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文献名1出口王仁三郎著作集 第5巻 人間王仁三郎
文献名2第1部 自叙 野に生きる >救世のこころざしよみ(新仮名遣い)
文献名3実説・本心 ─高熊山よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考底本(出口王仁三郎著作集第5巻)の解題(p457-458)によると、本文献は機関誌『このみち』第三号(大正5年6月10日刊)に、梅田伸之(恒次郎)の名で発表された。後に『神霊界』大正10年1月号に「回顧録」の一部として発表され、次いで霊界物語第37巻第2~6章に加筆されて収載された。底本(著作集)は『このみち』を親本としている。/愛善苑の機関誌『神の国』平成5年(1993年)8月号p8に転載されている。
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ページ60 目次メモ
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本文 暴漢乱入

  かくすれば かくなるものとしりながら ひくにひかれぬやまとだましひ
 天明らけく地治まれる聖明の御代の三十余りの一つの年、頃は如月の九日、半円の月は皎々として天空に輝き渡り、地にはふく郁たる梅の花の薫り床しく、人の心も花やかに、素人天狗の浄瑠璃会に、老若男女の群集は、蟻の甘きに集う様なり。吾妻太夫の三筋の糸に曳き出されて、先登一の登壇者はかみしも姿厳めしき長楽太夫、田舎娘の肝煎らせ宛語るは熊谷一の谷敦盛卿との組み打ち場、壇特山の憂き別れ迄首尾よく演り付くれば、やれ「露払い万歳」と拍手の声は雨霰、降って湧いたる大人気なり。
 続いて三調・駒太夫・四明・勇山次々に素人天狗の銅鑼声や根深節も、物珍しき田舎人の耳には天女の音楽とも聞こえ、大当たり大持てにて、恰も鰯網もてくじらの『太功記』は十段目、「夕顔棚の此方より露われ出でたる武智光秀、必定久吉此の家に忍び入る社屈竟一、唯一討と気は張弓、心は矢竹……」と糸の調子に打ち乗りて、一生懸命語り行く。
 折しも軒の籔垣押し破り、顕われ出でし四、五の暴漢、物をも云わず突然座敷へ乱入し、驚く聴衆に眼もかけず、四辺蹴散らし踏み散らし、壇上の太夫を引き摺り落とし、猫が鼠を握みし如く、凱歌を奏して戸外へ提げて行く。一座は興醒め周章狼狽、互いに眼引き袖引きつつ、後難を恐れて誰一人仲裁の労を取らんとするものなし。ああ今捕らえられて行った若者は誰であろう。ああ彼が運命や如何に。今の今まで照り輝きし無心の月は、忽ち暗雲に閉じられて西山の頂に影をかくすのであった。

 茲は精乳舘の牧畜場内、舘長室の戸は竪く閉ざされて、一団の不可思議が潜んで居る様子。牛乳配達夫は未明より舘主の量り渡しを待って居る。旭日は遠慮会釈も無く天に沖する。舘主は何時まで待っても起きて来そうに無い。余りのじれったさに、配夫は本宅の方へ走った。暫くすると、母は配夫の後から面色を変えて行って来て、突然、雨戸を押し開け忽ち王仁の寝室に。
 顔を見られては大事と手早く夜具を被らんとした。此の時遅く彼の時早く、母に額の負傷を認識されて仕まった。ああ是非もない、母はわっと其の場に泣き倒れた儘前後不覚。ああ何とせん方涙なくなくも、庭の真奈井の清水を口に含ませ介抱すれば、正気付きぬ。母は涙を拭いも敢えず語るよう。「去年までは是の父親が生存して居られた為に、何人にも攻められ苦しめられた事は一度も無かったに。後家の子だと思い侮って、此様な惨酷な目に合わすのであろう。ああ悲しい。夫の逝かれた後は、此の王仁一人を杖とも柱とも頼んで憂き年月を送って居るのに、去年の冬からこれで、恰度九回目、打つやら蹴るやら乱暴狼籍、九死一生の苦しみを加うるとは、ああ何たる世間は無情ぞや。弟の周章者は夜前復讐にとか往って、反対に大負傷を受けて帰って伏して居る。思えば思えば残念至極、誰か強い人が来て兄弟二人の敵を打って呉れる人は在るまいか、神も仏もなき世か」と、子故の暗に迷う親心。
 愚痴の繰り言聞き入る王仁の心は千万無量。

