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文献名1出口王仁三郎著作集 第5巻 人間王仁三郎
文献名2第1部 自叙 野に生きる >救世のこころざしよみ(新仮名遣い)
文献名3初陣よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考底本(著作集第5巻)の解題p458によると、機関誌『このみち』第3号(大正5年(1916年)6月10日刊)に、「実説 本心─高熊山」に続いて掲載された。「実説~」と同じく梅田信之の名で発表された。後に『神霊界』大正10年(1921年)1月号に「回顧録」の一部として掲載され、次いで霊界物語第37巻第13~15章に加筆されて収載された。底本(著作集)は『このみち』を親本としている。
タグ データ凡例小見出しは底本(著作集)の編者が付けたものである。 データ最終更新日2021-10-07 00:17:27
ページ75 目次メモ
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本文 十年の修業

 「橋はかねになる金は紙になる、今に日本はからとなる」と童謡子が諷った天満・天神の二大橋を初めて眺めた当年二十八歳の田舎青年。水の都と聞き居たりし大阪の繁栄、煙の多く立ち登る煙の都をながめて只呆然たるのみ。前途に大志を抱いて上阪したる丹波もの、懐中の五十金は十数日の宿泊料に脱ぎ取られ、一つの功も見えねば遥々と国へ土産の詮方も無く、敬神家の彼は忽ち天満天神の華表を潜るのであった。拍手再拝、祝詞の声も清々しく、何か心の秘密を訴うるに似たり。
 彼は神苑内に囲養せる丹頂の鶴に目を注いで一人言。
「ああ面白い、否目出度い者が居るよ。画でかいたつるは今日まで幾度か見たことがあれど、本物の生きた鶴は見初めだ、鰌でも買ってやろうか」と、懐中を探りて白銅一枚、細き鰌の代価に投じた。つる二、三羽しのび足にてひょこひょこと近付き来たり、長き嘴にて撞き喰う。その床しさに青年は、我を忘れて興に入る。片方の神馬は足ずり荒く、僕にもちっと豆をおごれと口には言わねど、二声三声たかく嘶く愛らしさ。青年は「馬君すまなかった」と口の中、これにも白銅一枚はずんでやる。その無邪気さ。前程より様子を見てありし一人の老翁、右手を挙げて「先生一寸」と声をかける。
 青年は何事ならんと近付き一礼すれば、老翁も又丁寧に礼を復し、言葉静かに、「先生は丹波の御人と御見受け申すが、今日大阪への神教宣伝は時機尚早し。一日片時も早く帰国なし、十年修養の功を積みし上、再び当地に来たって布教せられよ。必ず神意を完全に伝達するの時あらん。軽挙妄動は大志あるものの最も戒むべきことぞ」と厳直に注告した。
 青年は大いに驚きつつ「師よ貴翁は何国の何人ぞや」との尋ねに、老翁は言葉も穏やかに、「我もとは富士山に永年修行せしものぞ、今は世の変遷につれて斯くも卑しき易者の身の上、小林勇とは仮の名、後日再会の節、我が本名を告げん。健在なれや青年、汝が十年の辛苦難難察し入る」と、言の下より涙の雨。
 青年も思わず俯伏落涙にむせび、一言も発し得ず。暫時ありて、頭を上ぐれば、何地へ行きけん、老翁の影だにもなし。不思議の人に会った青年、「ああ今のは神様ではなかりしか」と忽ち疑雲に心天の月日を包まれたりしが、瞑想稍久しうして彼は又一人言。忘れもせぬ二月の九日、芙蓉仙人より賜わりし教訓。「世は末期に瀕せり、邪神の荒ぶる世となれり。今の時に当たって惟神の大道を宣伝し、本教のラッパを吹き立てて全世界を革正するもの無くんば、国家社会を維持すること難く、遂に世界の滅亡を来たすべきこと鏡にかけて見る如し。汝はこの末の世の光温となり、塩となり、薬剤となり、または四魂五情の全き活動によりて天地の花となり、果実となりて、世の為神教のために尽くせよ。真勇なれ、真親なれ、真愛なれ、真智なれ。
 かかる大任を全成せんは容易の業にあらず、今後十年の間は汝が研究の時期なるべし。其の間には千辛万苦を覚悟せざるべからず。忍耐が最も肝要なるぞ、屢々神の試みに会いて邪神の群に包囲さるる事あらん。前途に深き渓谷あり、峻坂を登る時あり、針の山あり、蛇の室屋・蜂の室屋に入ることあり、暴風怒濤に遇い一命危うきことあり、手足の爪まで脱かれて神退らいに退らわるることあり。されども。少しも恐るるな、屈するな。神を力に誠を杖に、猛り進め。如何なる艱苦に会うも神の御心と思え。一時の失敗や艱難のために神に遠ざかるな、初心を枉ぐるな、救世の神勅を生命の続く限り遵奉せよ。神は汝を照らし、汝に添いて守らん。呉々も十年間の修業を怠るな」
 との神示は、我が脳裏に深く刻まれてあるに、今又異人より同一の教訓を賜わりしは、東西符節を合わすが如し。これぞ全く神示ならんと感歎稍久しうして社内を退く。

