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文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第1編 >第5章 >2 金明霊学会よみ(新仮名遣い)
文献名3金明霊学会よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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ページ182 目次メモ
OBC B195401c1523
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本文  本町の広前に移転してから、開祖の筆先に、上田にかんするものがつぎつぎとあらわれた。

上田殿にたいもうなご用いたさして、綾部に結構をいたさすぞよ。小さいことを申してをりては、このたいもうがあるのに物ごとがおそくなるから、このことは、みな神が一つであるから、稲荷でもかまわぬぞよ。(明治32・7・23)

 ここに稲荷とあるのは稲荷講社のことである。こうして、上田がこれまでおこなってきた霊学会の存在も重要になってきた。そこで、金明会と霊学会を一つにして金明霊学会の組織が生まれ、あらためて、一八九九(明治三二)年八月一日、稲荷講社の許可をえた。金明霊学会は、公認結社である稲荷講社の分会という形式をとって、つぎのような規約をかかげて出発した。

一、本会は金甌無欠の皇室を仰ぎ、朝旨を遵守し、皇典を講究して国体を弁明し、古今の成績を推考して国家の実益を謀り、天神地祇八百万の神を崇敬し、以て報恩謝徳の道を拡充し、惟神の徳性を宇内に宣揚するを主要とす。
二、皇室の聖教を発揮し、国武彦命の大教を遵奉し、出口開祖の幽玄聖美なる神訓を顕彰し、聖教本義を講究して、神理を闡明するを以って目的とす。
三、本会は宗教上の主義より結集する者に非ざれば、何教何宗の信徒の入会するも不都合なき者とす。

 これは、当時の国家主義的な国民教化の線にそってつくられた文章であり、国武彦命(筆先には国常立尊の分霊とある)をかかげ、出口開祖・上田喜三郎を中心に、世話係りは、四方・足立をはじめ旧来の幹部が選ばれて運営にあたった。
 本部内には祭務・検務・会計・庶務の四課を置き、霊学講究のため、各地に支部または会合所を設置することとした。会の維持費としては、一ヵ月金五銭以上納付する者を正会員として、一時金五円以上納める者を特別会員とした。当時の会員数については、資料をまったく欠いているが、一九〇二(明治三五)年には、府下の各地に地方組織をもっており、役員・信者総数は二三六人となっている。当時会合所は、京都府下では何鹿郡東八田・南桑田郡旭・船井郡八木・同園部・同桐之庄・同川原町・同胡麻郷・同桧山・京都塩小路・同祇園・同魚店、兵庫県では多紀郡遠方にあった。そのほか役員名簿には大阪・四条の信者が点々と出ている。当時の修業は学術・顕斎・幽斎の三科に分けられ、学術は神典を読誦してその意義を研究し、顕斎は祝詞の文例や祭典方式を学んで実習した。幽斎は最高の修業として、各地の霊魂が幽冥へ感合することを修業し、幽斎修業を請うものには指導をほどこしたが、その後、上谷に修業場を設けてからは、とくにさかんになった。
 一八九九(明治三二)年九月一九日(旧八月一五日)には、本宮東四辻の金光教会が明け渡されて、そこを幽斎修業の場とした。開祖はもとより、信者もよろこんだ。公認の教会であるということで、集まってくるものもきやすくなり、信者も次第に増加してきた。このころの筆先に

上田殿はごくろうであれど、金明会の始まりであるから、力を入れてくだされよ。上田殿に申してあること違わぬぞよ。今度お憑りなさるのは、すみ子どのにはちがふが、みな落ちておいでなされた神様がお憑りなさるから、口切りがむづかしいなれど、口が切れたら結構な神様ばかりざぞよ。金明会が開けるぞよ。綾部を元といたして三千世界を一つにいたして、神国にいたすのであるから、上田殿にはチト骨がおれるが心配をいたさいでもよいぞよ。神が力をつけてやるから、ぬしがでに開けるぞよ(明治32・7・9)

