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文献名1大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動
文献名2第1章 運動の概要 >第4節 随感録 >(一)八面鉾よみ(新仮名遣い)
文献名3第2章 宗教の害毒よみ(新仮名遣い)
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本文  宗教の目的とは何ぞ、人をして生活の真意義真生命を得せしむるに在り。敢て問ふ、「之を得せしむるは何の為ぞや」と。宗教家は必ず曰はん、「娑婆即寂光浄土の為なり」と。又曰はん、此の世に天国を出現せしめんが為なりと。然り、宗教の目的は之を措いて他に無かるべし。是れ此の目的の為に孜々として、布教に従事する所以なるべし。
 既に目的あらば、之に到達すベき手段を講ぜざるベからず。即ち彼岸に渡らんには先づ舟楫を艤するを要す。特に自己のみならず、同胞延いては国家を済さんと欲するには、相当の方法を講じ、充分なる設備を為さざるべからざるなり。然るに一般宗教家は、果して此の方法を講じ、設備を考へ、而して後に、其の目的に向つて、衆生同胞を済度すべく努力しつつありや。吾人の観る所を以てすれば、元来宗教なるものは、其の教祖が其の国土に応じ、其の時代に適する教義を立てたるものなり。されば甲国に適する宗教必ずしも乙国に適するにあらず。又上古の人心を救ひたる宗教必ずしも、現代を済ふとは言ふベからず。事物は皆国によりて相違し時によりて変遷す。故に数千年前に起れる異国の宗教を持ち来りて、之を以て我が現代の人心に真意義真生命を与へ、以て天国浄土を出現せしめんとするも甚だ難し。是れ吾人が現代宗教家の其の職に努力すればする程、怪訝に堪ヘずとする所以なり。
 平等なる目的に達するには、手段に差別ある差別あるを要す。宗教家及多くの学者は云ふ、曰く「万教は帰一なり、諸悪莫作衆善奉行なり、至善に止まるに在り、己の欲せざる所は人に施すこと勿れ、己の好む所は之を人に施すべし、東西人情相同じく古今一軌、何ぞ必ずしも宗教の別を論ぜんや」と、然れども是れ一を知つて未だ其の二を知らざるの論なり。共通する所あればとて、直ちに同一なりとは断ずべからず。相違する所を求むれば飽までも相違すべし、目的同一なればとて、其手段の何れにても可なりとは言ふべからず。人情国風に適する手段に依るにあらざれば、到底宗教の目的は実現し得べからず。是れ恰も生命を繋ぐの糧なればとて、人をして猫の食を喰はしめ、猫をして草木の肥料を食はしむべからざるが如くならんのみ。陸行には車に依り、海行者は舟に依らざるべからず。斯くて目的平等なりと雖も、其の手段に至つては時と処とに応じて差別を生ずることとなるなり。故にいはく、「平等なる目的を達するには、手段自ら差別を生ずるに至る」と。
 一国に最も適する宗教は其国の宗教なり。宗教は何れも其の国其の時代の思想上の産物なり。されば最適なる宗教は発生時代に於ける其の国の宗教なり。故に如何なる宗教にても、他国に入るに及びては、必ず意義又は形式に於いて、尠からず変遷するを常とす。是れ恰も虫類の保護色の如きものなり。之を仏教に就いて見るに、其の支那に入るや支那色に変じ、又我が国に来るに及びては日本色に変化したり。基督教は伝来日猶浅しと雖も、将来に於ては、亦必ずや此の如くなるに至らん。是に於て宗教家は言ふなるべし。「仏教は既に印度、支那の夫れにあらずして日本的仏教となりたるなり。故に日本に適当なる宗教は、仏教を措いて他にあること無し。