文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第3編 >第1章 >2 最初の警告よみ(新仮名遣い)
文献名3言論界の攻撃よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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データ最終更新日2024-05-24 17:30:09
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このような警察の圧迫に呼応するかのように、このころから、大本にたいする批判と攻撃がはげしくなっていった。その点についてはすでにその一部をのべてきたが、それらの批判と攻撃のほとんどは、大本は邪教であるという前提にたつものであり、開祖なおの出身や生涯にたいしても、「くずひろいの婆さん」と嘲笑するような軽侮にみちたものであった。また信者の長髪や風態にたいして「長髪賊」と悪罵するものがあらわれ、奇想天外な中傷をなすものが跡をたたなかった。こうした非難は、やがて新聞・雑誌などがとりあげるところとなり、さらに宗教界・教育界の注目をひき、警戒心をたかめてゆく(第二編第三章第一節参照)。その状況をさらにとりあげておこう。
一九一九(大正八)年三月一日の「松陽新報」は「邪教大本教、妖言を流布して社会安寧を紊す」と題して、「綾部は世界の中心で未来の帝都であると遷都説を流布」したり、「大本教を信ぜぬものはやがて来るべき世界の立替に悉く滅んでしまふ」と脅迫して、人間の弱いこころに乗じてその財産を提供せしむるという実ににくむべき罪を犯しているとかきたてている。
さらに「敵艦や敵兵が日本に押し寄せて、……有史以来の大惨劇大混乱の最中に、神力の発現で、大地震、大海嘯、大暴風雨、火の雨等が起って解決される」こうして現世界の大洗濯、大掃除ができて、つぎに神の新世界経営となる。その新世界には「人民の私有財産全部は天皇陛下に奉還して、家屋の如きも其人の職業、地位、家族の数等に適当したものが提供される。……生活必需品等一切適当の方法と組織の下に配給されるので……人々は天分に安じると同時に其天職を精励するようになり、真に理想世界が構成されるといふのだ。してみれば大本教の唱へる所は一種の共産主義である……明らかに朝憲を紊乱するもので、彼の過激派といふ程になくとも社会主義と更に選ぶ所がない……」と非難し、鎮魂帰神の法を催眠術の一種として攻撃した。ほかの新聞の批判内容も、ほぼこれとにたりよったりのものであった。
中村古峡は東京裁判所の求めに応じて、さきに「大本教の鎮魂帰神と催眠術との関係如何」という鑑定書を提出していたが、あらためて「変態心理」の七月号に「大本教の迷信を論ず」と論文を発表し、さらにその一二月号には、「大本教徒の心理解剖」を執筆し、はげしく、かつ執劫に大本を攻撃した。この中村の学問的なよそおいをとった大本への批判については、大本側もその影響するところを無視しがたく、するどく反駁したから、世人の注目はいっそう集中していった。
友清天行(九吾)も大正八年の一一月には、「乾坤一擲」・「事実第一」と題したタブロイド判新聞紙大の大本批判の檄文を公表した。その中で友清は、
一、大本の所説にして多少にでも学理的価値の認めらるものは、本田親徳翁の遺著、大石凝真素美翁の遺者、及び名古屋で発行せる雑誌「国華教育」等からの丸写しである。
一、皇道大本は決して宗教に非ず教会に非ずと為し、綾部を地の高天原として神勅のまにまに経綸を遂行する実行の中府であると説くのであるが、これ明かに天皇の大権を僭窃せる行為に非ずして何であるか?
