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文献名1出口王仁三郎著作集 第5巻 人間王仁三郎
文献名2第2部 心境を語るよみ(新仮名遣い)
文献名3邪禅語よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
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ページ255 目次メモ
OBC B195305c202
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本文の文字数7204
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本文     ○
 日頃心安い新派歌人某がやって来た。暫く話をしていたが、不図主人の顔を見上げて、
「あなたは毎日算盤を弾く手で、画を描き文章を作り、時には宗教を語り、時には株の高低を談じ、芸術を説き女性を論じ、或は人生観・社会観に説き及ぼし、嘗ては情歌や川柳の宗匠をやって居られた事もあるかと思えば、近頃はまた劇評や俳論にまでも筆を染められる。あなたの多能多才には実に驚嘆敬服の至りですが、然し私等の考えます所では、あなたが其の各方面に用いられる才能をば一つ所に用いられたならば、更に一層の効果がありはしないかと思われます。あなたの頭脳と才能とを以て商売なら商売、文学なら文学、画なら画と何かを一つ専門にやられたならば、それこそ実に大変なものが出来ましょう。それに引きかえ、私等などは唯一つの事にさえ心身を奪われて、それも何時迄経っても上達せず、へぼの儘で終わっているのは、実に我ながらお恥ずかしい次第です。本業の方だけに逐われて仕舞って、何一っ研究する余裕もないと云うような始末です。どうすればあなたの様に、そう余裕が出来るのでしょう」
「あなたは本業に逐われて余裕が無い、余裕が無いと言われるが、然し私から見れば、あなたこそ真に余裕のある人のように思われます。第一私はあなたの様に、人に忠告や意見をするような余裕が無いのですからなあ」
 此の余裕の無い新派歌人は、憤然として席を蹶立てて去って了った。
    ○
 天理教の教職連が四、五人やって来て、盛んに手前みそを並ベ立てるので、主人も少し癪に障り、うんと彼等を罵倒してやると、
「あなたは人間を十等位に階級を付けて、我々共を其の六、七等位のものに見ていますね」
主人はニヤリとして、
「それでは皆さん一遍立って並んで御覧、何頭だが数えて見ますから……」
教職連はブリブリしながら、一同起って並んで出て行って了った。
    ○
 若手の腕利きとか評判のある、某新聞の三面記者が訪ねて来た。話が例の八千代・楯彦の結婚関係に移ると、記者先生盛んに誤迷論を連発した上、突如として主人にこう質間した。
「あなたは或新聞には『イリュージョンの潰滅』と云う題で、両人の結婚に対して失望の意を漏らされたかと思うと、また他の新聞では『八千代と楯彦』と題して、暗に二人の結婚を讃美せられていますが、何だか矛盾の様じゃありませんか。全体どちらが本当なのです」
 主人対えて曰く、
「人間のからだから出るものは、タンにしろ糞にしろ、皆ロクな劉のはない養丶然しそれでも鶏はタンをつつき犬は糞をなめる。どちらでもお気に召した方にして下されば結構です」
「ははははは、然し時にあの結婚は、何時やるのでしょうな。我が社も其の期日を探訪しているのですが、何分写真版などの都合もありますから、一刻も早く知りたいのです。どうかして分からぬものでしょうかなあ」
「なあに君、探訪なんぞしないでも、そんな事位じきに分かるじゃないか」
「ええ、分かっていますか」と記者先生は甚だ猛烈に膝を詰め寄せる。
「分かってるとも君!何でもないさ」
「そそそれは、一体何日です?」
「年越しの晩さ。考えても見給え、芸妓が丸髻に結うのじゃないか㌧
記者先生は唖然として、暫くは何もよう言わず、主人の顔をポカンと見詰めている。
    ○
 関西俳壇の驍将と、よし人は許さずとも、自分だけでは夙に任じている某俳人が、一大事でも出来たが如く、忙しく駆け込んで来た。芝居ならば「御注進々々々」と、花道の七三でへたばるのであるが、俳人だけに落ち付いたもので、茶をすすり菓子を頬張り乍ら、然し急き込んだ調子で主人に語り出した。