とある。さきに、金光教の足立正信が金明霊学会へ転向したことを聞いた金光教の京都島原支所長・杉田政次郎、金光教会八木支部長・土田雄弘、信者の福島寅之助らが綾部にきて、「金明霊学会をやめるように」と足立に忠告したが、足立は、すでに杉田・土田らの部下にたいする薄情さが身にしみており、開祖や上田会長の温情に感激していたので、その忠告を受けいれず、反対に、金明霊学会の教義の深遠霊妙なことを力説したので、おわりには土田らも入会した。このとき、上田会長も、足立を訪ねてきた三人に、神界の様子や幽斎の方法などを説明した。そこへ、十数年間も胃腸をわずらっている人が、大原から駕籠でつれられてきて、病気平癒の祈願をこうた。上田会長が祈願をして「悪神立去れ」というと、不思議にも病気はその場で回復した。つづいて台頭から、これも駕籠にのって片山卯之助という一五才の少年が、足のたたぬ病気の祈願をたのみにきた。この少年も、上田会長の一言ですぐ足が立ち歩きだした。このありさまを目撃した三人は、非常に驚いて、上田会長の霊力に感嘆した。福島は、上田喜三郎にこれまで開祖の審神をたのんでおきながらも、金光教会の役員といっしょになって反抗してきたが、この有様をみては、その霊力をみとめざるをえなかった。
 足立が金光教にいたころは、布教師にはなっていても、幽冥界の実状や霊学について、ほとんどなんの知識ももっていなかったので、この日のあまりにも奇妙な現象に接すると、逆に、上田会長は妖術使いか魔法使いではないかという疑いをもちはじめ、ふたたび、上田会長にたいして反抗的な態度をとるように変わっていった。地方からは金光教から点じて入信してくるものが多くなり、京都では、南部孫三郎・谷口房太郎・野崎宗長・土田雅弘、園部では上仲儀太郎・内藤半吾らが入信して霊学の研究をした。
 綾部周辺では、「本宮の金神さんはよくきく」といううわさが、ますますたかくなった。ここに集まってくる層は、ほとんどが農民で、病気なおしが主であった。筆先にも「このほうは病気なおしなどするような、神ではない。しかしたのまれてみれば、なおしてもやらねばなるまい」とあって、祈願に応じたのである。筆先に叫ばれた「三千世界の立替え立直し」、「元の神世にもどす」、「この世の祖神の出現」ということが直接ひびいて、入信の動機になったものは少数であったが、医師から不治、あるいは死の宣告をうけながら、開祖や上田会長の祈願で、ぬぐうように平癒するというような体験をえた者は、筆先の拝読や謹写を通して、本宮の金神さんのおしえにふれ、立替え立直しにたいする素朴な信仰に、はげしい情熱をかけるようになった。
 また、金光教から入ってきた人々も、はじめは、金光教会での習慣がぬけきれなかったが、「も一つ改心いたして、しっかりやらんと、今までの行ないではまことのことがないぞよ。金光教の流儀をやりては、この金明霊学は世のあらためいたすところであるから、まことのおかげがないぞよ」と筆先に示され、しだいに筆先に示された信仰へと向上していった。
 このようにして、求道者がだんだん信仰的にたかまり、その数も多くなってくると、開祖は、戦死した次男清吉の一時賜金二五〇円を基にして、同年一二月一日、本宮村本宮下三二番地・大島景僕の家(現在綾部の神苑内・金明水のあたり)を買入れた。一時他に貸してあったが、翌一九〇〇(明治三三)年一一月一日(旧九月一〇日)そこに移った。二階の八畳を広前とし、神床には新しい宮がつくられた。このときはじめて、「竜宮の乙姫」をもいっしょに奉斎した。
 すでに、明治三一年九月二日の筆先には、
「乙姫様はこの世になき結構なお宝をお持ちなされた。乙姫様のお宝も、残らず金神様のお宝も、この艮の金神がおあずかり申すのざぞよ。これを自由にいたすのは艮の金神でないと、誰の自由にもならぬのざぞよ」と示されていたのである。
 修業場は、これまでどおり、東四辻のもと金光教会あとにおくことにした。霊学については、

国武彦命を表へ出して下さりたのは上田殿、出口と上田殿のみたまは因縁あるみたまであるから、珍しきことをいたさすぞよ。……昔からの因縁のことをわけさせる霊学であるから、上田にこのことをわけさせるぞよ。上田のみたまもわけて見せるぞよ。この金明霊学を持ってきたようにおもうから量見がちがうのざぞよ。金明霊学は、艮の金神が、三千年の仕組ざぞよ。元をしっかりいたさねば良い枝は栄えんぞよ。これから上田には小松林をご用につこうて、何かのことを判けさすぞよ(明治33・1・15)

と示され、霊学が艮の金神の仕組のものであることを明らかにされたので、上田会長や霊学にたいする修業者の態度も信仰的にかわっていった。

〔写真〕
○金明霊学会の会則 p183
○大広前-本宮・東四辻のもと金光教会 p184
○金明霊学会のことの上田会長 p185
○大広前-竜門館(もと大島景僕宅) p187
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