文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社よみ(新仮名遣い)
文献名3喜楽天狗よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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データ最終更新日2017-10-23 16:25:43
ページ152
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高熊山から帰った喜三郎は、これまでの牧畜業をやめて、幽斎の修業と布教に専念することにきめた。以前から、さまざまな宗教の教会に行ったり、産土神社にこもったりして、信仰の問題は強く喜三郎の心をとらえてはいたが、この高熊山での神秘的な体験を機会に、救世の使命を自覚するようになり、こののち、喜三郎は宗教家としての新しい生活に入ることになった。喜三郎は、自分の体得した信仰を友人や家族に説明したが、だれからも信用されなかった。当時、この地方には能勢の妙見系統の信仰、船岡を中心とする妙霊教会の信仰、稲荷の信仰などが勢力をもっていた。これらの勢力のもとには雑多な神がかりや術者・祈祷者がおり、喜三郎は最初そのようなものの一人とみられていたのである。この地方の民衆は、このような呪術的な宗教家たちの強い影響下にあって、その霊能を畏怖していたが、一面では、それを「迷信」や「山子」として不信感をもっていたから、喜三郎がすぐれた霊力をえたことを自己宣伝するだけでは、信頼されるはずもなかった。当時の農民は前近代的な俗信や呪術から完全にぬけ出すには、ほど遠かったが、それなりに、「論より証拠」式の素朴な実証精神で、ききめのないにせものの霊能には、鋭い反発を示していたのである。
喜三郎は、このような信仰状況のもとで、活動をはじめねばならなかった。友人の斎藤仲一を説得して仲間にひきいれ、斎藤宅に、まず教会場を設けた。斎藤は「一つの教派を開こうと思えば、何か変わった術をみせねばならぬが君にはその腕があるか」と尋ねたので、喜三郎は「自信がある」と答えた。すると斎藤は、近村の農家の婦人で岩森八重という歯痛患者をつれてきて、治療するようにと申し入れた。喜三郎は、最初「医者が目的ではないから」とことわったが、「教会を開こうと思えばどうしても病気直しからはじめねばならぬ。何教の教祖でも病気直しからはじめた」と、斎藤はしきりに喜三郎を口説いた。そこで、やむなく喜三郎は心身を清めて神に祈り、軽く婦人の頬をなでると、二年ごしの痛みが五分間くらいでとまってしまったという。これが、喜三郎が鎮魂で病気をなおした最初であった。喜三郎の鎮魂は良くきいたので、だんだんとたずねてくるものが多くなり、「穴太の喜楽天狗」とか「金神さん」とか「稲荷さん」などと呼ばれて次第に有名になっていった。このころ、喜三郎をたずねてきたのは、もっぱら病気の治癒を願う人々であった。たとえば、西別院犬甘野の石田小末(二二才)は夫に死別した失明寸前の婦人で、貧苦のはてに村を追われて流浪しようとしていた人であった。岩田ふじは神がかりした精神病患者であったし、阿紋は死霊にとりつかれた不幸な婦人であった。これらの人々や、やがて、喜三郎の最初の幽斎修業の集まりに参加した人々についてみると、このころ喜三郎に心から帰依した者の多くは、ほとんど女性であり、ことに不幸な事情にあった婦人たちであった。これに反して喜三郎の周辺の人たちは、かれが家業をすてて鎮魂にふけることを非難して「狐使いだ」「山子だ」とののしり、容易にその霊力を信じようとしなかった。ことに、親戚の上田次郎松や弟の由松ははげしく喜三郎を攻撃した。次郎松は、湯のみに銅貨を入れて厚紙に包み「この中に何がはいっているかを当ててみろ」と迫り、霊力をためそうとした。喜三郎は「手品師ではないから」とことわったが、あまりうるさいので「一銭銅貨が十五枚入っている」というと、次郎松は不思議そうな顔をして、飯綱か管狐※を使っているのだと村中にふれまわったという。当時、この地方では稲荷下げ・狐使い・狸使いなどの俗信仰が深く人心をとらえていたし、そのために、いかがわしい術者・巫女の横行もはげしかった。そこで、喜三郎は自分の霊力が、そういうたぐいのものではないことを証明するために、素裸で水をかぶり、飯綱や狐を使っていないことを示さなければならなかった。また、周囲の仏教徒たち、妙霊教信者の叔父、稲荷を信ずる伯母などからも非難を加えられたが、病気なおしのすぐれた腕前によって、喜三郎はますます有名になっていった。
※飯綱はイタチに似ているが小さく、夏は褐色で、冬になると全身純白になる。北海道・青森県に産し、人家附近にすむ。管狐はハツカネズミくらいの大きさで、群馬・埼玉・栃木地方に多く、長野地方にもすんでいる。狐の中でも最も不思議な作用をするように信じられており、これを使う人が竹筒を持ちながら呪を唱えれば、狐はその筒の中に入り、問いに応じて答えをするという。毛のさきが分かれているのでヲサキとも名づけられている(『世界大百科事典』)。
〔写真〕
○矢田の滝(亀岡市上矢田)喜三郎は一週間の水行をした p153