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文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第2編 >第3章 >5 大正日日新聞よみ(新仮名遣い)
文献名3新聞の論調よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-10-20 13:32:53
ページ497 目次メモ
OBC B195401c2352
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本文  「大正日日新聞」を発行するにいたった目的は、たんに日刊時事新聞として新聞を発行するということにのみあるのではなく、むしろ大本の主張を天下に宣布するというのが主たるねらいであった。したがってそのありかたは「大本時報」を拡大した観があった。大本神諭に示されている予言と警告とを時事問題とつきあわせて一般の人々に理解しやすく解説し、立替え立直しの神意を宣伝して、社会の革正をうながさんする主張が当初から内包されていたので、その編集態度もはじめからはげしい論調を中心にすることに重点がおかれていた。そのため一般の時事新聞とはその編集方針を異にするところがあり、特異な取材がなされていた。それは浅野和三郎の執筆した「再刊の辞」にもうかがわれる。浅野は「皇道大本が大正日日新聞を買収して、其経営に当るとの報道一度二三新聞紙上に伝へらるるや、忽ちにして満天下の問題となり」と書きだし、「吾々皇道大本の信者より云へば、『時節』は宇宙独一真神天之御中主の大精伸の発動にして」と真向うから神意と時節をふりかざして、「朋党的なる現代の政治、支離滅裂なる現代の社会……一時を糊塗するを知りて国家百年の大計に盲目なる現在の外交、さては頽廃的気分に漲れる現在の文芸等……かかる『時節』なればこそ皇道大本が丹波の一角に出現し、天下に向って獅子吼するに至りたるなれ。皇道大本は時代の産物にして、決して時代の先駆者、時代の逆行者にあらず」と強調している。そしてつぎのような十大特色を公表した。

忌憚なく言へば、吾人は現下新聞紙界の一般風潮に対し十分満足の意を表するに躊躇す。第一は新聞紙の多数が内実は一政党若しくは資本家の機関又は奴隷たる事是也。従って新聞記者は正邪善悪の規準を考慮する前に、先づ自家の利害得失を打算して筆をとる。第二は殆ど総ての新聞が営業本位、読者本位にして何等主義主張を有せざる事是也。其結果は多く挑発的、担造的、迎合的舞文曲筆となって現る。第三は何れの新聞紙も形式を主として実質を従とする事是也。第四は社会の事相に対して斜視的観察を下すこと是也。現代新聞紙の多くは、大抵美事佳所を放棄し、殺人姦淫等の不潔方面にのみ着眼し……第五は各新聞が漸次地方的、局部的に流るること是也。一葉の新聞を見て天下の大勢を知ることは殆ど期待すべからず。第六は何れの新聞紙も迅速を以て唯一の生命とし、正確と周到とを犠牲とすること是也。その結果は畢竟道聴途説の伝達者たるに止まり、単に人を惑はせ、世を騒がし……第七は何れの新聞紙も時代遅れなること是也。第八は多くの新聞紙、就中大新聞と称せらるるものが其本分を忘れ、無用有害なる競争に熱中し、読者の迷惑を考慮せざること是也。第九は最高の道義的精神に欠如し、不真面目にして言責を重んぜざる事是也。第十は新聞紙の百中百迄、何等不抜の信仰の立脚地なく、従つて何れも当座的、現在的、唯物的にして国家人類に対し慰安ともならず、杖柱ともならぬこと是也。思ふに斯の如きは独り新聞紙の罪ならず、一半の罪は当然読者と社会とに於て之を負ふべきものならん……此重大なる天の使命をもたらして生れたる大正日日新聞は、先づ左記十大特色を発揮して、堕落せる現代新聞紙界の立替えを断行し、以て長く天下の期待に添はんとす。
(一)本紙は一政党一宗派の機関にあらず、専ら一大地の大道に基きて世界人類指導に任ず。
(二)本紙は資本家に媚びず俗衆に阿らず、又権勢に請はず、真に社会の木鐸として普通新聞紙の模範たることを期す。
(三)本紙は政治、外交、国防、其他一切に関し、主として報道の的確を重んじ、活世界の縮図たることを期す。
(四)本紙は行詰れる現代思想界を指導開発し、暗黒世界の灯明台たることを期す。
(五)本紙は特に宇宙の神機を漏らし、世界人類に一大警告を与ふることあるべし。
(六)本紙は間断なく社会事相に対して霊的観察に拠る独特の批判を下し、人心趨向の針路を明らかにす。
(七)本紙は断乎としてかの社会に害毒を与ふる挑発、担造、誇張の筆を弄せず、善良なる家庭の好伴侶たることを期す。
(八)本紙は常に不健全なる文士学究の徒に対して論駁を加へ、異端邪説の撲滅に任ず。
(九)本紙は特に浄化せる文芸大家の作品を紹介連載し、健全なる趣味の養成に努む。
(十)本紙は特に社会の大動脈たる経済界の実状を的確迅速に報道し、最も痛切に読者の要望に応ず。

