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文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義
文献名3事件の意味するもの
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
OBC B195402c6543
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本文  皇祖神とあおがれるようになった天照大神を国家神道の頂点において、天皇の神格化を促進した明治の政府は、国民教育・国民道徳の淵源を国家神道にもとめた。したがって国家による神道国教化の方向に多少でも抵触し、あるいは異質のものをふくむ宗教は、爾来つねに排除し抑圧されてきた。戦前の宗教行政政策は、国体の淵源にそわない神観や、それにつながる世界観をもつ宗教にたいしては、きびしい態度をもってのぞみ、ときにはこれを弾圧して抹消させる方針をとった。
 大本は、「三千世界一度にひらく梅の花、艮の金神の世になりだぞよ。梅でひらいて松でおさめる神国の世になりたぞよ。この世は神がかまわなゆけぬ世であるぞよ。いまは獣の世、強いものがちの、悪魔ばかりの世であるぞよ。世界は獣の世になりておるぞよ。悪神に化かされて、まだ眼がさめん暗がりの世になりておるぞよ。これでは、世はたちてはゆかんから、神が表にあらわれて、三ぜん世界の大せんたく大そうじをいたして、天下太平に世を治めて、万劫末代つづく神国の世にいたすぞよ。……」との初発の神諭(明治25・1、上巻九四頁)にもあきらかなように、宇宙創造神の意志にもとづき、国祖国常立尊が「艮の金神」として再現し、三千世界を立替え立直して、「みろくの世」を実現されるとする宗教であった。大本では、そこにこそ出現の意義があると主張するのである。艮の金神の隠退や再現に関することは、「神典」とされた『古事記』や『日本書紀』などには見ることができない。しかも艮の金神は世界の艮にあたる日本に隠忍され、日本は「艮の神国」として、神の経綸の根本の地場であるとする大本の筆先による主張や、素盞嗚尊を救世神とする神観とその教義は、国家神道の立場からすれば、異質の民衆的な信仰であることになる。大本の神観とその特色、ならびに大本出現の意義については、序説(上巻三~一四頁)・第二章の第三節(上巻九三~九七頁)に詳述したところであるが、極端なる国家主義を全面に押しだした当時の権力者がこれを容認するはずはない。
 また大本の教義は、国魂としての各民族の特性をみとめつつ、世界の人民はすべて神の子であるとする平等観にたち、世界同胞の人類愛善主義を強調している。これらの大本の神観・世界観による「みろくの世」の構想は、極端な国家主義にもとづく、いわゆる八紘一宇の精神とは本質をことにするものであることはいうまでもない。
 ことに艮の金神と、大本の最高指導者である出口王仁三郎とを直接政治的にむすびつけられ、しかも聖師のつかまえどころのないような人格と魅力、ならびにその行動力が、一世を風靡するかのようにおそれられたことも、「不遜不逞」の烙印をむりやりにおしつけられたひとつの要因になったと見ることもできる。当時の国家政策のあり方からすれば、大本事件はおこるべくしておきた、時代の宿命的なものであったと解されよう。
 宗教は永遠性のものであり、また普遍性をもつものでなくては、世界的宗教たりうることはできない。法律は限定された現実社会の秩序を規制するものである。宗教用語が法律的に解釈されて法に抵触するということになれば、ほとんどの宗教は、その用語を一変する以外に存立の方法はない。宗教と政治の混同がおおくの悲劇をかたちづくる。たとえば、天国の主権者、極楽浄土の政治形体は如何といっても、政治の世界と宗教の世界とでは、そこにおのずから次元を異にするところがある。それなのに大本事件は、「宗教と国家」「宗教と民族」「宗教と政治」「宗教と法律」等の基本的な問題をはらんで提起された。人類の永遠の生命を安住せしむる宗教と、現実の国家秩序の安寧・維持を使命とする政治との、次元を混同した衝突が事件の背景をかたちづくっている。権力はすべてに優先して支配するという幻影が、おおきく宗教のうえにおおいかぶさった事件であったともいえよう。
 大本事件の理解についてはさまざまな見方がある。そのひとつは、大本事件は、まったく当局側の、大本神諭や『霊界物語』などにたいする誤解からおきた事件であるという見解である。しかしそういう単純な「誤解説」だけで、問題の本質を究明することはできない。たしかに当局が宗教用語を政治的に解釈した点などは誤解と考えられなくもない。しかし不敬の一点になった「日の光り昔もいまも変らねど大内山にかかる黒雲」という和歌にしても、それはたんなる誤解に端を発したものではない。多少とも和歌をまなんだものなら、がりにこの歌が諷刺をふくんでいるとしても、「黒雲」は、天皇を諷刺したものではなく、重臣などのありかたを意味した歌であることは、だれにも理解できるはずである。これを天皇を呪咀した歌として不敬とするのは、誤解ではなく故意というほかはない。この歌に類するものは、いわゆる愛国者とよばれた人たちの詠草のなかにもかなりあった。それを誰が不敬と解するであろうか。また当局が大本を不逞とみなすために案出した大本理論のなかには、大本の教義・文献にもないものがふくまれている。これらはあきらかに誤解ではなく作為である。たんなる誤解説だけでは問題の本質をとうてい把握することはできない。