心機一転

 母気絶の急報に、八十五歳の祖母は気丈の性質とて杖にすがりて入り来たり、此の場の様子を早くも呑み込み王仁に向かい、「汝は最早二十八歳、物の分別も解らなならぬ年比では無いか。如何に義侠だとか人助けだとか謂って人を助けても、我が身の亡ぶ様な人助けはちと考えねば成るまい。相手も在ろうに、兇悪無頼の博徒輩と喧嘩の達引とは如何に物好きにも程度が在るではないか。汝は平素強きを挫き弱きを扶くるが日本魂じゃと謂って居るが、八面八臂の魔神ならば知らぬこと、そんな怯弱な身体で居ながら無謀の挙動は何事ぞ。八十に余る生い先短き老母や、良人に逝かれて間もなき一人の母や、まだ東西も弁え知らぬ頑是なき可憐の妹の在るのを汝は忘れたるか。妖怪学だの哲学だの無神論だのと空理窟ばかり言うて勿体ない。神々を無視して居た報いが来たのであろう。宜しく冷静に反省して見よ。
 今回の事は、全く天地神明の御神慮に依って慈愛の鉄槌を汝の面上に降し玉いて、平素の小高き鼻柱を折らせ玉うたのであろう。必ず必ず兇漢を恨むことはならぬ、一生の大恩人だと思うがよい。韓信の股を潜ったのも時世時節じゃ、踏みにじられた蒲公英には殊更厚い花が咲く例もあるからなぁ。それに付いても亡き汝の父上は、幽冥から其の行状の直る迄は高天原へも得行かずに、中空に迷うて居るであろう程に、全然心を入れ替えて真正の人間に成って呉れ。それが祖母への死土産だ」と、涙を片手に慈愛の釘打たれて、王仁は唯無言。
 森厳なる神庁に引き出されて神の審判を受くる心地。負傷の痛苦も打ち忘れ涙に呉るる折しも、近所の人々見舞いの為に入り来たる。表には小学生が戸を揃えて節面白く、
  父よ恋しと 墓山見れば 山は狭霧に 津々まれて
  墓標の松も くもかくれ 晴るる暇なき そでのあめ
 屋根には鳥が唯一羽、「可愛々々」と鳴き立つる。牧牛は空腹を訴える如に大声に吠ゆ。
  皇神は めぐみのむちをあたへつつ 心のねむりさまし玉へり
  よきことに まがこといつきまがことに よきこといつくよのなかのみち (宣長)
  ことわりの ままにもあらずてよこさまの よきもあしきも神のこころぞ (宣長)
 夜は浸々と更け渡る、水も眠れる丑満時刻。森羅万象寂として戸無きに、王仁の胸裏の騒がしさ。昨朝の祖母の教訓や母の悲歎は未だ耳に在る。胸には警鐘轟く雷、得も言われね煩悶苦悩、今という瞬間は有力なる神なると共にまた悪魔なり。善悪正邪の分水嶺上、忽然として一点の旭光に接したのである。一点の旭光、そも如何、直霊の魂の反省、これ。
  久かたの あまつ月日のかげはみじ からの心のくもしはれずば (宣長)
 父ばかりが大事の親では無い、母もまた大切なる親である。祖母はまた親の親である。斯かる見易き判り切った道理を、今迄漢心洋意の狭霧に包まれて、勿体ない。父ばかりを尊み、母を軽視して居たのは大間違いだ。父が亡くなった以上は、もう何事を為しても心痛する親は無きものと思い、仁侠気取りで数々危険の場所へ出入し、大恩のある母の思いを今迄気付かなんだのは、ああ何たる迂愚ぞ、そも何たる不孝ぞ。ああ諺にも「いらわぬ蜂はささぬ」ということがある。生じいに無頼の悪人輩と戦い且つこれを挫かんとしたのは、余り立派な行為でも無い。蛇が折角千辛万苦して漸くに蛙を捕らえ、今呑もうとする際に人あり、其の蛇を打ちたたき弱い方の蛙を助けてやったなら、其の蛙は大いに喜ぶであろうが、肝心の餌を取り迯がされた蛇の心は如何であろうか。
  世のなかは よごとまがごとゆきかはる なかよぞちぢの事は成つる (宣長)
 母は愛に溺れて我が子の失は少しも顧みず、唯父が亡く無ったから、人々が侮って忰を虐待するものだとのみ思いひがめて居らるる様だ。父の亡くなったのは、玉仁ばかりではない。広い世の中には幾千万人あるとも知れぬ程だ。然れど父が亡くなった為に世間の同情を得たものこそあれ、王仁の様に、たとえ一部の社会にもせよ憎まれたものは少ない。鐘も撞く者が無ければ決して響くものではない。之を思えば祖母の教訓は真の神の直諭である。一々万々確同不易の真理だ。心一つの持ち様で、親や兄弟妹や他人にまで迷惑をと思えば、立っても居ても居られぬ。改過の念は一時に。
 心機忽ち一転再転、終には感覚の蕩尽、意念の断滅。

