文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第8編 >第5章 >1 楽天社と芸術よみ(新仮名遣い)
文献名3木の花帯と鶴山織よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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ページ1255
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大本の女性信徒のしめている独特の三幅前掛は、「木の花帯」とよばれている。これはもともと、洛北大原の里の女性らがしめていたものであったが、それを三代直日が改良してみずからしめだしたのをはじまりとする。木の花帯の由来について、一九五三(昭和二八)年一一月号の「木の花」にのべられている教主の言葉は、まことに興味ふかく、大本における芸術の生活化を端的にものがたつたものである。「洛北大原の女がしめてゐた三幅前掛を、それが建礼門院にゆかりをもつものとは知らず、ただに床しい百姓の風俗として私が愛用して来たものを、私の家の児らや、妹たちに及び、それが周囲の友だちにも美しい風俗として締めはじめられ、誰いふとなく「木の花帯」といふやうな呼称まで生れて来ました。……一つ、これまでの帯にくらべて、心臓を圧迫するやうなことがなく、腹帯の役目をし、腰の辺りを温めるため健康的によいこと。一つ、和服地、洋服地いづれも可で、工夫しやすく、経済的であること。一つ、前掛のやうに着物の汚れを少なくするとと。その他夏の浴衣の上にしめて涼しく、冬はあたたかく、所作を美しく楽にしてくれますので、日常台所にも、又訪問に大へん便利なものと思ってゐます」。
さらに教主は、木の花帯の美的効果の一つとして「女の腰の線を美しく見せてくれること」をあげ、「木の花帯は女性の生命である─女性らしいもの─を生かしてくれる働きがあります」とものべている。従来の日本帯の難点をすくい、健康にも起居動作にも便利である三幅前掛の実用と美を発見して、現代人の和装生活を軽快なものとし、みずからの生活にとりいれた教主の英断には注目すべきものがある。大本楽天社では、東京の白木屋で展示会を開催し、機関誌「木の花」や、大祭時の展示会などで地方の人々にも紹介したので、亀岡・綾部・京阪神の信徒間にはもちろん、またたくうちに全国各地の信徒の間に木の花帯が普及されるにいたった。
なお、一九四二(昭和一七)年八月、第二次大本事件による保釈出所の直後から、二代教主によって復活された鶴山織・鶴山草木染(七編五章二節)は、三代直日からさらに長女の直美にうけつがれて、その伝統が今日にかおりたかく保持され、生活のなかに実用化されているのもみのがせない。
〔写真〕
○手機にはげむ出口直美 綾部梅松苑 p1256