帰途

 永き春日も稍西にかたむきて、川水に金輪の光を流す淀河の水瀬も深き浪花潟、水の都の天神橋上、独り思案にくるる青年あり。東南に山岳の如く端然として築かれたる宏壮なる豊太閤の古城を眺めて、またも一人言。
「人間の運命ほど不思議なものはない。矢矧の橋に菰を纏いし腕白小僧の藤吉郎も、忍耐勉励の功あらわれて登竜の大志を達し、威権赫々旭日東海の波を蹴って躍り出づる如く六十余州の天下を掌握し、三韓を征し大明を驚かせ、万古不朽の偉業を伝えたり。我も又一介の青年、境遇又彼の当時に酷似す。精神一到何事かならざらん。何ぞ太閣の成功に甘んぜんや」と往来繁き橋の上、我を忘れて男健びなしつつ空想に駆らるる刹那、不意に突き当たりし十二、三歳の小児あり。其の跡より息せき切って馳せ来る三十前後の大男、矢庭に小児を鷲掴み、打つ蹴る倒す乱暴狼籍に小児は悲鳴を上げて泣き叫ぶを、物見だかい大阪人の常として、忽ち橋上は往来止めの姿と変わる。男は猶も飽き足らずやありけん、手首を固く採り、腕を抜けん斗りに警察へ連れ行かんとす。青年は見るに見兼ねて「大人暫時待たれよ。是には深き仔細のあらん、聞かまほし」と尋ぬる声に、大の男は言葉も荒々しく、「旅人御構いあるな、これはチポの卵なり。唯今主人の店頭にありし実母散一服を掻き浚え迯げ出せし図太き小僧奴、今後の戒めに橋詰めの巡査に引き渡さん」と、鼻息荒く権幕高し。
 盗みし小児は薬の包みを投げ出し、両手を突き涙ながらに泣き詫ぶる可憐さに、青年はこの小児、産よりの盗児にあらざるべしと推量し様子を聞けば、案に違わず、小児の母は年頃子宮病に悩まされ生命旦夕に迫れども、極貧の家庭には医薬の手立ても為し能わず、坐ながら母の死を見るに忍びず煩悶しつつありしに、隣人の話に、子宮病には実母散を飲めば全快すると聞きては矢も楯も堪らず、母を思うの一念より前後の弁別もなく店頭にありしを持ち迯げせしことを語りて、わっと其の場に泣き倒れたる孝子の心にほだされて、青年も思わず知らず貰い泣き。懐中より五十銭を探りて男に与え薬を購い、小児に代わりて謝罪なすにぞ。男は面をふくらせながら、「今日は汝に免じて忘れてやる、以後は慎め」と、一服十銭の薬に五十銭を受け取り肩怒らして還り行く無情さ。血も涙も通わぬ男かなと、怒りの色を目に表わし大の男を見送りぬ。
  草枕旅にし出てさとりけり空おそろしき人の心を
 大阪といえば日本三大都会の一、商業発達の土地、七福神のみの楽天地と思い居りし青年は、今日面前貧児の境遇を聞きて、何処も同じ秋の夕暮れ、暗黒界はここにもあるかと溜息つくづく思いに沈むのみ。不図見れば、何時の間にやら往来の人に紛れて小児の姿も見えずなりぬ。
  信之曰う、今の橋の上の出来事は悉皆神の御業にして、青年の心を試み玉いしものなることを後日に至りて知られたり。
