文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第8編 >第3章 >2 原水爆禁止運動よみ(新仮名遣い)
文献名3署名簿の国連送達よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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本部にぞくぞくとおくられてくる原水爆反対署名は、同年六月一五日をもっていちおう整理し、一六〇万人の署名簿をニューヨークの国際連合本部へ送付した。署名簿には、六月一五日付の大本三団体の名によるT・ハマーショルド国連事務総長あての要請文、国連へのうったえ、各国指導者へのメッセージをそえた。同時に、これらの文書は世界各国の指導者・平和団体等にたいしても送付された。国連事務総長にあてた要請文はつぎのとおりである。
ビキニ環礁において水爆実験が行なわれた一九五四年三月一日は、広島、長崎における原爆投下の日と同様に、また私たちの脳裡に深く刻みこまれる日となりました。われわれは九年前、原爆のもたらしたたえがたい災害の前にノーモア・ヒロシマを叫び、このような悲惨な戦争の二度と起らないことを心から祈ったのでした。しかし第二次世界大戦以後の世界情勢は原子力兵器のかぎりなき進歩をうながして、今日では戦争をまたずして、実験そのものの前に恐れおののかねばならなくなったのです。たとえそれが実験という名のもとに行なわれても、従来の実験の領域をはるかにこえて、その影響がいかなる範囲にまでおよぶかを科学者自身も予想し管理することができないと聞きます。だからこそ国際法上の公海において、しかも米国が指定した危険区域の外にあった日本人漁夫が、三月一日の水爆実験によって犠牲者となったのです。これらの人々は、同時に被災した米軍兵士、技術員、現住民が事前に承知して難をうけたのと異って、何等の予備知識もなく、したがって呼吸、飲食あるいは皮膚からの浸透による内部疾患を引き起し、もっとも恐ろしい重症に陥ったのです。原子病に特効薬のない今日では、日本医学界の細心の治療にも拘らず、今なお今後末永く不安と焦そうと恐怖の病床にあえがなければならなくなったのです。その家族の生活は貧窮のどん底に苦しんでいます。また魚は日本人の食物としてなくてはならないものであるゆえに、放射能を帯びた漁獲物はわれわれの生活を脅かし、そして最近日本国土ならびにその近海において、しばしば検出される放射能を多量に含んだ雨や大気に、日々不安と恐怖におびえているのです。幸いにアメリカは今春来の一連の水爆実験を終了したと発表しました。しかし今後絶対に行わないというのではなく、六月二日、米政府原子力委員会は上下両院合同原子力委員会に提出する報告書を発表し、その中で「原子力委員会は今後さらに原子兵器実験を予定しており……」と言明しているところによってみるも、情勢は楽観できなくなっています。しかして熱原子核反応の実験はひとりアメリカのみならず、ソ連もその他の国もまた行っていると報道せられています。地球上のどこかで、水爆などの原子力兵器が戦闘目的のために不断に製造され実験せられる限り、この不安と恐怖はますます深刻となり、それは単に日本のみならず、アジアいな! 全世界の問題なのです。換言すれば日本人漁夫二十三名の運命が世界大類のあすの運命なのです。われわれは今日真剣にノーモア・ビキニを神に祈り、かつ世界の人々に訴えなければならなくなりました。私たちは大いなる決意をもって……一九五四年の四月二五日より五月二五日の1ヵ月間を原水爆製造・使用反対の署名運動期間として、日本全国土にわたって賛同を呼びかけました。この運動は力強い賛同の世論に励まされつつ真剣に推進されました。……この心からほとばしり出る訴えは民族、国籍のいかんを問わず、世界の良心に強く響くことと信じます。われわれはこの運動によって反米思想をあおるとか、あるいは反ソ思想を、あるいは他の特定国反対をあおるという如き意図は毛頭なく、もしそのようなことがあったならば、かえって当惑するのです。なぜならば、世界の平和はかような民族憎悪の上に築かれるものではないからです。われわれの念願は、世界は一つ、人類は神のもと、みな同胞であるという人類愛の立場から、歴史上いまだかつてなき災いが、いま全人類のうえに襲いかからんとしているのを一刻も早く防ぐことにあるのです。C・アトリー英労働党首が英下院で演説した言葉の中に、「一ヵ月遅れればそれだけ危険は増大する。偉大な文明は、人々が最悪の事態は起らないだろう、まだ十分に時間があるといっていた間に没落していった」といっていますが、まことにその通りで、あすでは遅すぎるのです。日本人の切なる平和への願いをこめた貴重な署名簿一六〇万人分を御送付申し上げますから、何とぞよろしく関係諸機関におはかりのうえ、善処方を強くお願いいたします。