高熊山入山

 翌朝に成って王仁の姿が見えぬ、家族は大心配。不図床の壁を見ると筆太に、
  大本大神
 然も王仁の筆跡。机の引き出しには羽化登仙の遺書一通。
  あやしきを あらじといふは世のなかの あやしきしらぬしれごころかも (宣長)
 抑遺書の文意は如何。天下国家の一大事、然も三大秘密。王仁の生母は忽ち火中に投げ入れた。後日の難を慮ったのであろう。
 渾円球上二つなき、三国一の四方面、富士の神仙本田芙蓉仙人の神使松岡大天狗は、王仁を学者の所謂夢中遊行に導き、其の霊魂は遠く高く天空に逍遙したのである。芙蓉仙人は茲に六神通の秘奥を授けた。仙人の目的は社会の改善・宇内哲学の一変・皇道の発揮・宗教倫理の改革、王仁果たして此の大任に堪えるであろうか。外に一冊の教示、書名は、『天啓』。
 有明の月は西山の頂に薄れ行く。不図顧みれば王仁の身は高熊山の巌窟に静座して居る。ああ不可思議の極み、眼下の渓路を薪苅りの若者二、三、野卑な唄を高く謳って通る。

家族・知友の心配

 亀岡五軒町神籬教院稲荷大明神の託宣、「水辺を注怠せよ。暇取ると生命が危い、発狂の気味あり」。
 宮川妙霊教会の神占、「恋うる婦人と東の方へ向けて駆け落ちしたのだ。近日に消息あり」とは滑稽。
 篠村新田の弘法大師の占、「神隠しだ。天狗に魅せられたのだ。大変な大馬鹿者か狂人に成って一週間の後には帰宅する」。
 周易の判断、「金を壱百円持って出て居る、外国へ行く心算だ。大志を抱いて韓国から満州へ渡り、馬賊の群に加わる」とは途方も無い判断。
 王仁の帰宅は其の翌日であった。
  しるべすと しこのものしりなかなかに よこさのみちにひとまよはすも (宣長)
 節季前だから夜抜けをした。思う女が在って迯げた。天狗につままれた。発狂した。狐狸に誑されて深山へ行った。河内屋や若錦に恐れて逐電した。大不孝ものだ。大馬鹿だ。分からぬ奴だ。腰ぬけ野郎だ。言いたい次第に人の口々。
  我は空行く鳥なれや
  ○○○○○○○○○○
  遙かに高き雲に乗り
  下界の人が種々の
  喜怒哀楽に捕はれて
  身振り足振りする様を
  我を忘れて眺むなり
  実に面白の人の世や
  されどもあまり興に乗り
  地上に落つる事もかな
  み神よ我と倶にあれ

  まかつびい よひとのみみかふたぐらむ まことかたればきくひとはなし (宣長)

