文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第8編 >第3章 >1 世界連邦運動よみ(新仮名遣い)
文献名3第一回世界連邦アジア会議よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
ページ1118
目次メモ
OBC B195402c8313
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数2216
その他の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい
霊界物語ネット
本文
日本は、アジア地域でもっとも世界連邦運動がさかんであり、その中心をなしていることから、一九五二(昭和二七)年一一月三日から六日まで、最初の世界連邦アジア会議か広島市でひらかれることになった。とくに広島を本会議の会場にえらんだのは、終戦後の世界の目が広島にそそがれており、「ノーモアーヒロシマ」の精神を体してこの運動をすすめようとしたからである。
会議における外人出席者は、極東軍事裁判でただ一人日本無罪論を主張したインドのR・B・パール博士、ノーベル平和賞受賞者のボイド・オア卿(イギリス)、のち、マラヤ首相となったT・A・ラーマン、西ドイツのB・プライヤーなど一三ヵ国三六人であり、日本側からは賀川豊彦・下中弥三郎・谷川徹三・松岡駒吉・北村徳太郎・鮎沢巌・苫米地義三らの正式代表約一七〇人が参加した。
大本本部からは人類愛善会会長出口伊佐男、同副会長嵯峨保二ほか八〇人が出席し、さらに全国各地の主会長や婦人会・青年会の幹部三〇余人が参加するとともに、「人類愛善新聞」特集号を一八万部発行して、大会を成功にみちびくよう積極的に協力した。地元の人類愛善会広島県連合会では、桑原英昭連合会長が世界連邦広島協議会普及部長としてこの会議のために活躍し、会議開催の準備をはじめ会議期間中は、連日連夜二〇数人の会員が熱心に奉仕した。
アジア会議で採択された「広島宣言」では、「一、原子兵器の製造ならびに使用の禁止。二、軍備全廃を目標として各国の現有軍備の徹底的縮小。三、人種的差別の撤廃、基本的人権の確立。四、宗教的偏見の排除と世界各宗教の提携促進。五、各国における戦犯ならびに俘虜のすみやかな釈放。六、人口問題解決のため世界資源の解放」の六項目が採択された。さらに「国連に対する勧告」では「国連創立の精神にもとづき……原子兵器の管理強化。世界不安を一掃するため、朝鮮その他の局地的紛争のすみやかな解決。未加盟国の国連参加促進。国連の安全保障理事会にアジア諸国の代表者をより多く参加せしめること。八月六日を世界平和運動の記念日にすること」などをかかげ、あわせて各国政府にたいしても、以上の趣旨によりそれぞれ勧告がなされることになった。
このアジア会議には、アジア的・精神的・宗教的な雰囲気が充満した。アジアの諸国・諸民族はながいあいだ、他国からの圧制にたえてきた苦しい経験をもっているところがら、植民地の解放独立と軍備の撤廃・戦争絶滅については、代表の一人々々が、真剣な熱意をもってうったえた。さらに新中国の承認と国連加盟にかんする問題が、アジアの安全と平和を守るために絶対に必要であるとして提案された。未加盟国の国連加盟についても、切実な願いがうったえられた。広島宣言および二つの勧告では、人類愛にもとづく、人類上の問題がおおくもりこまれ、また世界連邦実現方法にかんする決議にも、「全人類愛思想の涵養に努力すること」「宗教家の理解と努力を促すこと」などの項目がくわえられて、宗教者が運動の推進力になるように要望されるなど、まさにアジア会議としての特徴を遺憾なくしめした。
会議に出席した各国代表は、六日夜大本広島主会をおとずれ、信徒との座談会になごやかな一刻をすごし、さらに一一月九日、日本で当時ただ二つの「世界連邦都市」であった綾部市と亀岡町をおとずれ、大本・人類愛善会に敬意を表した。亀岡町を訪問した一行は、イギリスのボイド・オア卿夫妻(世界連邦世界運動初代の会長)、インドのS・チョウドリ(弁護士)、アメリカのR・C・マックローリン夫妻、マラヤのラーマンをはじめ、韓国、ベトナム、西ドイツ等の代表一六人であった。
一行は、世界連邦旗と人類愛善会会旗を手にした在住信徒・町民・小中学生ら数千人のさかんな歓迎にこたえながら天恩郷にいたり、東光苑に設けられた野外ステージで人類愛善会と町共催の歓迎大会にのぞんだ。出口人類愛善会会長・大槻亀岡町長・沼田町会議長らの歓迎の辞にたいして、外国代表たちの平和の願いをこめた挨拶があり、「日本に平和憲法ができたのも、ここに、六十年前から人類愛に根ざす平和の土合がつくられていたから」で、「この聖域こそ平和をつくりだす聖場にふさわしい」とむすんだ。
綾部市にはカンボジアのサムソン(元カンボジア外務大臣)、フィリピンのH・トッピング(大学教授、女性)、インドのC・L・パリワル(印度世界連邦運動書記長)の三人がおとずれ、梅松苑の彰徳殿で開催中の大本開教六十周年記念展覧会を参観したのち、大本と市との共催による歓迎大会にのぞんだ。長岡市長の歓迎の辞についで、大本・人類愛善会を代表しての出口栄二の挨拶のあと、パリワルが一行を代表して挨拶した。一行は綾部から京都への途中、亀岡天恩郷をも訪問して神苑を参観し、花明山窯芸道場で楽焼の絵付などをしてたのしんだ。
人類愛善会では、これまで週刊(二頁)であった「人類愛善新聞」を、この年の一〇月より月三回(旬刊)発行の四頁とし、ことに一〇月上旬号は「世界連邦アジア会議特集号」として関係記事を満載し、ひろく頒布して会議の成功に協力した。
〔写真〕
○第一回世界連邦アジア会議 広島本川小学校 p1119
○亀岡天恩郷を訪問した世界連邦主義者 左から牧野虎次 ボイド・オア卿夫妻 右端は賀川豊彦 p1120
○世界連邦団体主催の国連未加盟国会議 東京 旧赤坂離宮 p1121