また国連にたいする提案には、つぎのようにのべられている。
……この人類的規模の危機に逢着せるこのさい、抜本塞源的の対策に全努力を傾注してなされねばなりません。この解決のため私たち三団体は次の提案をします。
一、各国は水爆等原子力兵器の製造ならびに爆発実験を即時中止すべきこと。
二、崇高な人道の精神によって、原子力兵器(水爆を含む)のみならず、細菌兵器、化学兵器その他大量殺傷兵器はすべて禁止し、破棄すべきこと。
三、国連機構内の努力とあわせて世界恒久平和確立のため、国際連合の主唱の下に、全世界の科学者、宗教家、思想家、教育家、政治家による人類の総英知を結集した大会議を一九五五年に開催すること。
歴史上生死にかかわるこの瞬間に立って、国際連合が国連憲章の前文に掲げた精神にかえり、戦争の破壊にかえて平和を確立しようと決意した国連本来の大使命を実現できるような国際連合の機構をつくり、今日当面した世界全人類および各国の諸問題を解決されんことを願ってやみません。
原水爆禁止署名の送付にたいして、国連軍縮委員会委員長W・エプステェインは、一九五四(昭和二九)年七月二日付でつぎのような返事をよせた。
国際連合総会議長ならびに事務総長にあてたあなたの通信は、まさに受領いたしました。軍縮委員会の仮手続き規則にしたがって、あなたの通信は当委員会が取扱うことになっている事柄に関し、個人および民間団体から受けとる議案簿にのせることになっています。この議案簿は委員会の全代表に通知するため、定期的に回覧されます。
また各国指導者へのメッセージにたいしては、インドのR・プラサド大統領が一九五四(昭和二九)年九月二日付で駐日インド大使館を通じて、つぎの返書をよせてきた。
親愛なる友へ 今般貴下においてインド大統領ラジェンドラ・プラサドあてにご発送の「世界各国の指導者へのメッセージ」および呼びかけを受領いたしました。インド政府は大量殺人破壊兵器の禁止ならびに除去にたいし、できる限りの努力をいたしており、また最近の水爆実験による日本人犠牲者およびその恐怖と関心におののく日本人にたいして、心からなるご同情を申しあげておりますことをお知らせいたします。誠意をもって。
大本本部発行のエスペラント月刊紙「OOMOTO」は、原水爆反対運動の展開とともに「水爆を破棄、平和へ!」と題して、運動への賛同を仝世界へうったえた。これにたいし世界各地から数おおくの賛意と激励がよせられてきた。おりからイギリスの「ピース・ニュース」(週刊)七月一三日号は、「日本から一六〇万の原水爆反対署名簿を国連へ発送」の見出しで、大本三団体の原水爆反対運動を写真入りでおおきく報道し、「水爆はアジアを怒らせた!」とのべ、三団体から国連へあてたメッセージ全文を掲載し、運動の経過を紹介した。
一方ブラジルの人類愛善会南米本部では、一〇月五日から南米の各支部に指令し、サンパウロ市にある原子力兵器禁止人道十字会と共同署名運動を展開した。この運動は南米にセンセーションをまきおこし、邦字新聞はもちろん現地の新聞にも報道された。つづいて多数の署名簿が人類愛善会総本部あてにおくられている。
〈原水爆禁止運動の世界的発展〉 人類愛善会・大本愛善青年会・同婦人会の三団体は、署名運動につづく第二弾として、六月一九日綾部、二九日亀岡をふりだしに、七~八月にわたって、全国各地で「原水爆反対大講演会」を開催した。この講演は、とくに京都大学教授の法学博士田畑茂二郎・理学博士四手井綱彦をはじめ、開催地の大学の教授など専門的立場からの協力や、教育委員会・ユネスコ・新聞社などの共催または後援をえて、社会におおきな反響をあたえた。講演会のほか、大本巡回講座・幻灯・カンバスなども活用され、それらの回数は、座談会をあわせると千数百ヵ所にもおよんでいる。各地域・職場・団体の署名運動も、全国的にひろがっていった。これを集計する中央組織として一九五四(昭和二九)年八月八日、東京の国鉄労働会館で原水爆禁止署名運動全国協議会が結成され、安井郁法政大学教授が事務局長に選出された。同会には大本・人類愛善会を代表して黒川実常任理事が出席し、大本における運動の状況と経過を報告した。
