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文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第6編 >第2章 >3 大本抹殺の命令よみ(新仮名遣い)
文献名3土地の不法処分よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ444 目次メモ
OBC B195402c6233
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本文  治安当局は建物だけでなく、教団財産一切の処分を強行する方針を当初からたてていた。弾圧直後いちはやく中村と雨森を大本会計に関する代理人にしたて、現金・預金・証書および保生倉庫の在庫品や建築用資材などの処分をおこなったが、さらに三月七日、京都府特高課は、王仁三郎に王仁三郎名義の動産・不動産・債権その他一切の財産処分に関する権限、実印使用の権限を中村純一に委任させた。はじめ高橋警部は、この委任状を書けば、王仁三郎をはじめ留置者一聞を釈放すると言って強要したが、王仁三郎はこれを拒絶した。すると同警部は王仁三郎の頭部に手をかけ、向うずねをけり、面部を乱打するなど暴行強迫をつづけた。あるいは一命にも関するに至るかと思われたほどである。こうしてついに、警察指示の文案どおりの委任状を書かされた。
 ついで王仁三郎の起訴が決定した三月一三日、高橋警部はつぎの内容の財産処分覚書を、王仁三郎の意志によるものとして中村に手渡した。「(1)綾部・亀岡・穴太の土地は関係町村に概ね賃貸価格の程度にて譲渡、(2)住居、宅地にして信者の寄附せるものはそれぞれ寄附者に返還、(3)動産中生活必需品は家族に引渡、(4)処分による収入は債務弁済及び家族、信者の生活費に充当のこと」。このうち(1)の土地譲渡に関する件は、警察官の強迫によるものであった。綾部の土地は二代すみ子名義のものが大部分であったので、警察は財産処分の委任状をすみ子からもとる必要があった。そこで綾部署長は三月一〇日すみ子を綾部署に引致し、建物の一部破壊を理由として、事実上の土地処分の委任を強要した。しかしすみ子は、実際上は信者の物であるとして頑強に拒否し、そのために留置された。翌々日すみ子は、署長から示された委任状の文案が、「一切を精算するため」に処分を委任するとの内容であることを知ったので、精算すべき悪事のおぼえがないとふたたび拒否し、強要する署長に、「私を殺してから書きなはれ」とつよく抵抗した。このとき同席していた近侍の福田つなは、この様子を帰ってただちに直日に報告した。「母は気が強いから、思いきりていこうするにちがいない」(直日談)と母の身を案じた直日らは、警察から帰宅さすことを条件として署名するよう、すみ子にすすめることにした。そのためすみ子は、「精算云々」の字句をけずらしたうえ委任状に署名して、帰宅することをゆるされた。
 すみ子は不法な土地処分の要求に対処するため、一三に福田を大阪の信者であり弁護士である三木善建のもとへさしむけた。三木は委任解除手続の書式を福田に手渡して、解除の手続きをとられるようにと伝言した。ところが早くも警察の手がまわって、その夜福田は大阪で検挙され書類を押収された。そして翌一四日綾部署に護送され、そのまま五四日間留置された。一方、たくみに出口すみ子の委任状を手に入れた当局は、再建運動をくわだてたとの理由で、はやくも一三日に出口すみ子を検挙し、翌一四日京都へ護送し五条署に留置してしまった。こうして委任解除の手続きも阻止され、委任状は警察の手から中村へ渡された。
 その後、土地処分のとりあつかいが警察官のしぐんだわなであることに気づいた王仁三郎は、一五日に中村純一あてつぎのような封緘葉書を発信した。

拝啓先達而貴下ニ対シ綾部亀岡穴太の地所売却処分の委任致したるは本心にあらず候間改めて取消し致し候 如
何なる事ありとも右三ケ所の土地ハ断じて一坪たりとも売却致さず覚悟に付き宜敷御願申上候 之ニ付ては何れ後日判明する事と存じます 大至急申入候 万一話にかかり居られなば至急御破約被下度候 以上

 ところが、この書面はいうまでもなく検察官の検閲をうける。警察側では非常にあわてた。手続きを迅速に処理する必要を感じた綾部・亀岡の両警察署長はさっそく中立売署に出むき、中村純一に土地譲渡に関する書類を一六日未明の二時までに作成させた。翌一七日に両町の臨時議会では警察当局の指示のとおり、土地買収を即決し、一八日には契約が成立して、二〇日に綾部の土地、二一日に亀岡の土地のそれぞれ所有移転登記を完了した。そして二一日にいたって、王仁三郎の委任取消しの封緘葉書を髄警察官から中村に手渡した。この葉書は王仁三郎が、中村は亀岡にいるものと思って亀岡あてにしたが、中村は一八日にはすでに亀岡から京都の中立売署に護送されていたのである。しかも警察では中村に王仁三郎の葉書をすぐには渡さず差しとめにしておいて、そのあいだにいそいで綾部・亀岡の土地の登記を完了したのである。その不法ぶりは多言するまでもない。
 四月一六日には、さきに王仁三郎から弁護士赤塚源二郎に面会したいとのハガキが出されていたので、赤塚は中京区刑務支所で王仁三郎に面会した。はじめて弁護士と面会することができた王仁三郎は、中村への委任取消の手続きを依頼し、すべてを赤塚に委任することにした。赤塚はさっそく杭迫に面会し、委任取消のことを伝達した。赤塚は大本の不動産・動産、その他の財産の管理ならびに処分の委任を四月二七日に承諾し、三〇日に王仁三郎からの委任状を受領した。しかしその時には、すでに綾部の二万五一八五坪余は三六七六円二二銭、坪当り一四銭五厘で綾部町に、亀岡二万四五〇三坪余は二二一四円一二銭、坪当り九銭で亀岡町に、売却登記されたあとであった。当時の地価は最低で亀岡一二、三円、綾部二〇円位であったから、その百分の一にもおよばぬ法外な値段で強権をもって譲渡されてしまったのである。
 この権力による不当の売買手続きが、のちに王仁三郎・すみ子の提訴による民事訴訟事件として、その是非が法廷で争われることになる。なお亀岡町では土地買収のおり、「土地は大本関係者には譲渡せぬこと、教育施設をこの土地に入れないこと」などの誓約書を亀岡署に渡したという。
 穴太の土地については、四月二〇日に、曽我部村の議会で買収の議決がおこなわれたが、赤塚弁護士と中村の申入れによって売買は中止された。しかも曽我部村への譲渡申込書の作成については、王仁三郎・すみ子はもちろんのこと、その代理人とされた中村純一もまったくあずかり知らぬことで、当局側によって偽造され、その署名と実印の押捺も勝手になされたものであった。
 このように本部の建物が破却される以前に、教団の土地や動産などはすでに当局の暴力的欺瞞工作によって処分されていたのである。権力による弾圧の不法さはここにもあきらかである。

〔写真〕
○神苑の土地は当局の暴力的欺瞞工作により法外な安値で売却された 上 強奪された王仁三郎とすみ子の財産処分委任状 下 土地処分の覚書と取消しの決意をつたえた書簡 p445
○二代教主出口すみ子は綾部から五条署へおくられた 京都丹波口駅 p447
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