 王仁は其の月の十五日、しかも正午前宮垣内の伏屋へ帰った。家族の驚喜、恰も死者の冥府から帰った様に、殊に母の顔には何とも形容の出来ぬ輝が見えた。帰ったと聞いて近所や株内の人々が追い追い詰めかける。そして「何処へ行って来た、何して居った、留守中の心配は大抵の事では無かった」と五月蝿ほどの質問。一々応答する日には際限が無いから、「大望があって家出を仕ました、それも神命のまにまに」。あとは無言。
 株内の松さん口を尖らして、「曳かれものの小歌とはこの事だ、へん、人を馬鹿にしてる。皆さん眉毛につばでも附けてかからぬとお紋狐につままれますよ。田芋か山の芋か、蒟蒻か瓢箪か知らんが余程の安本丹だ。そんな事云ったとて此の黒い目でちゃんと睨んだら外れぬぞ。あははははは、怠惰息子の狂言も古い古い。こんな奴に相手になって居ると終には尻の毛まで抜かれる、危険々々」と、面ふくらし畳を蹴って帰って行く。次には四、五人の注告。王仁は無言で聞くばかり、弁解したって無駄だから。
 非常に腹の虫が空虚を訴える。王仁は自ら膳を出して麦飯二椀矢庭に掻き込んだ、山海の珍味に勝る幾倍。精神恍惚として頻りに眠たい。傍人には一切無頓着、部屋の真中にごろりと横たわった儘白川夜船で華胥の国へ。
 翌日の午後三時頃漸く目が醒めた。きまりの悪そうな顔つきで、産神の神社へ無我夢中に参詣、其の足で父の墳墓へ小松を曳いて樹てに往った。此の行動第一不審の種。日没と倶に王仁の帰宅、顔色は何処となく不安蒼白。

床しばり

 十七日の早朝から王仁の身体は益々変に成って来た。催眠術に感じた様に、四肢より強直を発し次いで口も舌も強硬不動、一言も口が利かない、一寸の身動きも出来ぬ死者同様。「今日で三日ぶり鱶の様に能く草臥れたものだ。自然と目の醒める迄寝かすが宜かろう」と家族の一致。王仁は益々神経鋭敏に成って来る。身体こそ動かざれ、目や口こそあかざれ、時計の針の音まで聞いて居る。
 四日経っても微動もせぬ、醒めもせぬ。家族は忽ち不審の雲に包まれ俄に周章だした。近所から株内から、瞬く間に人の山。誰が頼んだものか竹庵先生の声、脈を見る熱を度る、打診・聴診・望診・問診・触診と非常の丹精。「エライしびれです。強直状態が今晩の十二時まで持続すれば最早だめだ、体温は存して居るから死んだのでは無かろう。免に角不思議だ」と首を振って居る。王仁は「何とも無いよ」と言って飛起きて驚かしてやろうと思ったが、矢張りびくとも出来ない、口も利かない。
 竹庵先生の沓の音耳に響く。
 羽織袴で入り来る天理教の先生、妙な手附きで、「ちょいとはなし かみのいふこと きいてくれ、あしきのことは ゆわんでな。このよのちいとてんとを かたどりて、ふうふを こしらえ きたるでな。これがこのよのはじめだし、あしきをはらうて たすけたまへ てんりんわうのみこと」。
 大の男が二、三人、日の丸の扇を聞いて笛や太鼓や三味線で囃し立てる。祈るのか踊るのか、随分喋がしい宗教だ。先生色々と十柱の神の神徳を説いた末、「この病人は全く天の理が吹いたのだ、一心に天理王命を依頼なさい」と繰り返し繰り返しての御説教。