核戦争の危機を憂慮する世界平和評議会では、一九五五(昭和三〇)年一月ウィーンで理事会をひらき、安井郁事務局長を招いて実情を聴取した。安井の報告によって、日本における原水爆禁止署名運動の経験はたかく評価され、その教訓が核武装および実験に反対する国際的平和運動にとりいれられることになった。この会議で、「ウィーン・アピール」がだされて、原子戦争準備に反対する署名運動が全世界にむかって呼びかけられ、ついに全世界で六億五〇〇〇万をこえる史上最大の署名運動に発展した。
「ウィーン・アピール」の基盤にたって、同年六月には、ヘルシンキで世界平和集会がひらかれた。日本代表団は、同年八月六日か広島原爆投下の十周年にあたり、これを記念して広島で原水爆禁止世界大会を開催する準備が進行中であることを報告し、日本における平和運動の大衆化の状況について説明した。集会は原水爆禁止世界大会の積極的支持を決議するとともに、八月六日を「軍縮と原子兵器禁止を要求する世界平和行動の日」として、各国いっせいに運動を展開することを決定した。これを機に日本の原水爆禁止運動は世界の平和運動とかたく結びつき、国際的連帯をつよめた。こうして日本にはじまる原水爆禁止運動の世界的なひろがりとともに、世界の平和運動の様相は一変し、平和運動はしだいに大衆のなかへ浸透した。
こうした世界的な世論のたかまりにささえられて、一九五五(昭和三〇)年八月六日から三日開、広島ではじめての原水爆禁止世界大会がひらかれた。この大会は「ノーモア・ヒロシマ」のねがいにつらぬかれ、幸福と平和を希求する民衆の心からなる叫びの結集でもあった。人類愛善会は宗教世界会議綾部会議開催のさいにもかかわらず、代表を派遣して協力し、とくに地元の人類愛善会広島県連合会では桑原英昭会長を大会役員におくり、大会の準備から後始末にいたるまで終始一貫奉仕し、社会の注目をあつめた。この大会の成果として、九月一九日には、統一運動体として原水爆禁止日本協議会が結成された。人類愛善会はその主要加盟団体として参加し、友好団体との提携をふかめつつ、さらに独自の運動を展開していった。翌一九五六(昭和三石年八月には長崎で第二回の世界大会がひらかれた。人類愛善会は大量の代表団をおくり、出口会長は大会議長団に選出され、人類愛善会員・大本青年会員・大本婦人会員は大会の準備・運営に協力した。また大会報告号を特集して「人類愛善新聞」の一部売りをおこない、趣旨の普及につとめた。その後、毎年の世界大会に代表をおくっているが、とくに一九五八(昭和三三)年の第四回世界大会には「人類愛善新聞」を特集して三六万部発行し、一九六〇(昭和三五)年の第六回世界大会には、一万キロ平和大行進の北陸コースに代表として井上礼彦を、翌年には山陽コースに福士高光と井上(本部)、山陰コースに中村栄治(島根)・西村志華彦(兵庫)を参加させている。これと並行して、地方では全国の各支部・連合会等も地域の原水爆禁止協議会に積極的に参加して運動をつづけた。
なお海外においては、一九五五(昭和三〇)年インドネシアのバンドンにおいてアジア・アフリカ会議がひらかれ、植民地主義や核兵器戦争に反対し、世界の平和に関する決議がおこなわれたし、また一九五七(昭和三二)年には、カナダのパグウォッシュで一〇ヵ国の一流科学者が会議をひらいて、戦争の絶滅を期するための科学者の決意を表明したことも世界の注視をあび、今までになく国際世論はたかまった。
〔写真〕
○この子らのために…… 広島平和公園原爆の子の像下の碑石 p1145
○署名運動についで全国的に原水爆反対講演会を開催し あわせて大衆に原子力への正しい理解をうながした 上 四手井綱彦京都大学教授 下 出口栄二大本青年会長 p1147
○原水爆禁止運動は国民各層からもりあかり世界の注目をあびた 上 第6回原水爆禁止世界大会 下 毎年大本では他宗教と協力して原爆慰霊祭をおこなっている 広鳥 p1149
○ノーモアヒロシマ! ノーモアナガサキ! いくらさけんでもさけびすぎるということはない 昭和20年3月9日原爆をうけた直後の長崎市の惨状 p1150