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文献名1出口王仁三郎著作集 第3巻 愛と美といのち
文献名2美 >造化の芸術よみ(新仮名遣い)
文献名3庭園よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ進左退右(左進右退) データ凡例 データ最終更新日2017-03-11 06:03:15
ページ176 目次メモ
OBC B195303c307
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本文  古来日本人は、性得淡白にして風雅の趣味に富み、折りにふれては和歌をよみ、句を作り、茶の湯に親しみ、花を活け、あるいは家屋の周囲に種々の樹木を植え、床の間には書画をかけ骨董品をかざり、春は花見、夏は涼み、秋は紅葉狩り、冬は雪見など、そのほか躑躅見、枯れ野見、虫聞きなぞ、さまざまの無邪気なることを好むものである。ゆえに家屋のごときも、科学文明の力をもつて種々さまざまに工夫をこらし構造せしよりも、むしろ平易簡単なるを好み、宮殿のごとく荘厳を擬したるよりも、野趣満々たる藁屋根づくりなどを、風趣ありとなすをもつて、平常の住居にも、石畳、煉瓦造りなどの類は厭い、多くは木造の書院造りにおるをもつて、もつとも理想に適したるものとしていた。ゆえに家屋はたいてい東面、南、面として建築するを例とする。西または北に面するを厭うは、陰に向かうのみならず、西または北の烈風を避くるためにも好都合であり、日光をうくるにも勝手がよいからである。
 日光は日の神の御光にて、この光をうけざれば、いつさいの生物は生存すべからずと思えるをもつて、古来の国民は、とくにこの点に注意していたのである。日光の有無多少はもとより、人身の健康にもおおいに関係あることなるをもつて、南面または東面をえらぶはもちろんなれども、人身以外に庭園をつくるにもまた便否の差がある。樹草のごときは日光のよくあたる地でなければ繁殖しがたく、果実にいたつてはとくに影響があるものである。ある人の説に、すべての花は南方に向かつてひらくをもつて、人は北方に向かうを便宜とすなどといつている。
 しかれども、夏時に草花などを室内から眺めるには便宜であるが、しかし日本の庭園は、室内より眺めるのみにあらず、朝夕に立ちて逍遙するがためなれば、草木のほかにも岩があり、泉水があり、灯籠も橋もあり、あるいは山形も丘陵もあり、小さい祠などもある。されば机上における盆栽とは趣かわり、ほとんど日本人の邸宅は小公園をそえたるごとき観がある。また日本の神社仏閣などはほとんど公園のごとき庭園を有し、一般賽者や、公衆の遊楽場となれる趣がある。しかしながら、わが国は家々の小さき庭園といえども、すべてが宇宙の縮図として惟神的に伝わつてきたもので、ただたんに家人の目を慰め清鮮の空気を吸い、あるいは朝夕、散歩逍遙するのみが目的ではないのである。
 しかし現在の日本人はそういう意味は全然忘却し、人の目を驚かすような珍木奇草を植えこみ、大金をだして珍しき岩石や、あるいは由緒ある古寺の灯籠や仏像、はなはだしきは古墓の五輪の片砕などを持ち込み、一見、墓場のごとき光景を演出し得意がつている時代である。庭園の入り口に、巨大なる銅鉄または石造の獅子の巨像を据えてみたり、化け狸が一升徳利を手に提げばつちよ笠をかぶり、酒買いにゆくところの陶器像を据えてみたり、種々さまざまの奇怪事を平気でやり、四つ足身魂の本性を発露しているのは、じつに歎ずべきしだいである。
 すべて人間の庭園は、宇宙の縮図であり、天地の移写である以上、屋敷内においてもつとも清浄の地域であり、天地神明の昇降される至聖所であるから、なるべく冬枯れのしない常磐木を植えこむべきものである。松に杉、檜、木斛、木犀、樅、多羅葉、躑躅、梅、南天、青苔、万年青、岩檜葉、棕梠などは、もつとも庭園に適当したる植物である。そうして天地神明のお休み所となし、一面には歌人や、客人の心を清め、かつ疲労を慰する唯一の機関とすべきものである。外国などは個人の住宅に庭園がないから、机上に草花をかざり、挿し花などして心を慰め、日曜などには、とくに公園をつくつて一週日の疲れを慰することとしているのである。
