文献名1冬籠
文献名2〔五〕並松雑話よみ(新仮名遣い)
文献名3(十三)よみ(新仮名遣い)
著者浅野和三郎
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データ最終更新日2025-01-24 22:22:00
ページ247
目次メモ
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本文
途中は何事もなく、八月十四日の未明に敏子さんは門司に着いた。早速旅館に入つて大連行の連絡船のことを尋ねて見ると、驚いたことには、船は今朝出帆したばかりの所であつた。しかも次ぎの便船はと訊いて見ると、十日後でなければ出ぬといふのであつた。番頭は説明した。
『近頃は西伯利出兵の為めに、大連通ひの定期の回数が大変に減らされて了ひました。従来は定期が三日置きに御座いましたが、只今は十日置きにしか御座いませぬ。従つて大連通ひは近頃大変な混雑で御座います。今回なども夙うに満員となり、乗り遅れのお客様が、現に拙店どもに三人ばかりも御滞在で御座います』
敏子さんは之をきいて、殆ど途方に暮れざるを得なかつた。これから八月二十四日迄の十日間を空しく宿屋で待つて居るのも莫迦らしいし、さりとて一旦綾部に引返して仕舞ふのも随分億劫な話であつた。
『佐賀には親戚があるから、一層のこと其処まで行て見ようかしら……』
敏子さんは斯麼ことも考へたのであつた。
が、それにしても、気にかかるのは二週間以前、霊眼にありありと示された文字であつた。今回の行動は、全部其指示に従つて行つたに過ぎぬ。所が斯く外れるといふのは什麼いふ訳であらう。邪霊の神懸りで全然嘘ををしへられたのか、それとも、若しや神示の通り近い中に便船があるのかしら。兎も角も、この際少し気を鎮めて善後策を講じて見よう、余り惶てると失敗するかも知れぬと考へて、
『番頭さん、何処ぞ空いた室に案内してください。妾休ませて貰ひます』
敏子さんは一室に入つて、独りでいろいろと考へたが格別名案も浮ばぬ。モウ斯うなつては神様にお縋りするより外に途がなかつた。
かたの如く両手を組んで、鎮魂の姿勢を執り、一心不乱に神様に祈願した。
『予て御神示の通り、八月十二日綾部を出てまゐりましたが、御覧の通り定期船に乗り遅れて、途方に暮て居りまする。これからいかが致して宜しきや、何卒御指図をお願ひ申します』
すると、見る見る中に敏子さんは、帰神状態に入るのを感じた。手も足も感覚を失ひ、一身は漂渺として空中に浮べるが如き心地になつて、やがて案外楽に言葉が切れた。
『心配するには及はぬ。今日の中には大連行きの船がある程に、落着いて待て!』
言ひ終ると、自然に肉体は元の平静な状態に復した。敏子さんは兎も角もこの神示に従つて、待つて見る事にした。
午前中は空しく過ぎた。いかに番頭を捕へて念を押して見ても、一両日中に出航すべき船の見込は絶無であつた。
『神さまは彼様仰しやられるものの、果して今日中に出航する船があるかしら……』
半信半疑の中に、午後三時となつた。すると番頭が周章しく駆け込んで来た。
『エー早速申上けまず。只今社外船が一艘大連に向けて出港することに成りました。元来荷物船で御座いますが、談判の結果、数名だけ便乗させて貰ふ事に成りました。四時の出港でございますから、モウ間がありません。お急ぎでお仕度をお願ひ致します……』
之を聞いた時には敏子さんは有難いやら、惶てるやら、嬉しいやら、無我夢中で荷物を纏め、勘定を済ませ、船の名さへもきかずに、他の数人の人々と共に乗込んださうである。
船は案外に大型の立派な船で、たツぷりした船室を与へられ、極めて愉快な航海を続けて、無事大連に到着した。よくよく御神恩の大なるに感泣したものと見え、敏子さんは遼東ホテルに入るや否や、直に手紙を認めて、委細の状況を自分の妻の許に報告して来た。その末尾の方には、
『船長はじめ、一同商売気離れた親切、航海中一度も食事を欠かさない程の元気にて、わが身ながら今度は驚いて居ります。出発早々かくも明かな御神徳を戴きましたことに就きては、骨身にしみて有難く、この胸の中はとても拙き筆や言葉に言ひ現せませぬ。概略の事のみあらあら御知らせ申上げますから、何卒御察しを願ひます。船中では二十余人の船員から大本の事を訊かれて、約四時間ほど喋りました。自分ながら不思議に思うて居ります……』
などと書いてあつた。
冬籠 綾部生活の五年 第二部 完