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文献名1王仁三郎その他
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3霊の礎よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例共通凡例S データ最終更新日2025-10-17 22:22:22
ページ 目次メモ
OBC B163100c03
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本文 一、高天原の天国に上るものは、地上にある時その身内に愛と信との天国を開設し置かなければ、死後において身外の天国を摂受することは不可能である。

一、人間として、その身内に天国を有しなかったならば、身外に在る天国は決してその人に流れ来るものではない。またこれを摂受することができぬものである。
 要するに人は現実界にある間に、自ら心身内に天国を造りおく必要がある。しかして天国を自ら造り、かつ開くのは、神を愛し神を信じ無限絶対と合一しておかねばならぬ。
 人はどうしても、この無限絶対の一断片である以上は、どこまでも無限絶対、無始無終の真神を信愛せなくては、霊肉共に安静を保つことはできぬものである。

一、真神たる天之御中主の大神、その霊徳の完備具足せるを天照皇大御神と称え奉り、また撞の大御神と称え奉る。
 しかして火の御祖神(霊)を高皇産霊大神と称え、厳の御魂と申し奉り、水の御祖神(体)を神皇産霊大神と称え、瑞の御魂と申し奉る。

一、霊系の主宰神は厳の御魂に坐します国常立神、体系の主宰神は瑞の御魂と坐します豊国主尊と申し奉る。

一、以上の三神はその御活動によりて種々の名義あれども、三位一体にして天之御中主の大神(大国常立命)御一柱に帰着するのである。

一、ゆえに独一真神と称え奉り、一神即ち多神にして多神即ち一神である。これを短縮して主と言う。
 また厳の御魂は霊界人の主である。また瑞の御魂は現界人の心身内を守り治むる主である。

一、現界人にして心身内に天国を建てておかねば死後身外の天国を摂受することは到底不可能である。死後天国の歓喜を摂受し、かつ現実界の歓喜生活を送らむと思う者は、瑞の御魂の守りを受けねばならぬ。
 要するに生命の清水を汲み取り、飢え渇ける心霊を霑しておかねばならぬのである。
 瑞の御魂の手を通し、口を通して示されたる言霊が、即ち生命の清水である。
 霊界物語によって人は心身共に歓喜に咽び、永遠の生命を保ち、死後の歓楽境を築き得るものである。

一、天帝、即ち主は、水火の息を呼吸して無限にその生命を保ち、また宇宙万有の生命の源泉となり玉う。

一、太陽また水火の息を呼吸して光温を万有に与う。されど太陽神の呼吸する大気は、太陰神の呼吸する大気ではない。また人間の呼吸する大気は、主、及び日月の呼吸する大気ではない。
 ゆえに万物の呼吸する大気もまた、それぞれに違っている。すべて神の呼吸する大気は現体の呼吸する大気ではない。現実界と精霊界とすべての事象の相違あるは、これにても明かである。
 しかしながら現実界も精霊界も、外面より見ればほとんど相似しているものである。何ンとなれば現実界の一切は精霊界の移写なるを以てである。

一、高天原の天国は主の神格によりて所成せられておる。
 ゆえに全徳の人間のゆく天国と、三徳・二徳・一徳の人間のゆく天国とは、おのおの高下の区別がある。
 また主を見る人々によって主の神格に相違があるのである。

一、そして何人の眼にも同一に見えざるは、主神の身に変異があるのではない。主を見る所の塵身または霊身に、その徳の不同があって、自身の情動によりてその標準を定むるからである。

一、天国には霊身の善徳の如何によって高下大小種々の団体が開かれておる。主を愛し主を信じて、徳全きものは、最高天国に上り最歓喜の境に遊び、主の御姿もまた至真・至美・至善に映ずるのである。
 ここにおいてか天国に種々の区別が現出し、主神の神格を見る眼に高下勝劣の区別ができるのである。

一、また天国外に在る罪悪不信の徒に致っては、主神を見れば苦悶に堪えず、かつ悪相に見え恐怖、おくあたわざるに致るのである。

一、主神が天国の各団体の中にその神姿を現わし給う時は、その御相は一個の天人に似させ玉う。
 されど主は他の諸多の天人とは天地の相違がある。主、自らの御神格がその神身より全徳によって赫き玉うからである。

一、一霊四魂即ち直霊、荒魂、和魂、奇魂、幸魂、以上の四魂には各自、直霊という一霊がこれを主宰しておる。この四魂全く善と愛と信とに善動し活用するを全徳と言う。全徳の霊身及び塵身は直ちに天国の最高位地に上り、また三魂の善の活用するを三徳と言い、第二の天国に進み、また二魂の善の活用するを二徳と言い、第三の天国へ進み、また一魂の善の活用するを一徳または一善と言い、最下級の天国へ到り得るものである。
 一徳一善の記すべき無きものは、草莽間に漂浪し、または天の八衢に彷徨するものである。

一、これに反して悪の強きもの、不信・不愛・不徳の徒は、その罪業の軽重に応じてそれぞれの地獄へ堕し、罪相当の苦悶を受くるのである。

      大正十一年十二月
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