「僕は今大変な事実を発見して来たよ。外じゃないがね、つい今散歩に出た序に柳屋へ寄って見ると、子規居士自筆の短冊が出ているのだ。値段を見ると一円五十銭としてある。すると、其の傍らに又僕の短冊も出ているから、幾何に付けてあるだろうとソッと窺いて見ると、君、二十五銭としてあるじゃないか。子規居士の短冊が一円五十銭もあるのに、僕のがたった二十五銭ではあまり懸隔が甚だしいから、こいつは何かの間違いじゃないかと思って、柳屋の老爺に『君、此の短冊は一円二十五銭じゃないか』と訊ねると、老爺の奴変な顔をしやがって『いえどうしまして、唯の二十五銭で御座います』と吐かしゃがる。僕は其の時ほんとに老爺の横面を殴り倒したくなったよ。
 すると又老爺め、こんな事を云いやがる。『○○さん(此の男の名前)の短冊は、手前共の方も二、三十枚持って居りますが、一向に売れません。然し妙な事には此の月になってから、若い御婦人のお方が三人も○○さんの短冊を買ってお出でになりました。これは大方値段が安いからだろうと思いますが……』とさ。此の老爺奴よくよく僕をむかつかせる様に出来ている奴だなとは思ったが、じっと腹の虫をこらえて黙って出て来たのさ。然しねえ君、僕の句がそうした若い女に受けると云うのは一体どう云う理由だろうねえ」
最初の憤激口調は何処へやら、何だかあごでも撫で廻し相な塩梅なので、一通りの者なら一寸あてられる所であるが、流石は主人、悠然と答えて言う。
「それは大方君許の下女が、君の細君の言い付けで買いに行ったのだろうよ。君の細君は中々賢夫人さ。自分の画に法外な値段を付けて置いて、自分が金を出して蔭から人にそっと買わせるのは、文展なんかでもよくある奴さ。柳屋には君の短冊が二、三十枚あると云うから、一つ奮発して君の細君や妹.妹の友達ないしは親類の女連・下女の朋輩まで狩り集めて、柳屋へ買わしにやったらどうだ。一枚二十五銭としたところが、たった五、六円の散財だ。そうすれば『僕の句が女にもてるのは、どう云う理由だろうねえ』なんて事は言わなくなるよ」
    ○
 髪の毛を長く延ばした華奢な手の持ち主は、在京都の青年洋画家某君である。主人とは之が初対面であるが、某君の気焔はなかなか惨まじい。
「元来芸術は人生の記録でありまして、人生の真実に触れたものでなければ、之を芸術と呼ぶ事は出来ません。ですから古来の大芸術家の作品には孰れも皆人生の輝きが認められます。ミレエにしろ、セザンヌにしろ、ゴツホにしろ、又近頃喧しいロダンにしろ、彼等が大画家としての不朽の生命を有っているのは、実に当然の事であります」
 左甚五郎の描いた名画とか云うのが、何処かにあるそうだ。ロダン翁が大画家であると云う事を始めて知った主人は、徐に口を開いて、
「君、そんな事を言ってる暇があるのなら、もっと商売に勉強して、せっせと得意廻りでもして、ビラ画の一枚でも描かして貰ったらどうだね」
此の一言は、甚だしく此の大芸術家の卵を侮辱したものと思ったか、卵君は物をも言わず、襖も開け放した儘で帰って仕舞った。
    ○
 顔色憔悴・形容枯槁、沢畔に行吟した屈原も、斯くやと思われるばかりの薄気味の悪い男が入って来た。落ち窪んだ眼でジロジロと主人の顔を眺めながら、
「私は今度或事情の為に、世の中が厭になりましたので、翻然として宗教的生涯に入り、宗教家になるつもりです」
「ああそうですか、して其の世の中が厭になられた事情と云うのは」
「実はお恥ずかしい話ですが、失恋の結果です」
「それは大変なお考え違いですな。宗教とはつまり人を惚れさす事です。人を惚れさす事が出来なければ、宗教家にはなれませんぞ。それを高が女一人をほれさす事が出来ない様でいて、宗教家になろうなどとは以っての外の心得違い。あなたは宗教家になる第一歩として、先ず其の女からほれさす様にしなければいけません」
主人の辞色が少し激しかったので、此の今屈原先生は宛ら喪家の犬の如く、塁々乎として、頭を垂れ背を低くして、出て行って仕舞った。
(「神霊界」大正六年三月号)

 今度新たに大発展を試みたとか云う某新聞(新聞や雑誌の発展とは、つまり値段の発展に外ならぬ事を主人は心得ている)の記者がやって来て、盛んに其の所謂発展振りを説き立てた。
「私の方では、従来外国雷報は凡て、ルーター通信社から取って居ましたが、今回時勢の進運に鑑みて、更にロイテル通信社とも特約を結び、両社から外電の供給を受ける事になりました。二個の外国通信社から直接外電を受けているのは、日本、否、東洋に於ては我が社一軒ばかりでありましょう。のみならず、今回新たに知名なる英文学者を二名招聘しまして、英文欄を新設し、我が国の事情を普く外国人に知らしめると共に、一方我が国貿易業者の為に須要なる機関を供給するつもりであります。これ全く東洋の日本を脱して世界の日本となった我が国の発展膨脹に伴わんとする、我が社の大々的用意でありまして、其の他政治・経済・実業・社会各方面に渉って、従来の面目を一新し大々的発展をし、またせんとしつつあるのであります」
