文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第2編 >第2章 >3 道統の継承よみ(新仮名遣い)
文献名3世継ぎよみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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一九一〇(明治四三)年の旧四月一五日・同月一八日・旧八月七日・旧九月一〇日・同月二八日の各日にかかれた筆先は、一つの箱のなかに秘められていた。これは側近に不仕していた四方与平にわたされていたが、開祖は昇天の日まで、その拝読を許さなかった。四方はそのあいだ鍵をかけて大切に保管していだが、開祖の昇天によって、開祖の「つぎの教主にわたせよ」との遺言にしたがって、それを教主王仁三郎に手わたした。教主は、これを「神霊界」大正七年一二月一号および一二月一五日号に発表したが、そのなかには、大本の世継ぎについて、つぎのように示されていた。「変性男子の後の御世継は、明治二五年に初発に、山口直の筆先に一度かかしたことは違いはいたさん、何事も出口直の後の二代の御用を勤めさすのは末子のおすみが定めて有るなり、三代の御用いたすのが、出口すみの総領の直霊に渡る経綸に定まりであるぞよ。この三代の直霊が世の元の水晶の胤であるぞよ。綾部の大本の御世継は末代肉体が婦女であるぞよ」(明治43・旧4・18)とあるのがそれである。そしてそれには、この経綸はいつになってもかえることのできない神定であると念がおされている。
王仁三郎は、坤の金神のご用をつとめて開祖をたすけ、裏の神諭を発表し、実質的には教主として一切を統理していたが、しかし、開祖と教主とは神業に経緯の別があって、開祖在世中は、開祖が表で、教主は裏であり、開祖が主であって教主は副の地位にあった。教主が七五日間の神界の修業をおえた直後に、開祖の昇天をむかえたが、火継の神事によって、教主夫妻の時代となった。教主はこうして、変性女子の教祖として、二代すみ・三代直日の後見をすることとなったが、しかしなおしばらくは、教主の位置にそのままとどまっていた。
一九一八(大正七)年の一二月二日(旧一〇月二九日)には、教主に国祖の神懸りがあり、「旧十月の三日、新の一一月六日の五ツ時、神界の経綸が成就いたして、今度の世界の大戦争を一寸止めさしておいて、其の晩の四ツ時(十時三十分)に天からの御迎で出口直は若姫岐美命の御魂と引添うて天へ上りたぞよ。是からは天の様子も明白に判り出すぞよ。一旦出口直は天へ上りたなれど、直の御魂は三代の直霊にうつりて地の御用を致さすぞよ。直の御魂は、天にありては国常立命と引添うて大国常立尊大出口神となりて世界の守護を致すなり、地に降りては変性女子の身魂に国常立命がうつりて立直しの御筆先をかかすなり、出口直の御魂は木の花咲耶姫命の宿りた身魂の三代直霊にうつりて、直霊主命となりて、地の神界の御用を致さす経綸が成就いたしたから、是からの大本の中は是までとは大変りが致すぞよ」との神諭がだされた。なお、開祖は昇天後にあっても、あいかわらず現幽神三界にわたって守護するという神諭もだされている。一二月二二日(旧一一月二〇日)にはさらに「大本の経綸の一の土台は天王平の一の瀬の奥都城、これから段々開けてくるぞよ」と、経綸についての神諭も発表された。
〔写真〕
○世つぎのふでさき との 九にとこたちのみこと へんじよなんしのみたまのやどりてをるでぐちなをの ちすじで まつだいつずかすし九みがしてあるぞよ あやベのをもとわ まつざいに 九たいわをんなの五よつぎであるぞよ…… で九ちなを 七十五さい めじし十さねの九がつのに十はちにち しんの十いちがつのついたちのしるし p391