 異翁の教えに青年は、帰心矢の如く心の駒に鞭を打ち、人力車も呼ばず徒歩々々と梅田の駅に月見軒、支度なさんと懐中見れば残りの金は二銭半、汽車はあれども乗る術も、何と線路の正中を一直線に膝栗毛、腹も吹田の駅路の茶店にひさぐ蒸芋は、九里四里うまい十三里の道程、一歩々々と茨木の町より道を北にとり、丹波を指して帰り行く。頃しも三月十五夜の月は東の山の端に、丸き面を表わしてにこにこ笑めど、青年は夕の空の何となく心淋しき一人旅、東も西も南北も知人はなくなく山路を、空の月のみ力とし、一度通いしおろ覚え、何処やら不安の心地して、岐路ある処に停立し首を傾ぐる時も時、忽ち前方に白衣の旅人四、五間先へ現われて、青年進めば彼進み立ち止まれば又立ち止まり、戸を掛くれど返辞もなさず、岐路ある毎にあらわれてこの青年を視守るが如し。青年は怪しみ乍らも力を得、足は運べど空腹と疲労のために俄に眠気の鬼に襲われて、我と我が手に倒るること幾度か。「馬に五十駄の黄金も厭」との俗謡は、斯かる時をやいうならん、倒けつ転びつ早くも西別院村の村外れ、下り坂にとさしかかる。水さえ音なき丑の正刻、傍の細谷川を隔てて墳墓あり、ここに雨露を凌ぐに足る可き小舎を認め、天の与えと飛び立つ思い、六地蔵の館の後方に身を横たえ、手枕せしまま、華宵の国へ千石船で愉快の旅行。
 四方寂然として静まり返る時しもあれ、夢か現か幻影か、枕頭近く女の忍び泣く声いとも幽かに聞こゆる刹那、青年の面に冷えたる水の幾滴、かかるに驚き眼を覚ませば、怪しや六地蔵の前に一人の婦人、赤児を背に負いながら土瓶片手に地蔵の頭上より清水を浴びせつつ、頻りに何事か訴うるものの如きに青年は、思わず轟く心臓の鼓動を強いて鎮圧しつつ、息を殺して伺いありしに、怪しの影は一歩々々と揺らぐ如くに徐々と、新しき墓の前に至りてマッチを摺り蝋燭を点じ、合掌なしつつ忍び泣きつつ伏し屈むいやらしさ。
 青年は何となく恐怖にかられて身の毛も慄ち、寸時もここに居堪えず、急ぎこの場を逃げ出でんとせしが待てしばし、我は顕幽二界の救済者たらむとする霊学の修行者なり。今幸いにして斯くの如き怪異に出会わし、研究の好材料を得たるは全く神の御心ならむ。熟々考うれば、天下素より妖怪変化の有るべき筈なし。而もこれあらんかとて昏迷驚惑度を失せんとせしは、蓋し我が精神疲労の結果、無稽の現象に、感染せしにはあらざる乎と、きっと胆を据え眼を配れば妖怪にはあらで、田舎婦人の何事か秘密の出来事の為、深夜に亡夫の墓に詣でたるらしく、力無げによぼよぼと元来し細谷川を渡りて、姿は木立に紛れて見えずなりぬ。
 婦人の姿失せしより青年も又長居ならじと、渓流を渡り山路に出でたる一刹那、「ああこわい!」と婦人の叫び足下に聞こゆるにぞ。再度の仰天しながらも、「何もこわいことは無い、人だ人だ」と呼ばわりつつ、後振り向きもせず一目散に、法貴谷の方へと走り行きぬ。

