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文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開きよみ(新仮名遣い)
文献名3冠島開き・沓島開きよみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-07-27 22:10:05
ページ209 目次メモ
OBC B195401c1612
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本文  冠島の様子が建部などの話でほぼわかったので、七月四日(旧六月八日)、開祖は上田会長・すみ・四方平蔵・木下慶太郎(開祖の四女りょうの女婿)とともに、ござ・笠・木綿の着物に紙まき草履で舞鶴をさして出発した。
 途中東八田村大石の木下慶太郎方へ立ち寄り、午後五時ごろ舞鶴の船宿大丹生屋へ到着し、冠島へ行ってもらいたいと船をたのんだ。あいにく夕刻から降り出した雨は時化となったため、船頭はだれ一人行こうという者がない。じっさい筆先(明治38・4・10)に「冠島参拝をいたすおり、舞鶴の大丹生屋へ着いて船頭をたのみ、冠島へ船をやりてくれと頼みたおり、船頭がすぐまいりて、冠島はあらたかな神様であるが、見れば女が二人もおるし、おしめりがあるし、まず雨が上がるまではようやらんと申すから、私達おしめりのあるのは承知であるから、船に石でも積みたように思うてやりて下されと申せば、なした事をいうお客であろう。どんな人でもおしめりがありたら逗留して行くと、お客の方から申すのに、なした困ったお客を受け合うたものだと悔みておるなり、おしめりは大分ひどいし、大丹生屋亭主も剣もほろろに申すなり」とのべられてあって、きつい荒れ模様となった。開祖は「竜宮様がお迎えにみえるので少しは荒れておるが、博奕ガ崎(舞鶴湾口)まで行けば雨も風もやむと神様が申されるから、船を出してほしい」といわれる。そこで、途中から引きかえすようなことになっても、冠島までの賃金は支払うからとたって頼むと、船頭も島の神様にうかがってみようと、藁筋でみくじをつくりうかがいをたて、とにかく行けるところまで行こうということになった。夜十時船を漕ぎだし博奕ガ崎までくると、開祖が話したとおりに、さしもの雨風もやんで星空となった。一行は喜びいさんだ。七月五日(旧六月九日)、若狭の山から朝日がのぼるころ島に安着した。一同は波打際で禊をして社殿に進み、禊祓・大祓の祝詞を奏上し、祈願をしてとどこおりなくご用をすました。この時の船頭は、舞鶴市吉原の漁師、田中岩吉(四一才)・橋本六蔵(三四才)であったが、開祖の厚い信仰と数々の神徳を見聞して感激し、それから後の参拝にはいつもお供をすることになった。
 冠島開きがすんで一ヵ月ののち、「こんどは沓島も開いて下されよ」との神示があった。「世に落ちておりた生き神を今度世にあげる」ための参拝であるという。
 八月二日(旧七月八日)、開祖は綾部をたち、会長・すみほか一行九人、大丹生屋で船をやとい、沓島へ向うことになった。当日の日和りは、ここ数年にない静穏な海上であったから、船頭らは島の神様のご守護だとよろこび、途中海上で、魚釣りをしていた舟から神饌にするための鯖を買いもとめ、翌朝八時すぎ冠島へ到着した。社前で禊祓の祝詞を奏上ののち、木下慶太郎・福林安之助・四方祐助・中村竹蔵の四人を冠島に残して、境内の掃除を命じておき、開祖は会長・すみ・四方平蔵・福島寅之助とともに沓島へ渡った。
 船が島に近づくと、海猫が騒がしく鳴きたて、おだやかな海上だというのに大きなうねりで、舟を漕ぎよせる場所が見当たらなかった。開祖はぜひとも釣鐘岩へ舟を着けよと命じた。その下に漕ぎよせると会長は真っ先に上陸して舟を縄で結びつけた。綾部より組立ててきた神祠を解体し柱を一本ずつ曳きあげ、三〇メートルほどの高所にある二畳敷あまりの平岩を鎮座所として祠を建てた。艮の大金神国常立尊・竜宮の乙姫をはじめ、ながい年月、かげから守護されていた神々を奉斎して、供物を献じ、鎮座祭を執行した。開祖の祈願があって祭典も無事に終了し、帰路は島を一周して冠島へ立ち寄った。三日の夕刻舞鶴へつき、四日舞鶴の京口町で記念撮影をしたのち、綾部へ帰り、こうして神命をはたすことができた。
 その後の筆先には「こんど沓島・冠島へ行ったのは、二どめの世の立替えのご用でありたぞよ。世界を一つにいたすご用のおともでありたぞよ」(明治34・4・12)と示されている。筆先によれば「元をこしらえた神世の生き神」は、舞鶴沖の沓島の山におしこめられて、世に「落ちて」おり、おなじく冠島は竜宮の入口で、冠島と沓島の間の荒海が竜宮の乙姫のすまいであったとされている。冠島・沓島は綾部から東北(艮)の方角にあたるが、そこに世の元の主宰神がおしこめられ、かげから世界を守っていた。その元の神が表面に現われて、みだれくもったこの世界を立替え立直すときが迫っているから、これまで隠退していた神々は、いまや世にでなければならない。「立替えについては、もう化けてはおれんから」(明治33・8・6)表面にあらわれて世界を一つにしなければならない。このまことの元の神を世にだすことこそが、大本の使命であったから、「冠島・沓島開き」は、大本そのものの独自な展開の出発点をなすきわめて重要な神事であった。

〔写真〕
○ふでさき をんしるしをかきを九ぞよ をでぐちなおが めしまいわ を九にとこ(を九にとこたちのみことどの)たちのみこと をしこまれてをりたぞよ いちりんのをてつざいなさるかみついてをちてをいでたぞよ p209
○日本海にうかぶ孤島 冠島・沓島 p210
○船頭の田中岩吉・橋本六蔵 p212
○冠島・沓島開きに使用された舟 p212
○冠島・沓島開きの記念写真 前列左より 出口すみ 開祖 上田会長 後列左より 木下慶太郎 福林安之助 福島寅之助 四方平蔵 四方祐助 p213
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