文献名1冬籠
文献名2〔五〕並松雑話よみ(新仮名遣い)
文献名3(四)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
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データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ214
目次メモ
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自家の子供達の中で、最もよく邸前を流るる和知川と親んで居るのは三郎であつた。最初は珍しがつて、よく亀などを捉へて喜んで居たが、次第にその遊び方も発達して来て、釣竿を作つたり、掬ひ網を整へたりして魚捕を始めた。その関係で何時の間にやら舟の操縦にも熟れて来た。棹でも櫓でも立派に使へるやうになつた。
最初の年は自分もよく川へ出たが、大正七年になつてからは、その隙が段々少くなり、何時しか舟は子供の占有に帰して行つた。
時は大正七年の四月初旬、よく晴れ渡つた朝のことであつた。山国の春の尚ほ浅く、河水はまだ可なり冷たいにも拘らず、三郎は例の如く単身で川へ降りて行つて、船を漕ぎ出した。
対岸に寄つた方は遠浅で櫓を押すのには都合が悪い。中央から此方の岸迄、幅十間許りの所が平均二丈程の深さで、急流ではあるが櫓には誂へ向きだ。三郎はその深い所で得意になつて、覚え立ての櫓を押した。
いかにせん、まだ十二の細腕には荷が少し勝ち過ぎた。力一ぱい前へ押した途端に、櫓にはよくある通り、その臍が外れると同時に、櫓の重みと川の流れとに、身体の中心を失つて、あツといふ間もなく真逆様に、
『ザブリ!』とばかり、水煙を立てて陥つて了つた。
折しも街道には二三の通行人があつた。又付近の畠には四五人の大本役員が働いて居た。此等の人々は、只ならぬ物音に何れも驚いて河面を見ると、主のない船と二箇の履物が、フワリフワリと急流に押し流されて行くばかり、今迄飛白の筒袖に学生帽を冠つて、櫓を押して居た筈の三郎の姿が見えない。
『大変々々坊さんが河へ陥つた!』
『早く浅野はんの宅へ知らせんと……』
妻は居間で縫物か何ぞをしながら、三郎が川へ行つたことさへ知らずに居たが、近所が余り騒々しいので、急いで玄関先へ出て見るとこの為体、思はずはツと色を失ひ、胸は動悸で早鐘をつき乍ら、足袋裸足で戸外へ飛び出したさうだ。
三郎はこの両三年来熱が出たり、眼を煩つたりして居たので、水泳ぎの稽古はまだ些ともして居ない。それに着て居るのは厚い綿入、お負けに陥ちた河は深い深い急流!
『とても駄目かしら……』
心も心ならず、河岸まで馳せ寄つて水面を見ると、船から数間の上流の方に、浮き上つて居たのは三郎で、真紅な顔をしながら無茶苦茶に水を掻いて居たさうだ。
『まアよかつた!』
幾分か心を押し鎮めて、瞳を定めて尚ほ熟視すると、三郎の胸から上部は、すツくり水面に浮き上つて居る上に、冠つた帽子までもそのままになつて居る様子は、什麼見ても身体の下には、物があつて之を支へて居るとしか見えなかつたさうな。
『綿入れのままでよう泳いで居なはる』
『坊さん、しツかりしなはれ、早う此方へ……』
最初吃驚仰天して馳せ寄つた人々も、余りに三郎の泳ぎ振り、浮き上り振りが鮮かなので、寧ろ見物気分で囃し立てて居たさうである。
約一町許も流れた時に。先づ三郎の友達の保ちやんが飛び込み、続いて自家へ来合はせて居た職人の一人が飛び込んで、難なく三郎を救ひ上げたが、不思議なことには、胸から上は殆ど濡れて居なかつたさうである。
自分はその日、例の如く朝早くから大本へ出て行つて、講話をしたり、鎮魂をしたり、全然この事件の起つたことを知らずに過ごした。昼少し前に帰宅して、初めてこの話をきいた時には、驚きもし、又感激もした。
『全く神様の御守護だ』
自分の胸には感謝の念が一ぱいになり、早速二階の御神前に行つて、衷心から御礼を申上げたのであつた。
常識から言へば、この日の現象の如きは到底説明の限りでない。全然水泳の心得なき子供が深い急流に陥ち、そして溺死せぬ許りでなく、一滴の水さへ飲まず、胸から上部を優に水面に表はして、一丁も流される! 到底有り得ぬ筈であるのだが、それが実地に起つたのだから致方がない。其実況は十人以上の人々によりて目撃されて居る。
試みに三郎に向つて、陥ちた時の気分を訊くと、極めて呑気な無邪気な顔をして答へるのであつた。
『僕陥ちた時は大変だと思つたが、一所懸命手を動かして見ると、身体が浮いて居るからまアいいと思つた。僕そんなに愕きはしない……』
兎に角との一事があつてから自分はますます深く信じた。苟くも神様の御守護さへあれば人間は決して水に溺れず、又畏らく火にも焼ぬものだ。須らく神に一切を任して、その信ずるものに向つて猛進すべきであると。