 妙見信者のお睦婆さんが親切に尋ねて来た。御題目だとか云うて八釜敷く「南無妙法蓮華経」を唱える。頭も顔も腹も手も足も珠数で打つやら撫るやら、しまいには「是お狐さん、お前一体何が不足で憑きなさった、遠慮なしにとっとと仰しゃれ。小豆飯か揚豆腐か、鼠の油煎か、何なりと注文次第調えて進げよう。それを食うて一時も早く帰って下さい」。王仁心中にて人を馬鹿にしやがると思った。
 二十三日早朝、誓願寺の祈祷僧が来た。法華経に心経、評木・太鼓・鉦たたき、汗水に成って勤行する。喧しい、耳が聾になりそうだ。王仁心中に余程耳の遠い神さんだと思えば可笑しくて堪らぬ。
  拍子木打ち太鼓をたたき経を誦む法華僧侶の芸の多さよ。
 この坊主ますます八人芸で、幣束を手に持ち高天原に六根清浄の祓を奏げる。神仏混交の妖僧め、俄然彼の身体震動して、巧者にも狐下げを演じ出した。部屋中を転げ廻って、「うんうん、我こそは妙見山に守護致す正一位天狐常富稲荷大明神なり、伺いの筋あらば、近く寄って願え」との御託宣。一座低額平身息を殺して畏まる。常富稲荷の託宣に由ると、「今より三十余年前株内に与三と云う男の狸憑があった。其の与三の狸を退散の為に松葉でくすべて殺した。其の恨みを報ゆる為に与三の亡霊が狸をお先に使って悩めて居るのだ。此の常富の神力に依って怨敵退散さするぞ、有り難く思え。一時間の間に死霊も狸も降伏する」との神示。
 聞き居る王仁の可笑しさ。一座は有り難涙に掻き呉れて、鼻をすする声。一時間経っても半日経っても死霊は退かぬ。狸も去なぬ。
 夕方に松さんが来た。「坊主の祈祷も常富の託宣も当てには成らね、嘘ばっかりだ。それよりも手料理に限る。第一病人が墓へ参るというのが可笑しいじゃないか。土狸に極まった。青松葉位でくすべたって功を経た奴だから往生せまい、七味・さんしょでも混ぜてくすべたら往生する。本人も二、三日前に参って居る。狸の勢で身体が温いのだ、おい狸さん、もうだめだ、覚悟は宜いか」と、失敬な、頭を蹴ったり鼻をねじたり。母は泣き声で準備の整った事を松さんに告げて居る。松さん得意になって「おい狸、これから蕃がらしと松葉の御馳走だ」と、迷信家が寄って来て殺人を始めようとするのである。
 こうなると王仁も何どころじゃない。全身の力を固めて起き上がろうとしたが微躯ともせぬ、勿論口も利けぬ。今や暴挙に着手せんとする一刹那、「一寸待って、云い度い事がある」と母の涙声。「これ伜、生きて居るか死んで居るか知らぬが、例え死んでも性念があろう、好く聞いてお呉れ。明日にも知れぬ老人や子供を連れて後家の身でどうなろうぞ。力に思った伜はこの有様、私の心配、ちとしっかりして今一度物を云うてお呉れ」と、王仁の頬に、はたとしがみ付かれる。
 母の眼から王仁の顔へ涙の雨。其の時一筋の綱が何処からともなく手に触れる心地、その綱に手早く取り付いたと思う途端、不思議にも王仁の身は活動自在。
 一座の驚喜。王仁万歳に復活の心地。