又基督教も今や日本的基督教たらんとする過渡時代に在り。故に後世日本の思想を統一するに適当なるは、世界的宗教たる基督教に若くは無し」と、豈夫れ然らんや。元来宗教なるものは、仏教にもあれ、基督教にもあれ、人と神(仏と人、大我と小我)との融合一致に重きを置くものなり。即ち四諦観といひ、三位一体説といふも、其の意義に於て異ることあるなし。所謂天人合一を主とするに在るのみ。従つて現在の国家、国民、君臣、父子の関係を、動もすれば軽々看過せんとす。如何に宗教家諸君が気張りて、仏典、聖書の中より五倫五常に関する語を抽き集めたりとて、そは決して諸君が奉ずる宗教の主とする所のものにはあらじ。是れ元来仏教、基督教の発生国が五倫五常の国にあらざるが故に、其の然るべきは寧ろ当然の結果なりと謂ふべきなり。
 我国は之に反して、五倫五常が主にして、神人契合の如きは、寧ろ従たるものなり。外教にては五倫五常を捨てても、神人契合を得るかは知らざれども、我が国にては決して之を得べからず。されば神人の契合を得んと欲せば、先づ五倫五常を全くするは是我が神の道にして、外教の其れとは全く表裏相反するものなり。而も其の道たるや、後世聖人君子なる者が、必要に応じて立てたる道に非ずして、天地開闢以来伝はれる神ながらの大道たるなり。神は此の道の本源を人の本性に分賦し給へり。之を名づけて至誠といふ。此の至誠君臣の間に発して義となり、父子の間に発して親となり、夫婦の間に発して和となり、兄弟の間に発して友となり、朋友の間に発して信となり、毫も紛乱する所あること無きなり。
 故に教へずして家自ら和らぎ令せずして国自ら治まる。是を以て其の国体や美なり、其の国土や浄土なり、其の国家や天国たるなり。之を又我が国不文の教とは謂ふなり。然るに今宗教家は、「此の浄土の国を出現せしめんがために、最良の手段たる我が固有の大道を捨てて、縁遠き他国の宗教布教に没頭す。是れ猶湿を悪みて低きに居り、火を消さんと欲して油を注ぐが如き類のみ、豈奇ならずや。」若し宗教家にして真に国家を愛し、衆生同胞を憐み、天国浄土を出現せしめんと欲すとせば、須らく先づ従来奉ずる所の宗教を捨てて皇道に帰、上、皇室の行はせらるる本義に則り奉るべきなり。是其の目的たる天国浄土を出現すべき最良、最捷径の方法にして、亦釈迦基督の本旨に協ふ所以ともなりぬベし。
 元来宇宙の間には迷悟あること無し。然るに宗教家は曰ふなるベし、「日本の道は所謂不言の教なるが故に、迷へるものをして悟らしめ、悲しむものに慰安を与ふるの方法なし。是れ其の欠点なり。我が宗教は此の欠点を填補するものなり」と。然らば問はん、「宗教発生以来、果して能く迷へる者を慰め得たりしか」と、宗教ありて迷者悲者其の跡を絶つと謂はば、宗教発生以前は皆迷者悲者のみなりしか、思ふに宗教ありとて迷ふ者は迷ひ、宗教無しとて悟る者は悟るべし。喜怒哀楽は人の天性なり。山は是れ山、水は是れ水、豈微々たる宗教によりて之を左右し得ん哉。
 然るに世の宗教家は巧辞を弄し、甘言を揮つて説法すらく、「迷ヘる者よ来れ、悟を与へん、悲しむ者よ来れ、慰を得せしめん」と、これ所謂晴天に風雨を呼び、平水に波浪を起すものにして、人心は却つてこれがために迷乱を生ずるを免れざるものなり。飜つて宗教家の平常を観れば、其の多くは、伝道の傍、或は愚民を欺きて其の膏血を搾り、或は外国の走狗となりて、共に国民性を害ひつつあるにあらずや。夫れ盗賊は世の重罪なり、而も之を謀反に比すれば其の罪軽し、謀反は天下の大罪なり、而も之を宗教家の罪に比すれば小にして軽し。何となれば、盗賊謀反は自ら其罪を標榜して之を行ひ、人亦皆之を知るが故に或は恐れ或は戒む。天誅至るに及びて罪悪自ら明かとなるに反し、彼の欺民走狗の徒に至りては、人之を知らざるのみならず、天下挙つて之を誉む。又之を誉むるのみならずして之を信奉す。其の害一時に現出すること無しと雖も、其の一たび現はるるに及びては、国家の命脈亦危ふからんとす。之を獅子身中の虫に比するも敢て失当にあらざるを覚ゆるものなり。
