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文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第4編 >第4章 >1 各宗教との提携よみ(新仮名遣い)
文献名3世界宗教連合会よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2022-05-05 22:07:25
ページ766 目次メモ
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本文  すでにのべたように、王仁三郎は一九二四(大正一三)年一一月一日、九八日ぶりで保釈の身となって帰綾した。そしてただちに世界宗教連盟(仮称)の結成に着手された。
 ちょうど日本ではそのころ、ラジオの放送が開始されていたが、ある日、東京放送は、つぎのように世界宗教連盟のうごきを報道している。

大本教の出口王仁三郎は蒙古に入ったが、途中パインタラに於て捕へられ、将に銃殺されやうとするところを危く虎口を遁れて帰国し、ふたたび投獄された。然るに最近保釈を許されて出獄したが、今度は逆賊明智光秀の亀岡の城址で建設にとりかかり、世界宗教連盟を画策してゐるが、また例の王仁三郎のことだから、何をしでかすかわからないので当局は眼を光らしてゐる。

 一九二五(大正一四)年の一月二六日には、中国の季松年が亜細亜宗教連盟設立のために、綾部をおとずれてきた。そこで王仁三郎は、季松年を先導とし、同年陰暦四月一二日松村真澄に、世界宗教連合会についての全権をゆだねて、その成立をうながすために、松村を北京に派遣することにした。北京においては熱心な仏教家としてしられていた洪徳滋が、季松年からつたえられた使命によって、世界宗教連合会成立のための準備をととのえていた。
 一行の来意をつたえきいて、その中国入りをこころまちにまっていた章嘉活仏は、北京へやってきた松村と会見した。松村はその会見で、このさい中国において世界宗教連合会結成を発起することが時宜をえたものであることをのべ、蒙古いりの消息などをつたえたところ、章嘉活仏も、それは自分の本懐とするところであると同意して将来を約束した。
 この年の春季大祭には、王仁三郎による五六七殿での講演がつぎのようになされている。すなわちそれには

世界人類の平和と幸福をもたらす為には、どうしても人心の和合が先決問題で、それには教を以て世界の同胞が結合し、共に天地の経綸を行はねばならないのである。此意味における世界宗教連盟の計画は着々其歩を進めて、まさに或る形式に具体化せられんとしてゐる。

とのべられ、さらに王仁三郎は、この年の節分以後、その計画を実現するために亀岡に滞在し、その準備が着々とすすめられていることを力説して、

世界の統一は武力や権力でやつた場合は、先に力が出た時はまた一方を圧倒して争乱の絶間なく、永久の平和を招来することは望まれない。だから如何しても統一は精神的宗教的道義的に経過を進めなくてはならないのである。大本の呼号する世界宗教統一は、大抵の人は世界中が大本の教にならねば世界宗教統一でないやうに思つてゐるが、めいめい意志想念が異つてゐるに相応して、各宗教も異つてゐるのであるから、大きな目で見た場合は名称は神であらうが、仏であらうが、基督であらうが何でもよい。総ての宗教団体なり思想界が大本の意志通りになつたら、それが大本の世界統一が実現したのである。

という講演がなされた。
 世界宗教連合会を実現するために積極的に協力した人に、王仁三郎の入蒙に同行した岡崎鉄首がある。彼は一九二五(大正一四)年の二月一八日に大本をたずねてきた。岡崎はこの日、李松年・洪徳滋の両人が宗教連合会の結成に賛成であり、章嘉活仏もそのことを承諾したむねをつたえた。そしてこの連盟の総裁には王仁三郎を推すことなどのとりきめが話されていた(「宇知丸日記」)。
 松村が王仁三郎の命をうけて北京へむかったのは、こうした下準備の具体化をはかるためであり、松村のほかに、北村隆光・岡崎鉄首そして頭山満と内田良平との代理である岡貞吉らが中国へわたった。一行は、中国で諸宗教の本部をおとずれ、各代表に宗教連合の趣旨をつたえて、ここに一九二五(大正一四)年の五月二〇日に、北京悟善社において、世界宗教連合会の発会式が挙行されるにいたったのである。このときに参加した諸宗教団体は、道教・救世新教(悟善社)・仏陀教・回教・仏教・キリスト教の一部であった。このようにして発足した世界宗教連合会の総本部は北京におかれることになり、東洋本部は亀岡に設置することになった。そして各教の代表者をもって、理事にあてることになったが、大本からは井上留五郎がなり、道院は徐世光、悟善社は江朝宗、ラマ教は章嘉活仏、道教は陳明霖、仏教は諦閑、回教は王権益というように、各宗教の代表者がそれぞれ理事に就任した。ほかにキリスト教からは、米国人アール・オー・ベパンスらが会員となった。この連合会の発起人・賛襄員には、中国側からは王芝祥らがくわわっていたが、日本側からはまことに多彩な顔ぶれがそこに名をつらねている。出口宇知丸・岡崎鉄首・頭山満・内田良平・箕浦勝人・秋山定輔・田中義一陸軍大将らがくわわっており、白系ロシアの亡命将軍であるセミヨーノフの名もみえている。なお、のちになると、この連合会には普天教、あとにのべるドイツ白旗団も参加するようになる。

〔写真〕
○1925─大正14年5月北京郊外白雲観での記念撮影 背広姿が北村 中央支那服が松村 右側が岡 2人目が岡崎 p769
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