文献名1冬籠
文献名2〔五〕並松雑話よみ(新仮名遣い)
文献名3(十二)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ244
目次メモ
OBC B142500c65
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数1386
その他の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい
霊界物語ネット
本文
大正七年の春頃から、糸満大尉は旅順の港務部勤務を命ぜられて居た。最初は自身単独で任地に赴き、二月三月は支那人のコツクを使役して、殺風景な官舎生活をやつて居たが、たうとう堪へ切れなくなつたらのと見え、七月の下旬になつて、敏子夫人に是非旅順へやつて来いと言ひ越て来た。
その頃は敏子さんは総領の女児に先立たれ、独り寂しく並松で暮して居たところであつたが、この報に接すると、早速自分の所へ相談にやつて来た。
『糸満から斯麼ことを申して参りましたが、いかが致したもので厶いませう、矢張り行つた方が宜しいでせうか』
『無論その方が善いと思ふ』
と自分は答へた。『大事の良人を旅順港なんぞに独り法師で置くのは余り可哀相だ。』
『でも、彼麼ところまで出掛けますのは、随分億劫で厶いますからネ……』
と口には言つたが、矢張り霊魂は旅順港の空に飛んで行つて居るのであつた。たうとう暫時綾部の家を畳んで、旅順へ引移ることに一決した。
それにしても婦人の一人旅、いろいろ気懸りな事が尠くなかつた。就中早速査べねばならぬ問題は、門司大連間の連絡船の日取であつた。
『何時爰を出掛けたら宜しいので厶いませう』
自分もこの相談には一と方ならず当惑した。未だ一度も大連航路の経験が無い上に、これを調査すべき材料も有つて居ない。何とかして査べてやらうとは思つたが、ちよつと甘い思案も浮ばなかつた。
その中時間が来たので、自分は例の如く急いで金竜殿に行つて、大本に関する講話をやつた。当時は大本修行者の数が漸く殖え始めた時分で、其日も七八十名はあつたらう。何れも皆熱心に聴いて呉た。
講話後鎮魂といふことになり、一同規定の姿勢を取り、ズラリと室内一杯に並んだ。この頃はモウ一人づつ鎮魂などをして居る余裕はなかつた。五十人でも百人でも一と纏めに並ばせて、自分が指導者となり、二三の助手を使つて之を行ふのであつた。神笛を吹く、神歌を唱へる、霊を送る、発動者を処置する、却々以て忙がしいことであつた。
不図気がついて見ると、何時の間にか敏子さんも来て、後の方で鎮魂の姿勢を取つて居た。敏子さんはこれまで既に鎮魂の修行を積み、或程度の天眼通が開けて居た。自分は旅順に向つて出発すべき日取を、当人の天眼に示して貰ふのが、この際一番得策であると気がついた。
自分はツト敏子さんの前に行つて坐つた。
『何時綾部を出発して宜しいか、霊眼に文字を以て示して戴きます』
自分はかく祈願を籠めて、ウンと二三度霊を送つて置いた。
鎮魂が終つてから敏子さんを呼んで尋ねた。
『いかがです、文字が見えましたか』
『ハイ……』
『何とありました?』
『白い文字で八月十二日と現れて居ました』
其日は七月二十八日であつた。
『約二週間後ですナ。それなら十分準備の余裕があります。八月十二日綾部出発とお決めなさい。私はこの神意を正しいものと断定します』
偶然か神意か知らぬが、兎も角も敏子さんの旅順行きの日取は、斯麼風に決められた。荷物を纏めたり、後の留守番を捜したりして居る中に、瞬く隙に八月十二日は来て了つた。
いよいよとなると自分も多少気にかかつたので、御神前へ出て鎮魂して、念の為めに更に御神示を仰いで見たが、矢張り今日の中に出発すれば十分間に合ふらしいので、たうとう予定通りに決行せしめた。敏子さんは午後四時五十分の汽車で綾部を出発して門司に向つた。