奇遇

 五月雨の空低うして時鳥の声遠近にきこゆる曾我部の農村穴太の宮垣内の教会場も、犬の手も人の手と称する田植えの最中、片時を争う農家の激戦場裡に忙殺されて、神の教えの門を潜る信徒の足も途絶えし折から、服装卑しき一婦人、両眼のあたり白布もて縛りたるが盲目者と見えて杖を力に、「先生は御在宅なりや」と訪うこえに、教主は出で迎え「まずまずこれへ」と座敷へ通し来意を問えば、眼病全治祈願のためとて平伏しぬ。
 何処となく見覚えのある婦人と教主は不審り乍ら、住所・姓名・来歴を問うに、婦人はいとも恥ずかしげに面色あからめ語るらく、「御話し申すも御耳の汚れ、恐れ入りたる次第なれど、お言葉に従い申し上げん。妾は西別院村の寡婦にして何某と申すものの妻、見る陰もなき陋居に住む貧乏神の屋根は漏り、壁は骨を露わし、明日の食を貯うるの余裕もなき貧困の中に、夫は永年の重病に悩まされ、妾は産婦の重き身、労働することさえも叶わねば、其の日の糊口にさし支え、銭となるべき物は売り払い金となるべきものは典し尽くして、目に一物の遮ぎるものは無ければ、医薬の道の手術なく空しく死を待つ無惨の生活、遂には草根を食べ木の皮を喰んで一時の生命を継ぎしも、夫婦の身体は何故か水腫を起こし、夫は遂に幽明境を隔てし人となり、取り残されし妾は未だ出産後わずかに二周目、血の若き身の赤児を抱えて形ばかりの葬祭も済ませ、面白からぬ日を送る中にも村人の無情さ、米代を払え醤油代を渡せと日々の催促に、何と詮方涙も尽きて、一層妾も夫の後を追いて現世の暇を告げんかと思案に沈みながらも、一人の赤児の愛に引かれて死にもならず、心弱きは女の常、何の考えもなきまま大阪の姉を頼りて一時の窮を免れんと、去る三月十五日の夜半頃、赤児を背に破れ家を後に見捨てて出で行く程に、途上亡夫を葬りし墓に立ち寄り、傍らに人も無ければ心の限り愚痴の繰り言くり返し、心残して立ち去る時しも、夫の墓の辺より現われ出でたる怪しの物影に、思わず知らず泣き叫べば、不思議にもその影は亡夫の亡霊なりしか、何事か大戸に呼ばわりつつ我が家の方へと走せ行きたり。
 妾思うに、まだ墳土乾かず五十日祭さえも済まざるに、夫の墓ある土地を離れんとしたるは妾の不都合この上もなし。夫の霊は他国へ行くを欲せざるにやあらんと心を取り直し、妾も再び帰宅せしが、共の時の驚愕は身に災いし遂に斯くの如く両眼を失し、且つ昼夜疹痛に苦しむこと限りなく、一人の赤児も又十日以前に乳の乏しき故か、身体痩せ衰え、無き人の数に入りぬる悲しさ。妾は最早、此の世に生きて望みなけれども、せめては夫や我が子の霊を弔いて、幽魂を慰めんものとのみ思うより外は無けれども、何を言うても盲目の黒白も解らぬ不便の身、推量あれよ」と泣き転ぶ。
 始終を聞き入る教主の心は一節々々胸に釘。
 心にあたるは、過ぎにし春の弥生の十五の月の夜半の出来ごと。大阪より帰りの途次、眠気に堪えずして兎ある墓場に仮寝の石枕、図らず会せし妖怪変化と疑いしその影は、正しくこの婦人なりし乎。事情逐一聞くにつけ、気の毒にも彼が眼病にかかりし原因は、突然走り出でたる我が婆を亡夫の幽霊と誤認し、驚愕の余り逆上してかかる不具者となり果てしかと思えば、不便さいや増さり、立っても居ても堪えがたく、ただこの上は神明の救助を仰ぐより外に手段も荒菰の上に、教主は恭しく拍手再拝祈願の祝詞も清々しく、一心不乱に勤行の至誠に神明畏くも赦させ玉いけん、不思議にも両眼の痛み頓に休み、四辺をじっと見廻しながら、思いがけなき此の世の光明に飛び立つばかり打ち喜び、「先生々々眼が開きました。ああ勿体なや忝なや」と伏し拝むこの場の奇瑞。
 教主は即時の霊験と不思議の奇遇に、神界の深遠なる御経綸に敬服し、「あら尊とや大神の大御業、人心小智の窺知すべきにあらず」と、深くも感じて有り難なみだ、五月雨の空暗く、晴れ間なさけの小旗川、橋も流るる思いなり。

  信之曰う、この婦人は山田小菊と名告り、教主に就きて幽斎を学び、神術大いに発達し、遂には小松林・松岡などの高等神霊懸らせ玉いて、教主に種々幽界の有様を親示せしこと多かりしが、其の後百日を経て再び大阪へ行かんとて、教主に別れを告げしまま行衛を今に知らずという。

大本の神の教を伝へむと山路はるかに越ゆる津の国 (初陣)
浪花江のよしもあしきも神業と知らずに下る淀の流れを
千早振神の教をかしこみて駒立てなほす元の住処へ (帰途)
足曳の山路を夜半に辿る身は月の神こそちからなりけり
ゆくりなく巡り遇ひたるうれしさに真の神の恵み覚りぬ (奇遇)
(『このみち』第三号 大正五年六月十日刊)
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