 この十大特色は、大本信者および大本の主張に耳を傾けていた社会の人々からは、無条件に歓迎されたのであるが、「朝日」・「毎日」をはじめとする全国の各新聞や雑誌からは挑戦とうけとられ、為政当局ならびに資本家からは強敵として憎悪された。したがって、ニュースを取材する末端の記者たちは、その発刊の日から異端者のとりあつかいをうけなくてはならなかった。たとえば、外勤の記者が取材のために府庁や市役所・警察署などにいってみると、記者室のドアには「邪教記者入るべからず」という貼紙がだされ、記者クラブからは除け者あつかいにされていた。警察などはなるべく、「大正日日新聞」の記者にはニュース・ソースを提供しないようにつとめ、また資本家の人々も極力面会をさけたのである。そのためにいちじるしく取材活動が制限された。しかし革新的思想運動の傾向をもつ団体などのなかには、世の立替え立直しを説く、異色ある言論機関であるとして、「大正日日新聞」に好意的なものもあった。当局が「大正日日新聞」の活動を、注意すべき社会運動のひとつとしてとらえ、その報道に警戒の目をおこたらなかったことはいうまでもない。だが、社長浅野和三郎は、立替え立直しの時期は近いという信仰的信念にたって、社会の排斥を一笑に付した。そしてあくまでも宇宙の大意志にもとづき、一九二一(大正一〇)年が立替え立直しの峠であるという主張をかえなかった。浅野はたえず内勤の記者にたいして、その意図にもとづく論陣をゆるめるなと激励し、政治・経済・外交・社会問題などにたいする、するどい批判をくわえていった。こうして「再刊の辞」にいう「十大特色」の精神が、毎号紙面に表現されてゆくのである。
 地方長官会議において原首相が訓示したなかに、「目下内外の情勢は……実に存易ならざるものあり」とあったことをめぐって「大正日日新聞」は原訓示を論説欄で批判し「大本神諭は既に二十九年前より明確に唱破指摘し、又吾人は四年前より比大本神諭を公表して、以て世人の迷夢の打破覚醒に全力を捧げたりき」とのべて、いまさらいったいなにを訓示するのだと非難するという調子である。さらに、床次内相が国民道徳についてのべた訓示を論評して、「現在一般教育の効果の挙らざるも主として教育者が本末を顛倒して徒らに形式に捕へらるるが為に外ならず。これ吾人が全力をつくして霊魂教育、霊学の普及を現代人士に推薦する所以也。神官優待に対しでも又同じ、神霊を知らざる神官、神を喰物にする神官、神社の番人を以て満足する神官、神諭神勅の何物たるかを知らざる神官、日本ありて世界あるを知らざる神官、惰性的に祝詞を奏上するだけの神官、婦女に戯れ、金銭に眼がくれ、其他人並以上に名利人爵に狂奔する神官、偏狭固陋にして徒らに排他的なる神官、かかる種類の神官を優待せりとも国民道徳の上に如何程の効果あるべき」と、霊魂教育から出発すべきであると主張したことなどには、その面目躍如たるものがある。二面の囲いものとしては「破邪顕正」の欄をもうけて、社会問題を評論し、経済面には、「科戸の風」欄を置き、そのうえ、寸評には「神算木」欄をつくって、縦横に大本的な立場から主張と論評を発表していった。そして毎号英文欄には「大本神諭」の英訳をかかげ、三面には「神秘の扉」という囲いものをつくって、霊媒をつかって問答した記事を掲載した。この「神秘の扉」は信者はもちろん一般にも好評であったようである。その主張の一斑は「米国に排日運動が起ったことに対しては、……何となれば、与論の奥、群衆の感情伝染の奥には常に霊の感応、霊の活動のあるあれば也。霊界に対する知識と権威となくして何により其結果として発生する与論感情を推知し左右することを得んや。……その奥底には牢乎不抜の霊的関係、霊的因縁の存在するあり……」というように、すべて霊界に結びつけているところにも見出される。家庭欄では、日本人の食物はまず肉食を全廃すべきであるとして、肉食が身体や血液におよぼす害悪をとき、大本的な食生活を主張した。ことに、一般社会に奇異の感をあたえたものに「失業問題の解決策」がある。そこでは「結局失業者対応策は物質的、形式的のみではまだ駄目だといふ事になる。……精神的又は霊的対応策を加へる事である……人間の善行も邪行も、その他一挙一動も悉く、其人に宿る所の霊魂の作用の反映にすぎぬ。霊魂を改造する事なしに人間を改造し、従って社会を改造する事は不可能である」と論じたりしている。財界の不況や経済の不安にだいしては、世界大戦後の好況から論じて、「われよし」の悪思想が不況の原因であって、それは結局、「実に恐るべき敵は我同胞の心魂の内に存す。日本魂の消失是れなり」などと、日本魂への復帰を主張したりもした。
 このように、大本宣伝の第一線として「大正日日新聞」に、つぎつぎに筆陣が張られていったが、あわせて講師を総動員した大正日日新聞社主催の講演会をも開催した。まず本社では、毎日午後七時から「皇道講話」がはじめられ、「一、皇道霊学、皇道の真髄、現代思想の批判其他について公開講話を行ふ。一、講話の後希望者に幽斎の修業を施す。一、講話の場所には本社階上、神前の日本室を当てたれば聴話者は成るべく和服着用を希望す。一、講師は浅野社長をはじめ皇道大本の講師十数名交代講演。一、聴講料下足料等一切無料。一、会場手狭につき聴講者は毎夜百名に限る」という新聞広告がなされた。この講話は毎夜満員の高況で、のちには特別講話が昼間にも開催されたほどである。一方、大阪高等工業学校内の工業倶楽部や神戸商業学校の学生会館、また大阪中の島大阪ホテルなどで大阪学士会の主催する講演会が開かれ、東京では学生団の有志の主催による講演会が早稲田大学や一ツ橋学士会館などで開かれたのをかわきりとして、講師が各地方に派遣され、全国のほとんどの主要都市でひきつづき講演会が開催された。したがって講師がたらなくなり、本社では青年記者が代理講師となるありさまであった。「大正日日新聞」がおこなったこの文筆と口頭による大本の宣伝活動は、まさに教団総力をあげてとりくまれたものであったといってよい。

〔写真〕
○大正日日新聞 p499
○紙面をかぎった大本の主張 p501
○大正日日新聞社主催でつぎつぎに講演会がおこなわれた p503
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