 吾人は又茲に問ふベきことあり。「宗教家は今日の思想界を如何に観つつありや」と。釈迦の出し時よりも、基督の起りし時よりも、孔子の遊説せし時よりも、現代は尚一層甚しき迷乱時代なるを知らずや。此の迷乱の時代を救ひて、国民思想を統一せんには、唯一の皇道あるのみ宗教家にして若し之を知りながら殊更に其の宗教を布教すとならば国家の賊なり。若し知らずして布教すとならば天下の愚なり。共に世に活歩せしむべからず、蓋今日多くの宗教家は、真に民生を念ひ、国家を憂ふるの至誠ありて布教せるに非ずして、第一には生活の為なるべし。思ふに此の世智辛き世に傲然として舌頭のみにて多大の金品を集め、都合の悪しき時のみ「世事我不関焉」と仰臥し得るは宗教家なり。
 第二には負け惜みに依るなるべし。一度び宗教家となれば、後に衷心に於て其の非を悟るも、還俗すれば前非を社会に曝さん事の恥しく飽くまで宗教家にて居るが節操らしく見ゆるが為なり。若此の推測にして中らずと雖も遠からずとせば、今日の宗教家は事憐むべきものなり。此くまで自己の本性に背き良心を韜みてまで世渡をせざるべからざるかと、基督曰く、貧しぎ者は福なりと、又曰く、神は無くてはならぬ物を与へ給ふと、真に此の意を悟らば世渡りの為の宗教家たるを止めよ
 我が国は明治の初めに於て、物質的維新を断行したり。今や此大正の始に於て国の大祓を為し、大に思想界の紛乱を正すべきの秋に当れり。世の賢明なる宗教家よ。日本の国土に於て、陛下の臣民として、祖神の子孫として生を享けたる上は、此の秋に当りて、宜しく国家の将来を鑑み、利を捨て義を取り、私を去り公に就き、以て神州清潔の民となり、天壌無窮の皇運を扶翼し奉るベきにあらずや。然らずんば反て是れ釈迦基督の罪人たるべし。
 彼の「夫れ我来るは、人を其父に背かせ、子を其母に背かせ、娘を其姑に背かせんがためなり。我よりも父母を愛むものは、我に協はざるものなり、我よりも子女を愛むものは、我に協はざるものなり」てふ教に従ふ者と比すれば、其の差果して如何にぞや。夫れ「父母を見れば尊し、妻子見ればめぐしうつし」とは人の本性なり、而も其の本性を枉げ、倫常を無みし、強ひて直に天父に従はむとす、如斯の民性、豈、真面目なりと謂ふベけむや。
 我が国儒仏伝来以降、甚だ人性の真面目を欠きたり。鈴の屋翁が「きもむかふ心さくじりなかなかにからの教ぞ人悪くする」「からざまのさかしら心うつりてぞ世人の心悪くなりぬる」と物せられたる、まことに所以なきにあらず。人或は言はむ、「儒仏は我が国に文化を導き、今日の大和錦を織りなしたるものなり」と、他人の力を藉りて角を矯めたるは可なりといへども、牛を殺せば終に何等の益かある。儒仏によりて制度文物の美を成したるは可なり。然れども、国の命脈を維持する国民性を麻痺せしめたるの害は、挙げて数ふベからずとす。元来我が国民性は天真爛漫なるが故に、濶達なり、雄壮なり。素盞嗚尊、五十猛尊の韓国経営といひ、少名彦命の海外経営といひ、神功皇后の三韓征討といひ、其の他外に軍に従ひ大胆不敵なる調伊企儺の如きあり、又婦女としての大葉子の如きあり、毫も外教浸潤後に於ける島国的にして意気地無き根性にはあらざりしなり。請ふ、天照大御神に日し奉る祈年祭の祝詞を荘誦せよ。
