文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第1編 >第5章 >2 金明霊学会よみ(新仮名遣い)
文献名3金明会の発足よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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OBC B195401c1521
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上田喜三郎の大本入りにたいしては、金光教の足立はもとより、開祖側の役員のなかにも反対者はあったが、このたびのことは、開祖の神が命じたところでもあり、それに四方平蔵の、上田の偉大さについての説得もあって、しかたなく、いちおうはなっとくせざるをえなかった。
上田はまず、艮の金神を世にだすために、公認の手続きをとり、宣教活動の合法化をはかろうと考えた。それで、裏町の土蔵に世話人の集会を開き、「開祖がながい間の望みどおり、艮の金神を公然と表にだして行こう」と強調して、組織づくりに着手した。当時の世話人は、四方平蔵・西村文右衛門・西村庄太郎・西村弁太郎・四方与平治・四方祐助・四方伊左衛門・中村竹蔵・竹原房太郎・西村喜市・四方甚之丞・四方安蔵・四方すみ・塩見じゅん・四方与平・四方藤太郎・村上清次郎の一七人であった。この世話係りは、ほとんどが農民で、綾部周辺に住み、開祖からおかげをうけた人たちであった。
まず教会の名称は、艮の金神の金の字を頭にとり、日の大神、月の大神の日月を合わせて金明会と命名された。つぎに、開祖を教主とし、上田喜三郎が会長となることに同意をもとめ、数人の役員をおいた。こうして金明会は、少人数ではあったが、神徳あらたかな教団として出発することになった。
本宮の金光教会側は、開祖が裏町へ移るようになって以来、次第にさびれかかっていたところへ、上田の登場によって金明会がはじまると、ますます衰退してゆくようになった。思いやりの深い開祖は、教会長の足立の境遇を気の毒に思い、小遣い銭やお米をおくったりもした。上田はかねてから、足立を金明会の幹部に迎えようと考えていたが、他の役員は、足立が金明会の幹部になることには反対であった。そこで、上田は「私は足立に対して済まないから、ここを去りたい」と役員に申し出た。それまでの上田の厚意にたいしてどこまでもつっぱることができず、役員もやむなく承知して、「上田先生に一任します。上田先生にはぜひとも教主様のおそばにいてもらいたい」ということになった。こうして役員たちは、足立を金明会の副会長として迎え入れた。
上田は金明会の組織づくりをすますと、開祖のもとで、ただちに、霊学をもって宣教活動に専念することになった。
〔写真〕
○金明会の辞令 p181