この記者先生はどうやら、ルーターとロイテルとを別々のように思っているらしい。こんな先生がよく「サーヂの含服を拵えたがセルよりは着心地がよい」とか、「チョコレートよりもショコラアの方が好きだ」とか云う連中だと、主人は心の中で可笑しかったが、表面は如何にも同意に堪えぬような顔付きで、
「そうです、実際あなたの方の新聞の大発展には驚きましたね。私の方では、従来大阪の新聞を全部と東京の新聞を三種と取っていましたが、あなたの方の新聞を取り出してから、外の新聞は皆すっかり断わって了いました」
「それやそうでしょうとも、私の方の新聞を御覧になれば、他社の新聞などはてんで幼稚で見られませんからね」
「いやそう云う意味じゃないのです。あなたの方の新聞を読むと、あちらには昨日の毎日新聞に出てた事が載ってある。こちらには一昨日の朝日新聞に出てた事が載ってある。其の他外の新聞で二、三日前に出てた記事が其の儘あちこちに載ってあるから、つまりあなたの方の新聞は各新聞の総覧とも称すべきもので、我々の様な忙しい身体の者には大変重宝です。ですからあなたの方の新聞さえ読んで居れば、他の新聞は読まなくとも好いと申したわけなのです。流石に外国通信を二社から取っていられるだけあって、日本では各新聞社に通信員が置いてあると見えますな」
 記者先生は暫く主人の顔を眺めていたが、それでも流石に、「いや手前の方の通信員は、一人で各新聞の通信を受け持って居ります」とは言わなかった。
    ○
 神主ではないが、西の宮の戎神社に関係のある人がやって来て、いろいろな話の末、
「今年の十日戎は例年よりも甚だ不景気で、お祭りを一週間に延ばしたが、それでも例年の三日間よりもお賽銭が少なかった。世間は景気がよいと云うのに、一体どうした訳でしょう」
「それは君当たり前さ。景気がよいから却って福の神は不景気なのさ。こう世間に成り金が多くなれば、別段戎さんへ福を貰いに行かないでも好い訳じゃありませんか。人間って者は現金なものです。世間の景気がよくて却って不景気になるものは、神さんと易者と職業紹介所とでしょう」
客は初めて悟ったように唯々として去ったが、後で主人は惟々思うよう、世上の好景気に連れて一般の物価が騰貴し、湯銭までも値上げをしたが、唯数十年来少とも値を上げないのは神様のお賽銭ばかりである。これでは神様も定めてお困りの事であろう。誰か一つ先棒になって、お賽銭値上げ運動を起こす奴はないだろうか。尤もそうなれば、毎朝H参りをしている者などは大反対をするだろうが、然しそんな人には、回数券を発行して幾許か割り引きをしてやればよかろう。一つあの男を勧め立てて、値上げ運動の先棒に立たしてやろうか知らと、主人は敷島の煙を輪に吹きながら、天井を仰ぎ見てあてもない空想に耽った。
    ○
客「今度の総選挙には是非一つ貴方に御出馬を願いたいものですね」
主人「いや私は代議士の候補者に立つ位なら、寧そ監獄の差し入れ弁当屋でもやりますよ」
    ○
 今度代議士の候補に立ったとか云う某氏がやって来た。一体代議士に限らず何の候補者でも、選挙が済むと飽く迄も背後ヘフンゾリ返りたがる癖に、選挙前までは頻りに前の方へ頭をノメラせたがる。恰度頭を一寸叩けば前後にユラユラ動く西洋人形のようなものだ。尤もこれも「原動と反動とは相均し相反す」と云う物理の原則から言えば、当然な話かも知れない。そこで件の候補者君も頻りに前へ頭をノメラせて、主人に対って応援を嘆願するので、主人は
「全体貴方は立候補の時期を誤っていられるようですな」
「そうですかねえ、少し遅過ぎましたかな、立候補の宣言が」
「イヤ遅過ぎたのじゃない、早過ぎたのです。四月の二十五日頃に立候補を発表せられたらよかったと思います」
「四月の二十五日?それではもう選挙は済んで終つているじやありませんか」
「さあそれだから競争者も無く、挌別骨も折れず、運動費も少額で済むのですよ。つまりあなた方のは代議士の候補に立つたと云う事だけで、それだけでもう満足なのですから、何時立たれても同じ事じやありませんか。火事の時でもそうで、火の燃えている時に来て畳や箪笥を担ぎ出して呉れた人には、つい混雑に紛れてお礼を言う事を忘れるものですが、却つて火事が済んでから、見舞いに来て呉れた人には叮嚀に礼を言つて、且つ其の人を永く覚えているものです。貴方も貴方の立候補の印象を永く世人に記憶せしめようとせられるならば、選挙が済んでから出られるのに限りますね」