 わが国にても東京、大阪のごとき大都市にあつては、地価も高くしたがつて住宅も狭隘であるから、個別に小庭園をつくることができない。富豪の家庭は別として中産以下になれば、とうてい居ながら小公園を見て楽しむことができないから、大公園の必要もおこつてくるが、山や野につつまれたる田舎の小都市に公園をつくるなどは、じつに不必要な、無用の長物である。近き例をいえば戸数千戸にたらない山間の園部町には、小麦山公園という土地不相応のものが設けられ、綾部のごときも、形ばかりの公園がつくつてある。しかしながら山水の美に飽いた土地の人士は、一年に一度も足を向けたものがないくらいである。大都会に公園があるといつて、田舎の町村まで公園をつくるなぞは、じつにばかばかしい無意味のことで、要するに猿の人まねである。
 かくいわば、青垣山を四方に繞らした、山紫水明の綾部大本になぜ大なる庭園をつくつたか、と反駁するものがあるかもしれぬが、綾部大本における庭園は、大都市の公園や、個人の家屋に添いたる庭園とはおおいに趣を異にしているのである。天地創造の主神が、永遠に鎮まりたまう天国の移写であつて、天地相応の理により、天上の荘厳なる、神苑の形はたちまち地上にうつり、地上の荘厳は『また天国に相映ずるものであるから、大本の神苑は一木一石の配置等にも、すべて言霊学を応用し、左進右退、霊主体従を基としてつくられてあるので、天国に大なる湖水があれば、したがつて地上神苑内にも湖水をつくらねばならぬ。金竜池のごときは、天の真奈井湖の移写である。そうして池中の島々は、五大州に形づくられ、天国にもやはり五大州が写つているのである。丸山の蓮華台、和知の清流、四継王のやま天王平、味方富士、弥仙山、三岳山、大江山、烏が峰の高山や清川がとりまいているのも、要するに、天国の中心地点と寸分のちがいないのである。
 ただ、綾部の神苑に欠けているのは、花壇の設けがないことである。天国の神苑には、樹草いつさいときじく花が咲き満ち、芳香を薫じ、天人をしてつねにその美に酔わしめ、その心を清めしめている。
 しかるにもかかわらず、天国の移写たる綾部の神苑に、梅をのぞくほか、いつさいの花を植えつけることを忌み嫌い、自分が神命をうけて、種々の花を植えこまんとすれば、極力迷える役員信者たちが妨害をくわえ、自分を悪魔の反映とまで嘲笑し、花の心になれば世が乱れる、なぞとわけの分からぬ地獄魂を発揮したため、不幸にしてまだ完全なる天国の移写ができていないのである。花は造化の心の現われであつて、花を愛する心のなきものは、けつして神を愛するものでない。蜂や蝶のごとき虫類ですら、花を唯一の伴侶とし、命の親として愛している。しかるに人問として花を愛せない道理があろうはずがない。大正十年以前の信者の精神は、いつさいの花を悪魔とみなしていたものである。花を愛する心はすなわち人を愛し、神を愛し、万有を愛する心の現われである。何人といえども、一輪の花を見る時はただちに心身に爽快を感じ、かつ濁らんとする魂の水も、自然に清まるものである。汚濁の極に達せる現代を救わんとすれば、まず人心の汚濁を清めなくてはならぬ。かつ汚濁を清むるには第一着として、優美なる、高尚なる、芳香の薫ずる一、二輪の花から、縁づけらるるものである。
 自分は、まだ綾部の聖地において、完全なる天国の移写を現出することができないことを悟り、大正十四年の春より意をけつして亀山城趾にたて籠り、まず霊国の移写工事を開設せんものと、埋もれし石を掘りだし、高大なる石垣をつくり、園内隈なく雑木雑草をとりはらい、清爽なる大神苑をつくり、一方には花壇、温室などを設け、四季の花を咲かせ、地上の霊国を実地に建設せんとしているのである。
 また芸術の都として、第一着手に楽焼きの釜を据え、さかんに珍器をつりくだし、活版所を新設し、明光社を創立し、和歌、冠句、その他の文芸を奨励するなど、夜を日についで大活躍をこころみているのである。亀岡の城趾を花明か岡と改称したのも、花によつて、神の心をなごめ、求道者の心を清め、役員信徒の心身に爽快の念を与え、更生の恵みに浴せしめんとするためである。信徒のなかには神の教えをする天恩郷に、温室や花壇の必要はないとか、西洋かぶれだとか、ハイカラだとか、蔭で小言をいつている方があると聞いたが、そういう人でも、きつと美人を見、美花を見た時は、けつして閻魔顔はせないであろうと思う。(「月明」昭和2年5月)
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