「皇神の見霽します四方の国は、天の壁立つ極み、国の退ぎ立つ限り、青雲の棚引く極み、白雲の墜居向伏す限り、青海原は棹舵干さず、舟の艫の至り留る極み、大海原に舟満ちつづけて、陸より往く道は荷緒結ひ堅めて、磐根木根履みさくみて、馬の爪の至り留る限り長道間無く立ちつづけて、狭き国は広く、峻しき国は平けく、遠けき国は八十綱打ち掛けて引き寄する事の如く、皇大御神の寄さし奉らば。」
 と、何ぞ其の語の勇壮にして、意気の濶達なる。是れ実に我が上古臣民の理想を代表するものにあらずや。然るに儒教入りて禅譲の風を伝へ、老荘の学来りて許由巣父の徒生じ、仏教渡りて悲観厭世の俗興り、真面目の本性を晦蒙すると共に、雄壮濶達の気象衰ふるに至りたり。彼の、臣下として王位を左右したるは伊尹の徒にあらずや。畏俗先生と称して山間に遁れたるは許由の徒にあらずや。而して円頂黒衣以て世を遁れたるものに至りては枚挙に遑あらず。上は清和天皇の水尾山に入り給ひたる、花山院の「妻子珍宝及王位臨命終之時不随者」と、果敢なみて、世を捨て給へる首として、臣下に至りては其の数計るべくもあらず。就中、最も知られたるは西行法師なり。法師本名を佐藤義清といふ。一夕知友の死に会ひ、無常を感じて出家す。出家したる後、彼果して何をか得たる。其の鈴鹿山を踰えむとするや、歌うて曰く「鈴鹿山浮世を余所にふり捨てて如何になり行く我が身なるらむ」と、彼もと生死の道を脱せんとして出家す、しかも身の成り行に迷ヘるにあらずや。又歌ふらく、「願はくは花の下にて春死なむ」と、出家は元来身を行雲流水に托す、死所何ぞ必ずしも陽春花下を俟たむ。彼既に心無しといふ、而も鴫立沢の秋色に対しては哀を感ぜざる能はざるは何ぞや。兼盛言ふ「忍ぶれど色に出にけり」と、心内に在れば必ず外に表はる。人焉んぞかくさむや。
 又鴨長明は加茂社の社人なり。社司を望みて得ず、怒りて出家し、前に出家せしものに贈りて曰く「何処より人は入りけむ真葛原秋風吹きし道よりぞ来し」と、何ぞ其の根性の不真面目にして横着なる。苟くも神祇に仕ふる身にありながら、不都合にも些細なる不平のために仏に帰したるなり。又入道右大弁真観なる者、屡々仙洞より召さる、参らずして歌を上りて曰く、「勅なればそむくにあらず捨て果てし身を出で難てに思ふばかりぞ」仙洞より御返事あり。曰く「此の頃の習ぞつらき古は勅にぞ人は身をも捨てにき」と、真観恐れて参りたりと云ヘり。是等は皆似而非遁世者にして世を欺くものなり。若し夫れ真に世を捨つるとならば、何ぞ速かに死せざる。此の世に生息する以上は、決して世を捨てたりとはいふべからず。普天の下率土の浜王土にあらざるは無く、之に生息する者王臣にあらざるは無ければ、許由頴川に飲むも、尚ほ堯沢を蒙り、伯夷首陽に蕨を採るも、尚ほ周の物を食むなり。況んや生ある以上は山の奥にも鹿の声は聞え、波の音を厭ヘばとて、松風の音を避くる事能はざるに於てをや。
 仏者に言はしむれば、仏教には小乗あり大乗あり、中古時代の仏教は多く独善的の小乗なりしが故に弊ありしかど、大乗的教義に至りては然らずと。然れども仏教の入門は、到底悲観的厭世主義なるを免がるる能はず。出家にあらざれば道を得る能はずとするを主義とす。教祖釈迦を初め、有らゆる祖師達、何れか家を出でずして得道したる。さればこそ兼好法師も「此世をはかなみ、かならず生死を出でんとおもはんに、何の興ありてか、朝夕君につかへ、家をかへりみるいとなみのいさましからん」又「大事を思ひたらん人は、さりがたく心にかからん事のほいをとげずして、さながらすつベきなり」など言ひけれ。又法華経にも「三界の安きこと無し、猶火宅の如く衆苦充満せり、甚畏怖すベし」といひ、仁王経にも「三界は皆苦なり、国土も何の頼かあらん」といへり。之を詮ずるに、仏教は四諦、即ち、苦集滅道を以て綱目とし、其の苦観を以て関門とするは争ふべからざる所なり。是れ実に中古以来、我が国民性を麻痺せしめたる毒薬にして、其の証今日の印度を見れば、自ら思半に過ぎん。
