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文献名1出口王仁三郎著作集 第3巻 愛と美といのち
文献名2人生 >生きがいの創造よみ(新仮名遣い)
文献名3万人青年の意気でよみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
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ページ141 目次メモ
OBC B195303c251
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本文  最近しきりに、非常時日本ということが叫ばれる。事実、国内の情勢、世界の動向を見て、われらもその感を深くする。そこで、つねに思うことであるが、この非常時日本を背負うて雄々しく起つ者は、なんというても青年でなければならぬ。青年の盛んなる意気をもつてすれは、何事もなしがたいということはないからである。
 しかし、青年は意気が旺盛なだけに、円熟していない点がある。すなわち壮年、老年の者に比して思慮分別が欠けているのは、これはいたしかたないところだ。それで、青年が非常時国家の運命を双肩にになうて最前線に立てば、壮年、老年の者はそれにつづき、たらざるところを補うて万全を期す方法を講じなければならぬ。したがつて今日以後の日本国民は、全部年齢を忘れよと私はいいたい。
 元来、日本人は東洋哲学に支配されすぎて、早くから老境に達する風を尊び、いつまでも若く元気に活動する者を貧乏性のごとくに思い、閑雅にあこがれて、五十にもなれば隠居をしようという量見をおこす。これでは一朝事ある場合になんの役にもたたぬであろう。昔から「三十、四十は鼻たれ小僧、男盛りは五、六十」といつて、一面に、いつまでも若く元気であることを念願とした言葉があるが、私はそれでもなおたれりとせず、「五十、六十は鼻たれ小僧、男盛りは八、九十」といいなおすことにしている。元気もつとも旺盛にして思慮分別に達した四十歳は、人間としての頂点に達したものであるのに、日本では古来これを初老とよぶ。したがつて五十、六十にもなれば、みずから物の役にはたたぬと卑下し、老いを急ぐ。これでは断じてならない。
 私はかつて蒙古を旅行した際、土地の老人に年齢を聞いて、その答えに感服したことがある。すなわち「私どもはだれも過ぎた自分の昔を考えない。あるのは明日だけだ。したがつてわれわれは自分がいくつになつたかなど数えてもみない。年齢など考えていたら、心細くなつて仕事ができないだろう」というのである。はなはだよろしいと思う。
 爾来、私も年齢を考えないことにし、私の統率する昭和青年会員は、その主義において、年齢を超越することにしているが、成績良好で、五十六十、はなはだしいのは七十の老人まで、二十歳の青年に伍して遜色をみせない。すべからく国民はくだらぬ自分の年齢を数えることをやめ、万人青年の意気にかえつてご奉公を申しあぐべきである。
(「人類愛善新聞」昭和8年2月23日)
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