文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第5編 >第2章 >1 満州事変と大本よみ(新仮名遣い)
文献名3昭和青年会の改組よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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データ最終更新日2017-09-02 17:08:41
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大本大祭で、本部が満州事変にたいする態度を明らかにしたと同時に、昭和青年会が全国的な統一組織に改組されたことは、注目に価することである。
従来各地にできていた各地区の昭和青年会は、一〇月一八日(旧九月八日)にいったん解散し、あらためて亀岡天恩郷に昭和青年会本部を設置し、主部を綾部町本宮に、各地に支部をおくことにした。統一的な組織体に改め、統務部・雑誌部・弁論部・武術部・代理部をおき「本会は人類愛善の大精神にもとづき、昭和の大神業のため献身的活動奉仕をなすを以て目的」とする活動団体であることを明らかにした。そして会員は一五才以上の男女で、壮年・老年の人たちまでも会員となることができるとした。これは全信者が会員になることを意味したものである。会長には聖師みずからがたち、宇知麿・東尾吉雄が会長補となり、統務部主任に伊藤栄蔵が就任した。本部の通達によると「旧九月八日に聖師様が昭和青年会々長としておたち下さつたといふことは、時局と考へ合せて誠に重大な意義あることゝ思ひます。何卒全国の大本青年は真の大同団結を行ひ、昭和の大神業の最尖端に立つて活動されんことを切望ゐたします」とあり、この新組織のもとで、大本大祭に、天恩郷で第一回の総会を開催した。その席上、会長となった出口聖師によって、「今日は非常の時であり、非常の時には非常の人物が現はれて非常の事をするといふことはお筆先にも出ておりますが、愈々『瑞能神歌』に私か歌つておいたことが実現する時期になつたのでありまして、老年といはず、青年といはず、つまり神様からの赤子─吾々は青年であります。この赤子が一致団結してサアといふ時に国家の為に、名実共に誠の道の為めに働かねばならない時期がさし迫つたのであります。それで今まで宇知麿が会長としてやっておりましたけれども、私の方から進んで『わしが会長になつてやる』といふたのであって……自分の方から望んでなったのであります。それについてはよほどすべてのものが切迫してゐるといふ事を感じたからであります。しかしながら青年の方は何処までも落付いて、沈着に、静かに、静粛に、団結力を固めて騷がないやうにして貰はねばならぬ。今から云ふても直ぐになるか、或は二年先になるか三年先になるかそれは判らない。……とにかく内実の力─団結の力を養つておき、サアといへば何時でも蹶起できる覚悟をしておつてもらひたい」と会員にさとされた。
つぎに会長補出口宇知麿は「先程お話がありましたやうに、会長はいつどの方面にご出動になるか知れない状態になつております。どの方面にご出動になりましても、会長が安心して思ふ存分ご活動下さることのできるやうに、この大本の法城を固く守備さして頂き……さらに一朝事ある時は身命を賭して国家のため、世界の為めに活動さして頂かねばならない訳であります。大神人主義であるならば理屈ぬきで、この団結結束はできるはずであります」とのべた。統務部主任となった伊藤は昭和青年会旗に向って「我等昭和青年会員は、会長の御神命一下如何なることも絶対服従即時実行する事を誓ふ」と一同とともに宣誓した。そして当面の活動の目標として「我等会員は、人類愛善新聞神示中間目標三十万部実現の責を負ひ、極力その達成のため尖端的活動を為すことを誓ふ」という決議をなし、第一回の総会を終ったのである。
昭和青年会は、非常時を背景に青年の情熱を結集して団結をはかり、会長の指示を即時実行するという団体として生まれたのである。こうして、その活動はさらに活発なものとなってゆく。ちなみに昭和青年会旗は鶴山織で、縦七四センチ、横九一センチで、中央赤色の丸の中に緑の星を入れ、赤丸の外を白丸でかこみ、その外を黄色の丸でかこんだもので、日地月星の紋様である。竿頭には聖師の拇印を押した小さな巻物が入れてあった。
〔写真〕
○熱弁をふるう昭和青年会長出口王仁三郎 p106