などと誹謗している。こうした大本の邪教観が流布するにつれて、各雑誌社や新聞社は記者を綾部へ派遣して、興味本位に取材にあたらせ、ろくに調査もせず、巷間の噂に検討もくわえないで報道した。雑誌「うきよ」や「新小説」などはその極端な例であり、「武侠世界」は「昭代の怪物裏から見た大本教」として「邪教の大本教と当局の態度、教祖お直婆さん果してキ印か、浅野文学士はナゼ信者になった、才物か怪物か出口王仁三郎」などの小見出しをつけて、想像的な記事を掲載した。言論界の攻撃によって、大本の存在はますますクローズ・アップされていった。そして社会からの攻撃はそれに比例してはげしくなり、警察当局もそれに勇気づけられ、また自信をふかめて内偵をすすめていった。
しかし小数ではあったが、大本にたいして同情的な論説をなしたものもある。「中外日報」などがそれであった。たとえば大正八年の三月二二日付の、「中外日報」の言論欄では、当局の第二回調査に関連して「大本教の取調」と題し、つぎのようにのべている。
丹波綾部の大本教は創唱以来未だ幾年を出でざるに、信徒既に全国に普ねく、其数将に十万に垂んとし、単に無智盲昧の者のみならず博士学士の肩書を有し、相当の智識資産及び地位を有する者も続々として之に帰依する有様、さながら水の低きに就くが如しといふ。吾人は従来屡々同教本部云為行動が其筋の注意に上り、或は取調べを受け、或は説諭に会ひなどしたりとの噂を聞きたる事ありしが、此度は其発行に係る印刷物の上に、世人を惑はす妖言を記載せしとの事が端緒となり、内務・文部両省の内命を受けたりと称せらるる京都府警察部長の召喚により、教主出口王仁三郎氏は数日前より入洛、日々警察本部に出頭して厳密なる訊問を受け居たりと。吾人は元より今日に於て其取調べの内容を知るに由なしと雖も、種々の意味に於て此事件の経過に多大の興味を感ぜずんばあらず。
吾人は世人が動もすれば一概に此教を迷信若しくは邪教扱いにし、始めより軽侮と冷笑とを以て之に向はんとする傾向あるに与みせず、充分の敬意と同情と理解とを以て之に対せんことを要望せんと欲する者なり。さればとて吾人は、又一部の人士の如く一般に真宗教を圧迫するの罪を恐れて之に制裁を加ふる事を躊躇するの輩にも与みする能はず。若し此大本教にして真正の宗教たるを誤りて、世人の大鉄鎚を之に加ふる事ありとせんも、吾人はそれによりて益々該教の真価の発揮せられこそすれ、決してそれによりて真宗教の破壊せらるべき虞れあるべからざるを信ずれば也。此意味に於て吾人は其筋が慎重にして而も大胆なる処置を此教の上に加へ、同時に大本教が又甘んじ喜んで其処置を受くるの覚悟を持せんことを望む(〓)(傍点原文)
これまでにみてきたような各界の反響や新聞の論調などとくらべて、この言説の筆者の意見などは比較的公平な論旨であった。また、同年一〇月一四日付、下間空教の「京都府警察本部の処置を難ず」という「中外日報」に執筆された論説は、治安当局の取締りにたいする数すくない批判として特筆すべき内容をもっている。
丹波紋部大本教の神体たる「神鏡」を捕え来りて警察本部に保管し取調中なりとの記事新聞に記載せられあり。若之を事実なりとせば、警察本部の処置は憲法違反なり。安寧秩序を害すべからずといへる信教白由の制限は、教義の宣布又は儀式の執行か、若くは宗門の組織形態が安寧秩序を害する場合に限る。所信の本体が何物質なりや、能信の心理作用が如何なるものなりやは法の規律する所には非ず。故に大本教取調範囲は必ず教義若くは組織の上のみ存せざる可からず。而して教義の内容は所信の本体と所依の経典とに存す。然れども所信の本体と、本体を表示する物質そのものとは之を区別するを要す。故に本体構成の物質を官衙に拉し来りて此を検閲するが如きは、明らかに憲法上の信教白由権の蹂躙なりとす。「各神社の神体(御霊代)は長官といへども拝見相成らず」との現行法令の精神も、神体の物質そのものを公開せしめざる神秘的意義あるに顧みれば、更に明瞭なるもの之あるべし。(傍点原文)
大本についての二回にわたる調査を機として、大本への批判が急速にたかまっているさなかに、このように京都府警の処置を憲法違反と論難した態度には、論者の良心が光っていた。
〔写真〕
○高芝羆 p539
○言論界・中村古峡の攻撃はさらにはげしさをくわえてきた p540
○友清天行の攻撃 p542
○中外日報はつぎつぎと当局への批判・宗教界の攻撃・当局の動きを報道した p543