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文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第7編 >第2章 >4 平和憲法と愛善精神よみ(新仮名遣い)
文献名34 平和憲法と愛善精神よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2023-09-03 17:33:25
ページ786 目次メモ
OBC B195402c724
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本文  ポツダム宣言の受諾に関する日本政府の申入れにたいして、連合国側は、「日本国国民の自由に表明せる意志により」、新しい日本の政府の形態を決定すべきことを要求した。そして一九四五(昭和二〇)年の一〇月に、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官マッカーサーは、時の幣原首相にたいして「明治憲法」(「大日本帝国憲法」)の自由主義化を指示した。民間でも憲法論議がさかんとなり、各種の憲法改正案がだされたが、政府は「明治憲法」の原則を基本的に保持した改正案で、内外の新憲法制定についての民主主義的要求を糊塗しようとした。
 その間の事情については、GHQが米本国に送った報告書のなかに「最高司令官は、日本の政治の再建と自由主義化および民主主義国家の基礎の確立をなしとげるための最大限の責任を、日本人の手中におくことを決意していた。政府及び国民は、その責任を十分に勧告されていた。国民は、非公式的な私的な道をとおして、これらの改革にたいし心づよい反応を示していた。他方政府は、日本国民の明白な希望と要求に完全に答えることができず、伝統的な原理および古い習慣を固執し、改革を行なうという望みをほとんど示さず、問題を言葉の見せかけと西方に向っておじぎだけで解決しようとしていた」とあるのにもうかがわれる。その結果GHQは「憲法改正草案」を示し、翌年の三月六日に、政府はやむなく「憲法改正草案要綱」を発表した。それは最初の政府原案と本質的におもむきを異にするものであった。GHQの草案と政府側の原案のひらきは大きく、その間に複雑な交渉のなされたことは事実である。
 だが国際的な日本民主化の要求はつよく、また日本国民内部における民主主義への期待もたかまっていた。政府は、内外の平和をもとめ民主主義をねがう要請に、こたえざるをえなくなった。こうして草案要綱についで、草案が国民の前にあきらかにされたが、国民の間に、憲法草案をめぐるいろんな論議がとりおこなわれ、第二二回衆議院総選挙(昭和21・4・10、臨時)によってあらたに選ばれた議員が、国民の代表として草案の審議に参加した(第九〇回帝国議会)。新憲法草案の基本原理は、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を骨子とするものであり、「明治憲法」とはちがって、ひらかな・口語体か採用されることになった。議会で字句の修正がなされ、一九四六(昭和二一)年の一一月三日に公布された。そして公布後六ヵ月をへて実施されることになったのである。
 こうした憲法制定の過程のなかに、大本は敏感に対応した。すなわち一九四六(昭和二一)年一〇月一二日の国際宗教懇談会の席上、愛善苑は、「新憲法の戦争放棄ならびに信教自由にかんする主旨を国民に徹底せしめるため、各宗教団体は最善を尽すべきこと」という注目すべき提案をおこなっている。そしてただちに本部は、一〇月二一日に新憲法検討委員会を開催し、「憲法前文及戦争放棄、信教自由の点につき検討、新憲法の精神は宗教的理念に発したものとみるべく、之が運用は宗教的理念にもとづかねばならぬ」(『議事録』)ことを確認し、討議の結果を「愛善苑」(「愛善苑」昭和21・12)巻頭言として発表した。委員は出口伊佐男・出口貞四郎・桜井重雄・土井靖都・大国以都雄・出口栄二・出口光平・斎藤継述・山口利隆・高橋喜又・小山内匠であった。
 その要旨はつぎのとおりである。

一 新憲法への自覚と責任─日本国立直しの基調となる新憲法は、十一月三日世界の注視を浴びて発布された。そこに一貫して流れるものは平和への希求である。もとより新憲法の特長としては主権在民の確立、神秘性を捨てた天皇制、戦争の永久放棄等々多くのものを挙げ得るが、その悉くはあくまでも平和な日本を樹立しようとするものに外ならない。日本民族が祖先より受けついで来た真の平和愛の精神を、この憲法ほどに強く、しかも具体的に表明した条文は史上かつて類例を見ない。……今日世界の趨勢を見るに、物質文明の進歩は漸く唯物主義の範疇を脱して、精神科学の門扉を打ち開かんとしてゐる。そして高度な文明を持つ民族は近代社会に相応しい宗教心の上に立って、思索し、計画し、実践しつつある。即ち人類の理性は神より与へられた本然に加ふるに、科学の智性により、遂に宇宙の真理を究明把握し、新世界創造に偉大な寄与をもたらし始めたのだ。かかる世界の進運と新憲法とを思ひ合せるとき、これは敗戦てふ偶然の結果ではなく必然な歴史の流れ、世界の動きに順応したものといふべきだ。暗示的に解すれば正に「天の時到れり」である。新憲法の発布は只に時宜を得た、といふばかりでなく、その意義は「世界に遅れをとらざるもの」であり、「万世に太平を開く」ものである。けだし新憲法は時流の尖端を往くもので、これを実践する国民は断じて世界の最後尾につく敗戦国民でもない筈だ。否、むしろ精神的に世界に率先するもので、吾人はその自覚と責任を忘れてはならない。