 候補者君は何とも言わず、妙な顔をして出て行つて了つた。其の後ろ姿は何となく影が薄かつた。
    ○
 今度出来たとか出来るとか云う某会社の、株式を勧めに来た男がある。開業早々から何割の配当があるとか、欧州の戦争が済んでも決して頓挫をしない事業だとか、二十円以上のプレミアム付きで売り出した所が、即日売り切れになつて了つたとか、頻りに景気の好さそうな事を言つて、扨「世間投資家の希望が頗る多い為に、今度特に社長の持ち株の内、若干株を割愛して市場に提供し、投資家の希望を充たそうとする訳で、就いては主人にも是非幾許かを引き受けて呉れ」と云う話である。
 それ程希望者の多い株ならば、別段欲しがつてもいない主人の所へ来て、押し売りをする必要もあるまいのに、其の社長とか云う人も随分妙な慈善心を持つている男だなと、主人は一種の滑稽と悲哀とを感じたが、丁度昼飯時分であつたので、近所の牛肉屋へ其の男を連れて行つた。
 ジユウジュウと甘味そうな湯気の騰る牛鍋をつつきながら、主人は卒然として言つた。
「昨日茲の家で面白い事があつたのだよ。僕は友達と二人で晩飯を食つていると、隣の座敷に何処かの会社員らしい男が三人酒を飲んでいたのさ。飲んでいる中は景気がよかつたが、扨勘定となると、三人共誰も持つている奴がない。つまり三人がめいめい他の懐中をあてにしていたものらしい。そこで仲居を呼んでいろいろ談判をしていたが、結局仲居の曰くには、「一現のお客様でございますから、えらい固うございますが、店の規則としてお貸し申す訳には参りません。何で御座いましたら、お羽織でも御預かり致しましたら」と云うのさ。所が是を聞いた件の一人は奮然として怒り立ち、「失敬な事を云うな。我輩等はこう見えても、株式会社の株主だぞ。嘘と思うなら之を見ろ」と、傍らの紫の帛紗包みから取り出したのは一枚の株券だつた。それを仲居の鼻の先へ突き付けて、「さあこれは五百円の株券だ。三円や四円の払いに五百円もかたに置くのは馬鹿らしいが、生憎現金の持ち合わせが無いから仕方がない。さあこれを持つて帳場へ行つて来い」と、大変な見幕だ。
 僕は襖の横合いから窺いて見ると、紛う事なき今度出来た○○会社の株券で、確かに額面五百円の十株券であつた。すると外の二人もてんでに懐中から同じ様な株券を取り出して、「我輩等もこの通りに持つている。一枚で不足なら我輩等のも持つて行け」と女中の鼻の先へ突き出した。女中は「いえそれには及びません」と、最初の一枚だけを持つて帳場へ出て行つたが、程無く又其の株券を持つて帰つて来た。そして慇懃に口うのには、「只今帳場へお見せ申しましたところ、株券も結構は結構だけれど、同じ事ならお羽織の方をお願い申せと、こう申して居られましたから、折角で御座いますけれどこれはお返し致します」と、件の株券を客の前へ突き返した。そんなら其のお羽織と云うのが何か大したものかと云うのに、決してそんなのじやない、高々五、六円位の銘仙の羽織で、而も大分着古した奴だ。仮にも君五百円の株券が、着古しの銘仙の羽織よりも見下げられるとは、一体どう云う訳だろう。
 そこで拠所なく件の一人は不精々々に着ている羽織を脱いで渡したが、後で彼等が話している所に依つて想像をすると、彼等は其の会社の社員で、此の月会社の創業と共に入社し、実は昨日が其の初めての月給日に当たつていたので、会社では現金の代わりに株券で俸給を渡したのさ。そこで彼等は大いに喜んで、会社の帰途茲に立ち寄つて聊か祝盃を挙げた訳なのだが、僅か三円や五円の払いにも其の株券が通用せぬとなれば、帰つてから家賃や米代がどうして払える。これや一つ社長の所へ行つて此の株券を返し、仮令十円でも十五円でもよいから、現金で俸給を貰うように頼んで来ようじやないかと、三人共酒の酔いもすつかり醒めて、額を鍾めて相談に及んでいたのさ。
 どうだい君、株券にも種々あるね。こんな株券なら只呉れると云つてもお断わりだ。無論君の勧めている株券は、こんなものではあるまいが……
 主人はあまり喋呑りつづけたので、ぐいと一息に盃を乾した。例の男は泣きたいような笑いたいような顔をして、じつと主人の顔を眺めている。其の前に置かれた盃はもう冷たくなつている。
(「神霊界」大正六年四月号)
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