鎮魂の妙術

 王仁の天眼通と鎮魂の妙術は忽ち遠近に噂が拡まった。神占が百発百中する、盲目や聾が全癒する。如何なる病人も全治すると云うので朝から晩まで人の山、飯食う暇さえ無い位、「天狗さんじゃ、金神さんじゃ、稲荷さんじゃ」と、人の評判。石田小末と云う盲目が全治して千里眼に成って、伺い事が好く中ると、噂はそれからそれへと高まる一方。
 例の松さんが出て来た。神床の前に尻をまくってどっかと坐り、恐い顔して王仁を睨み、「こりゃ極道奴、貴様はそろそろ山子営業をやる積りだろう。よし今に化けの皮を引きめくって赤恥かかして見せてやろう。株内近所へよい程心配かけさらして、まだ其の上にそんな真似は何んだ。なぜ有望な牧畜や乳屋を勉強せぬ。神占の何のかのと吐して、人を胡麻かそうと思ったてだめだ。尾の無い土狐とは貴様の事だ。貴様が本当に伺うのなら、今此方が一つ検査をしてやろう。万が一にも中ったら己の財産残らず貴様に与ろう。四百円の地価だぞ」と口きたなく罵りながら、湯呑の中へ何か物品を入れて其の口を厚紙で張り、音せぬ様にそっと前におき、「さあいらうことはならぬぞ。此の儘この中に何が何程入れてあるか、天眼通先生、さあ中て見よ。滅多に中る気遣いがない、太陽が西から出ても。あははは」と飽く迄軽侮。
 王仁は「手品師でないから知らない」と答えた。松さんが仕たり顔で「ざま見い土山子奴、とうとう尻尾を出しゃがった。おけおけ、此の時節に馬鹿な真似さらすとふんのばすぞ」と、松さんが王仁の顔をいやらしい程覗き込んで「残念なか口惜しいか、早く改心せい狸野郎」と、益々傍若無人の彼の口、主仁も余り五月蝿から彼の疑心を暗らすために、「一銭銅貨が十五枚だ」。
 感激する数多の参詣者。
 松さん妙な面付きで、「ははあ、案の定狐使いだ、飯綱だ。一体そんな者を何処で買って来たのか、何匹居るのじゃ。一匹が一円もするか、一寸私に見せて呉れ、一寸でよい、長う見せとは言わぬ」と理の解らぬ質問。迷信家位困ったものはない。王仁は言葉を尽くして透視作用だと説明する。元来の無学者だけに馬耳東風。「トウシだか水能だか知らぬが、そこらに小狐を出さね様にして呉れ、ひょいと取り付かれでもしたら大変だ。皆さん用心なさい、こいつは飯綱使いだから」と、信者の中で大音声。松さんは翌日朝早うから村内隈なく、「王仁は飯綱使いじゃ、相手になるな」と、賃金取らずの好い広告。
  これはしも 人にやあるとよくみれば あらぬけものが人のかわきる (篤胤)
 侠客の小丑が「怪我を仕た」と謂って足に繍帯したなり、突然神前へ這い上がり、「一度拝んで呉れと、横柄に拱手して掛け合いに来た。元より怪我したと云うのは嘘の皮、万一王仁が「そうか」と云って正直に祈願でもしたら、「天眼通がこれが判らないか、実は嘘だ」と笑ったりねだったり困らせてやらんとの奸計。また、王仁が嘘偽を看破した時は、指聞に秘め隠した小刀で繍帯を解き宛切って、出血せしめて困らせ、謝罪に酒代でも取ってやらんとの算段と見て取った王仁は相手にせず、放棄して素知らぬ風で他の信者に鎮魂を施して居た。小丑もちと癪に触ったと見え男牛のように荒れ出した。障子を折る、戸を破る大乱暴。「安閑坊の喜楽、これでも罰を得中ぬか、腰抜け、鼻垂れ、馬鹿野郎。今此の小丑は神床へ小便してやるから、性念の有る真正の神なら立ちどころに己に罰を中て見よ。それが出来ぬ様な神なら、全く土溝狸だ」。早くも前をまくり神前に向かって放尿、丸切り犬の所作だ。
 王仁は人間だとは思わないから放棄して居ると、益々図に乗るは小人の癖。終には尻を捲りて王仁の鼻先でプンと一発、笑い罵り帰って行く。其のあとへ弟の芳松が野良から忙ただしく馳せ帰り、小丑の乱暴を聞いて口惜しがり「この神さんは神力がない、何故罰でも宛てふん延ばして下さらぬのか」と小言八百、王仁は聞きかねて、「猫や鼠は神殿の中でも屎尿を垂れる、烏や雀は神社の棟へ上がって屎汁をかける、それでも神罰は中らない。元来が畜生だから、人間も人格を失ったら人面獣心、畜生同然、畜生に神罰は中らない」。
 言わせも果てず芳松は、「何馬鹿たれる」と、突然に神壇の下へ頭を突き込んだ。其の儘直立。神座も神具も忽ち転落、拾っては戸外へ投げ付ける。信者は驚いてちりちりばらばら、弟は尚も猛り狂うて、「兄貴、こんな神を祭ったて、拝んだて屁の役にも立たぬぞ、もう今日限りこんな事は止めて呉れ。この神の為に家内中が心配したり、人に笑われたり、障子を折られたり、家の讎敵だ」と愚痴をこぼして怒って居る。其の日の夜中頃、芳松の枕頭には男女五柱の神が立たせ玉うて、頻りに御立腹の様子が歴然とと見えて、恐ろしいとて一睡も得せず、夢中に成って謝罪する可笑しさ、これで少しは改心が出来るだろうと思って居ると、果たして翌早朝から神殿を清め、供物を献じ、祝詞を奏げるやら打って変わった敬神の行為。
  からさまの さかしら心うつりてぞ よひとの心あしくなりぬる (宣長)
(『このみち』第三号 大正五年六月十日刊)

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