二 新憲法と宗教家の役割─世界を挙げての深刻な戦争への反省と科学文明の進歩は、宗教への理解を深め、「平和と宗教」は全人類の脳裡に強く浮び上ってゐるやうだ。しかし、それは今日なほ模索の時代であって、それ故に宗教家の使命は日と共に重大性を加へてゐる。……新憲法の前文中に「日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会に於て名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とあるが、人間相互の関係を支配する崇高な理想や全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれることが、宗教を離れて得られるかどうか、ここに宗教による安心立命の境地が具体的に人類の教となり、現実の力となって現はれねばならぬことを示唆してゐる。もし新憲法にして宗教心が裏付けられなかったならば形式に走り理念に空転して、アメリカの新聞が評したやうに空想化の恐れがある。新憲法に魂を吹き込み、所謂畫龍點睛をなすものは政治家でも司法官でもなく、実に宗教家であることを認識すべきである。

三 戦争放棄の根本理念─第二章は世界に向って敢然戦争放棄を宣言する重大な一ヶ条である。これを敗戦によって武装を解除され、軍国日本か再起しないやう徹底的に強ひられてやむを得ないことと心ひそかに解するものがあったならば、それは世界をあざむき、しかも今後再び戦争の悲哀をなめようとするものだ。平和な日本を樹立するにはどうしても国民の一人々々が真理に目ざめて、心のドン底から戦争を放棄するのでなくては相叶はぬことである。……しかし、戦争を放棄したといふ事は、今後の日本は無抵抗主義であって、国際紛争を生じた場合には、安全保障理事会がその兵力をもって防衛に当って呉れるのだと安易に解する事は危険である。この考へ方は結局「人の褌で角力をとる」の類ひで、戦争を自らの手足に訴へてはやらないが、他の手段では依然戦争するとの考へで、これではやがて又可能なる対抗手段を持たうとする過渡的便法に過ぎないことになる。即ち戦争放棄とは闘争の精神までも捨て去るものでなくてはならぬ。そして闘争に非ず又敵を生まざるの理念とその手段とか、今後の人類社会を根本的に支配するやうにならねばならぬ。この理念の源泉をなす真理か愛善である事は、吾人の信じて疑はざるものである。

四 民主政治と神愛─新憲法のめざす眼目の一つは民主政治の徹底である。第三章の「国民の権利及び義務」は民主国家を建設する根幹であって、このために天皇制が厳密に批判され、「主権在民」となったのである。然らばその民主政治とは果して神の御意思に添ふ方式であるかどうか。われわれはこの問題のとらへ方として第十一条の示す「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として現在及び将来の国民に与へられる」を明確に認識することか必要である。民主政治の先進国であるアメリカの独立宣言は「人は造物主より或る譲るべからざる権利を与へられた。生存、自由および幸福の追求はこの権利に属する」といひ、またフランスの民選議会が発布した宣言は「人は出生および生存において自由、平等の権利を享有する」と述べてゐる。これよりして民主政治は、造物主より与へられた所謂人類への神愛を、現在社会に於て自由に、平等に享有せしめんとする方式であることを知る。もし民主政治の実施に当って、この基本的人権がいささかと雖も擁護されなかったならば、民主政治かなは未発達であり、欠陥を有するものであって、この政治形態の改善を要するのである。しかし乍ら政治の現段階に於て、この方式が基本的人権を擁護せんとしても満たされぬものあるは不可避で、それを直に「悪の仕組」なりと断定、排撃する態度は慎しまねばならぬ。同時に民主政治に愛善精神が反映して、神愛がより厚くより広く人類の生活に浸透するやうに、吾人の感化を及ぼして行く事が大切である。次にこの章の第二十条は信教の自由に就て規定してゐる。これまでとても信教は自由の建て前であったが、神社宗教にあっては政治上の権力を行使して特別に擁護されるの余り、国民にこれが信教を強制した結果、信教の自由は多分に歪められて来た。これに対して新憲法はいかなる宗教団体も同一の線上に於て遇してゐるので、宗教的活動は刑法にふれざる限り自由であり、信教もまた何らの制約なく、従って近き将来に健全なる日本宗教の発達を見る事であらう。

五 結語─新憲法は今日のところ文章ができたといふだけであって、そこには本来さして意義はないのである。故に新憲法の如き世界史を転換せしむるに足る構想が─語をかへれば、愛善精神を成文化したか如き高遠な理想を現実化する憲法を、今後国民が如何に完成して行くかといふことが緊要なのである。そこに憲法の精神を国民に正しく理解せしめる運動が当然起って来ねばならぬ。戦争より平和へ、闘争より愛善へと新憲法の指向してゐるものそのすべてが、わが愛善運動の中軸をなしてゐるを思ふとき、われらの運動は当然新憲法の完成に向って、何人よりも熱心に、しかも徹底して行はるべきで、愛善世界の第一歩は新憲法の完成からといふも断じて過言ではないことを、吾人は肝に銘すべきである。

〔写真〕
○民衆は笑顔をとりもどし新日本建設にむかって歩みはじめた 11年ぶりに復活したメーデー 昭和21年5月1日 p788
○信徒は切符制限の交通難にもめげず食糧持参で聖地の再建にひたむきな努力をかさねていった 綾部の金龍海再掘作業 p791
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