 むしろ、大本事件は、前にのべたように、「必然」と理解すべきであろう。大本事件は、大本立教の精神にもとづき、世の立替え立直しをはげしい宗教情熱にもえて宣布したことにたいする、治安当局の弾圧であって、それはおこるべくしておきた事件であった。いわゆる非常時の激動期に、民衆的基盤にたって多彩な活動を展開し、社会の耳目をあつめた大本および大本系諸団体にたいして、当時の権力が、運動内容からさらに大本の神観・世界観を調査し、国家治安の上から鉄槌をくだすにいたったこの事件には、昭和史をいろどるファシズムの実態と矛盾とがはっきりと露呈されている。そこでは大本の教義・運動にみいだされる現状打破の欲求が、民間ファシズムの動きと対応しながら、権力内部の抗争にまきこまれたところに、事件を必然たらしめたものがみいだされる。運動の形態とその拡大には、まさに眼をみはらせるものがあった。運動から教義への当局による調査には、故意な曲解がふくまれていたが、にもかかわらず大本の本質には、権力の志向する方向とは相容れないものがあった。むしろ大本が弾圧され、そのなかに発揮された信仰の光にこそ、大本のかがやける伝統がやどされている。
 つぎに、大本信仰に生きる信者の立場からは、この事件は、神の仕組による経綸だとする見方がありうる。この事件によって、未見真実を見真実ならしめ、外からの圧力によって内をかため、事件をふみ台に飛躍の道をたどったと評価する。しかもその事件が、内では反省となり、外では啓発となる二つの効用を発揮し、おおきな教訓として将来の「鑑」となったものであるとみるのである。
 大本の信仰のなかには、大本は「世の型」をだすところという認識がある。そこから大本事件もまた型であると理解し、「経綸」によった「型」の事件という見解がうまれてくる。大本事件を型とするならば、この事件は、実に神の自己犠牲によるもっとも悲惨な型といわねばならぬ。神はかかる自己犠牲によって、世界に型をしめし、人類に警告したとすれば、その神慮はいったいどこにあったのであろうか。ある人は、型は大本におこなわれ、その拡大が日本におこり、ついで世界にうつるという。大本が弾圧されるという型によって、神道国家が弾圧され、選民をほこった国家民族主義が崩壊させられた。事件によって教団のなかにある偏狭・閉鎖的な思想の残滓が清算させられたように、日本の国も敗戦をへて、はじめて国際性をもった民族国家としての門戸がひらかれるようになったと把握される。旧日本が新日本へ立替え立直しされる型として、信仰的な理解がなされるのである。
 これらの、神の経綸にもとづく「型」の認識についての総合的把握は、大本教学の根本問題ともかかかる内容をもつ。だが、神の経綸をただ受身に、しかも単純に理解するだけでは十分ではない。信仰者にとって神の意志は、歴史における法則の必然と可能のなかに、能動的に生かされてこなくてはならない。大本事件の意味するものはなにか。事件のよってきたる内外の要因をふりかえって、大本信者はそのなかからおおくの教訓をみいだし、大本の歩みの反省のなかに、大本事件の意義を今日においてより積極的に生かすべきであろう。
 第一次大本事件の公訴事実の根拠は大本神諭にあった。第二次大本事件は、第一次事件で未解決になっていた問題を潜在させながら、『霊界物語』が公訴の主たる根源になった。神諭は厳の神霊による開祖の神業であり、『霊界物語』は瑞の神霊による聖師の神業である。この二大教祖を立教の根幹とする大本は、その根本教典について、当局からの疑惑をうけたのである。そしてそれをさばいた権力自体が、ついには「正義」と「自由」の名においてさばかれるにいたった。もし過去のままの国家権力が厳存し、その政治的勢力がうけつがれていたならば、大本はおそらく完全な無罪をかちとることはできなかったであろうし、大本の新生も困難となったであろう。かりによみがえっていたとしても、それは世界性のない、国家神道護持の属性においてのみ許容される道があたえられるにすぎなかったともいえよう。そして神諭、『霊界物語』の改竄が政策的に強制され、以前にもまして深刻な苦難の道をあゆまねばならなかったであろう。
 大本事件は、発端から終局にいたるまで、時局の変遷に関連するところが実におおい。このことはけっして軽視されてはならないところである。大本の神諭には「時節には神もかなわぬ」「時節を待ちて下されよ」等の言葉がある。大本の立教精神も、時の政治的勢力下においては弾圧のやむなきにいたった。そしてその弾圧せるものの力が消滅し、あらたな時節の到来をむかえて、真の立教精神を発揚することが可能となる世になった。今こそ神諭、『霊界物語』の神観や世界観がさらにふかめられ、かつ宣明されなくてはならない。大本事件のおおきな謎の真相は、今日さらにほりさげて究明され、関連する諸課題のなかで公けにされなくてはならない。
 大本事件は、日本近代史における弾圧としては、特異なかつ苛酷な事件であった。そしてその裁判の結果が無罪となったことについては、前にのべたように、一般社会にはあまねく知らされるところがなかった。そのため一般世人の間には、いまなお、「大本邪教」観が尾をひいている。当局の宣伝した「邪教」観が、そのまま、今になお、うのみにされているとすれば、それはおろかなことであるというほかはない。
 大本事件の意味するものを、ありのままに一つ一つ発掘して、社会にしめし、その価値をあらためて問うべきときである。

〔写真〕
○出口直日筆 p707
○いしずえはかたし…… 〝月の座の雲晴れわたりて天地を伊照り徹さん世はたしかなり〟 暴圧のなかにのこった もと島根別院みろく亭の礎石 p711
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