 「天命は性にして、性に率ふを道」といひ、「道を修むるを教」といふ以上、我が国の道は我が国民性に率ひ、我が国の教は我が国の道を修めざるベからず。而して今日の基督教は勿論、儒仏老荘の教は、既に我が国民性に協はずとすれば、我国に於ては、惟神の大道これあるのみとなるべき筈なり。
 孝徳天皇大化三年の詔に曰く、
 惟神も我子治さむと故寄させき。是を以て天地の初より、君臨国也。始治国す皇祖の時より天下大同くして都て彼といい此と云ふことなし云々」
と、近藤芳樹翁之を解きて曰く、
「掛巻もかしこけれど、我が豊葦原の中国は、天照皇大神の御任のまにまに、万世を遠長く統御べき美邦にしあれば、天下の臣庶皆性を天神の産霊に成して、心直く、身を真井の清水に濯ぎて其体潔ければ、穢悪く枉曲れる者をさをさ無くて、臣連伴造国造諸々朝を輔け、世を治むべき業を家に伝へ、臣連は其姓のまにまに仕奉り、出でては君を尊び友と睦び、入りては父兄につかへ夫婦相いつくしむ。神代ながらの無為の教にたがひめあらでなむ。是を惟神の道といふ。」
 是れ実に我国民性に率ふ所の道にして、五倫五常一致の本義なり。されば五倫を尊ばざるは我が国の教にあらず。五常を重んぜざるは我が国の道にあらず。我が国の教にあらずして之を奉じ、我が国の道にあらずして之に遒ふ。これ本性を枉げ君親を無みするものにして、畢竟乱臣賊子たるを免れず。人或は言はむ。「時勢の推移に連れて文物亦変遷す。今日此の聖代に於て、上古の道を論ずるは愚なり」と。道豈に時の古今に依つて変ずるものならんや。凡そ世の単位は人なり。人の思想の変遷につれて、時勢も亦変遷するは免るベからざるも、吾人の所謂道には非ざるなり。古語に曰く、「一人仁に興る」と。故に一人にても過去の過を悔い、今日の行を修むる者あらば、漸次一家一村一国に及ぼし、遂には世の趨勢をも一変すべし。而して其の事たるや、之を遠くに求むるに非ずして、邇く之を自己の本性真情に求め、之を難きに施さずして、易き君臣父子の間に行ふに在るなり。人既に一たび真情を発す、鼎钁も飴の如く水火も蒲団の如くならん。何を苦しんで生死を離れ、何の遑ありて天国を希はむ。思ふに我が国の現状思想界の混乱其の極に達せんとす。曰く耶蘇、曰く仏、曰く儒、曰く俗神道、曰く東洋哲学、曰く西洋哲学と、而して其の内又各宗各派各主義に分れ、甲論乙駁、喧擾紛争してやむ時無きなり。祝詞に所謂磐根樹根立草の片葉をも言間ふの世なり。宜なるかな人心の帰趨統一せられざるや。
 之を要するに、今日の宗教家、哲学者等は、人心統一の必要は之を感じながら、一面には其の生存のために世を欺き、名を衒ひ、一面には深く天地の大道を究めざるがために、其の帰結点を得ざるものなりとす。一般世人に至りては、唯彼等の言にこれ聴くのみ。若し然らずとならば、爾曹が従来の教に固着するの陋と、主義に束縛せらるるの弊とを離れ、日本国民の本性に復帰すべきなり。日本国民の本性に復帰して之を発揚し、以て天壌無窮の皇運を扶翼し奉る之を惟神の大道とはいふなり。惟神の大道を離れて、而して日本国民たらんとするも得べからざるなり。
 若し強ひて仏耶其他の教を奉ぜんとならば、乞ふ各々其国民となれ。
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