に残るものである。現代人の多くが空想で考へるやうに、決してそのまま消滅したり、又は死後直に個性に失つて、宇宙の大霊の中に合一したりするやうな事はない。これは真剣に霊魂学を研究したものには、一点疑義を挿むの余地もない所で、今頃斯麼ことが判らずに、かれこれと屁理窟を並べる人間は、余程血迷つて居ると言はねばならぬ。
尚ほ一段研究の歩を進めて見ると、幽界に於ける各自の霊魂は、それぞれその待遇が同一でない。その生時に於ける功罪に就きて厳密なる審判を受け、善い事をしたものは安住の地を与へられ、悪い事をしたものは根の国行き、底の国行きなどといふ極刑に付せられて居るのもある。古来仏教で説いて居る地獄極楽説などは、自分の五年来の調査によると、決して謎や方便ではなく、大体に於て幽界の現状其儘の報告であるやうだ。
現界では巧に法網さへくぐれば、いかなる不徳漢でも相当にお茶を濁せるが、神の政庁の審判はそんなお手柔かなものではなく、主として道義的標準に拠りて判決を下さるるものらしい。現に自分が些し許り幽界の模様を査べて見た所によりても、現世に於て大臣大将の栄職にあつたものが、気の毒なほど低い取扱を受けて居たり、又現世に於て名僧知識と謳はれた人々が、案外安ツぽい境遇に居たりする。この方面に関する自分の調査は尚ほ不十分であるから、その内容の発表をすることは当分見合せるが、無論その中詳しい事が判る時節が廻つて来る。
それ等の事は什麼でもよいとして、現に吾人の頭上に差し迫つた目下の急務は、吾人の先祖の霊魂の問題である。吾々の先祖の中には、其生時に於て罪を犯したり、失策をやつたり、又は不幸短命にして、人間としての職責を十分果さなかつたりした結果、帰幽後相当に苦しんで居るものが決して尠くない。その苦痛から先祖の霊魂を救済すべき殆ど唯一の方法は、ドウも改式を行ふことのやうだ。改式とは読んで字の如く、大本の真信仰に入りたる子孫が改めてその祖先の霊魂を正式に祭りかへ、伊都の霊、美都の霊の大神の御名に幸へて、その罪科を祓ひ、その苦痛を慰めることである。さすれば従来迷へる祖先の霊魂も、初めて安心して改心の実を挙げ、子孫と協力して、御神業の遂行に尽力することにもなる。
自分は大正五年に大神様の御神霊を奉祭したが、しかし祖霊の改式を行ふには至らなかつた。別に深い理由があつたといふ訳ではなく、主として改式の理由が当時の自分に十分腑に落ちなかつたのと。又一つには、自分の一家のみが何にも惶てて改式の必要はなからうと思つたからであつた。が、大正六年になると祖霊の方でそろそろ催促を始め出した。安住の地を得て居られる立派な祖霊の方はさうでもなかつたが、罪科の責罰に苦しんで居らるる祖霊達は、凝乎として待つて居ることが出来なくなつたものと見え、頗る皮肉な催促法を講じ出した。外でもない。それは三郎の眼を痛めることであつた。
妙なもので、自分が在宅すると、祖霊達は遠慮して憑つて来ぬが、三日も不在をすると、極り切つて三郎の眼は腫れあがるのであつた。大正六年には六月、八月、九月、十月等に数回不在をしたが、可哀想に三郎の眼は其度毎に腫れ上つた。
『随分祖霊の中には没分暁が居る!』
などと自分も罵つて見たが、最後に自分の非を悟つた。
『これは理窟ではない、実地問題だ。苦しんで居る祖霊達は早く改式して救ひ上げねばならぬ』
たうとう大正七年の初めに、我が家の祖霊の改式が行はれた。三郎の眼が何回も腫れ上つたればこそその気にもなつたが、さもなければ、自分などは容易に穏しく改式をやる人間ではなかつたやうだ。
改式も済んだので、モウ三郎の眼の腫れることはなからうと安心して居ると、其後に於ても亦腫れた。鎮魂して査べて見ると、他家に縁づいて居た叔母の霊魂が憑つて居て、改式を迫るのであつた。更に其後も腫れたので査べて見れば、今度は叔父の霊魂であつた。共に肉親の関係があるから、幾分筋道は違ふが、自分の手で改式を済ませた。
『モウこれで三郎の眼が腫れることはなからう。祭るべき所は全部祭つた。今度は誰が来てもまあ謝絶だ』
斯麼事を言つて安心して居ると、昨年の春になつて又一度腫れ上つた。
『又何処ぞの祖霊が憑つたのだらう。お門違ひの祖霊でもあつたらウンと叱つてやる』
自分はブツブツ言ひながら、三郎を呼んで鎮魂して見ると、果してお門違ひの霊魂が憑つて居た。ツイ其前日、茨城県の遠い遠い親戚が、手紙で改式の手続を依頼して来たが、当人が不日綾部に参拝するとの事であるから、自分は其来着を待つことにして、改式はそのまま放棄して置いた。所が、祖霊達は、それが待ち切れずに、三郎の眼を襲撃したのであつた。
『物の道理の判らんにも程がある。即時に退散せぬと縛る!』
自分は思はず大声に叱咤しない訳に行かなかつた。無論かかる場合に、憑依霊は一度の鎮魂で離れる。そして眼の疼痛は忽ち消滅するを常とするが、一旦腫上つた疵跡の治癒には三日や五日はかかる。
『三郎の眼は全然幽界の晴雨計だ』
などと自分は戯れるが、しかし心の中では随分御苦労な役目だと思つて居る。