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文献名1冬籠
文献名2〔五〕並松雑話よみ(新仮名遣い)
文献名3(九)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ234 目次メモ
OBC B142500c62
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本文  家族の事はトムまで引り張り出して書いたから、これから並松と直接関係ある他の人々に就きて、些しばかり記憶を辿つて見ようと思ふ。
 海軍大尉の篠原君の事は既に紹介して置いたが、其惨澹たる真の修行は、寧ろその後に起つた。肉体の修祓だけでも、足掛け五年に跨りて連続的に行はれ、その他あらゆる点に向つて修練を加へられ、よくも爰まで無事に通過して来たと思はるる点が少くなかつた。今や全世界の人類に対する神の大試練は開始せられ、何人も過去三千年来の、罪穢の借銭返済をせねばならぬ破目に陥つて居るのだが、篠原君の身の上は正に其絶妙標本と言ふべきものであるらしい。
 篠原君は最初単身で綾部に来り、多くは並松の自分の所へ寄寓して居たが、余り病気が永引くので、やがて其家族と引移つて来て、自家の直下の二階家に入つた。家族は妻君のお千代さんと、娘の児が三人であつた。
 篠原君の生活は一言にして之を尽せば、行詰りといふより外に適当な言葉がなかつた。現代生活の二大要素といふべきものは、金銭と健康との二ツであるが、篠原君はその何れもが極端に欠乏して居た。
 軍人が金銭を貯めるやうでは無論駄目だが、篠原君のやり方は聊か極端に走つて居た。俸給などは一日二日で綺麗に飲んで了つた。仕方がないので借財をする。似た者夫婦といふ俚諺があるが、これは篠原君夫婦には誠に誂向きに出来て居た。お千代さんは極度に楽天的に出来て居て、家計の不如意などは一向苦にしない資質であつた。其結果、大尉にしては却々見上げた借金を作つて居た。
 借金で首がまはらぬ時に、降つて湧いたのが篠原君の病気、しかも其病気は尋常一様の平凡な病気でなく、睾丸が腫れて、孔がボツボツ開き、医者にも診断がつかぬといふ難物、まるで戦後疲弊し切つて居る上に、噴火山の大破裂に遇ひ、弱り切つてゐる伊太利の状などに髣髴たるものがあつた。
 借金と病気との二ツから攻め立てられて居る所を、神様の方では遠慮会釈もなく、ドンドン修練にかけた。篠原君が苦しまぎれに、人間智慧で何とか脱出すべき工夫をすると、忽ち神の方では例の睾丸を締め上げて、ギユーギユー制裁を加へるのであつた。
 たうとう手も足も出なくされて、大正六年の秋には一方が破産の宣告を受け、他方に於て休職の命令を受けた。後に残つて居るものはただ病気ばかり、しかも其病気は快方に向ふよりは、寧ろ険悪の度を加へて行つた。
 篠原君があらゆる「我」と「欲」と「癖」とに離れて、真剣に無条件の真信仰に入りかけたのは此時分からの事であつたやうだ。若しも篠原君に金銭と健康との二つがあつたら、公平に観察して到底まだ信仰に入り得る人ではなかつたやうだ。イヤ二ツの中その一方だけあつても、畏らく駄目であつたと思はれる
 繰返して言ふが、篠原君の身の上は、現世界の人類の絶好の見本だ。一般の人類はこれから金銭を奪はれ、地位を奪はれ、健康を奪はれて、最後に神の前に止むを得ず往生するのであらうが、篠原君は天下に先んじて、五年前から備に之を体険した。身魂の因縁といふものであらうが、誠に御苦労な役目であつた。しかしこの御苦労な役目を引受けて来たればこそ、いざといふ場合に初めて天下を指導し救済して、御神業の遂行に立派な働きが出来るといふものだ。
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