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文献名1大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動
文献名2第2章 昭和神聖運動 >第2節 昭和青年誌(抄)よみ(新仮名遣い)
文献名3全会員に望む 三月十九日夜昭和青年会弁論会席上に於てよみ(新仮名遣い)
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タグ データ凡例 データ最終更新日2023-03-05 04:56:44
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三月十九日夜昭和青年会弁論会席上に於て……於大祥殿
出口王仁三郎
 かねて私は去年は千九百三十一年で、ナンセンス的に云へば戦(一九三)の始ま(一)りと云へるし、又一国と戦をすると云ふ事にもなると云ふことを御話して置きましたが、愈々昨年の新の九月十八日には、満洲事件が妙な所から突発してまいりました。今年の千九百三十二年は戦の二と云へる、之は或は不吉な予言であるか知れませんが、もう一ケ国と戦はねばならぬかも知れません。今日も夕刊を見ますと『琉球の中城湾方面へ飛行機が偵察に来て島を一周して帰つた。之を陸海軍に照会したる所こちらの方では琉球の方へ飛行機をやつた覚へは無い(三月十九日)』と云ふ事が書いてあつた。そうすれば何国かの飛行機が偵察に来て居るのであります。
 私は大正七年頃から或る遠い所の国と、どうしても戦端を開かねばならぬと叫びましたが、之が禍をなしまして、それが遠因をなし大本事件が勃発した様な事になつたのであります。他にも事件の勃発した原因もありますが、一番の原因即ち其の素因とも云ふべきものは○○戦争を唱導したからであります。其時に例のあの御札博士のスタールが大本へもやつて来た。あれは神社仏閣を御札博士として廻つて居りますが、或る一つの○○からの使命を帯びて来て居た者であります。それが大本へ来て、『○○戦争を大本が唱導して居るのは、今日日本全国の神社仏閣を廻つて来たが、何千年、何百年の歴史のある宗教は殆んど瀕死の状態であつて、只余生を保つて居るにすぎないものである。勢力もなければ、意気も何もない。それに新しい所の大本は非常に建築もやり、意気撥溂として、之は○○が表面から○○戦争が云へないから、こう云ふものに金をやつて、そして民間にそれを唱導さして居るのに違ひないと云ふ事』を○○に報告したのであります。それで○○○に抗議が届いて、それで○○は『○○と大本とは一緒ぢやない』と云ふ事を明かにするため、無理からでもあゝ云ふ事をやつたのであります。大本事件はそう云ふ遠因から起つたのであります。併し其時の凡ての日本の政治家、宗教家及び知識階級は絶対にそう云ふ戦争はないと云つて居りました。現に去年あたり迄云ふて居つたのであります。併しそういふ事件が起つた位でありますから私は云ひません、が併し今年は三十二年で去年は一ケ国とやつたから、已に満洲が独立したから支那とニケ国になつて居ります。然し満洲支那を一ケ国と見なして他に或は早急に妙な事が起こるのではなからうかと感ずるのであります。其翌年の千九百三十三年は之は又戦盛ん(三)と云ふ意味にもなり、或は三ケ国を敵にせんならんと云ふ様な意味にもなるのであります。
 満洲国が建設されたからと言つて安心する事は出来ないのであります。又大満洲国が建設出来ても、いつも日本は利益を他国人にとられてしまふ。営利は支那や米国の資本家が出て来て皆取つてしまふ。日本は其のかすをなめる丈金を費ふ丈になつてるのはつまらん、それで日本人は各々覚醒して、資本家は大資本を投じて日本の為色々な事業を起してやらんことには又犬骨を折つて甘味は鷹に取られてしまふ事になるのであります。それであるから吾々は人類愛善を説くのであります。所謂一切世上の愛を説いて居ります。けれども地獄を愛すれば地獄であります。そが時と場所と位置によつて日本の為め戦ひを讃美し、何処迄も陸海軍の(れ)後楯となつて帝国の為めに働かねばいかんのであります。人類愛善の上から見れば矛盾の様でありますが、それは一を考へて、他を考へないからであります。日本の国体は世界の親国であり、日本の栄は世界の栄であり日本の保安は世界の保安であり、日本の勝利は世界の勝利であるのであります。
 満洲国が建つて、支那の満洲の人民でもわからん奴、煽動されて居る奴は、反感を抱いて居るかも知れませんが、結局日本に護られたならば、満洲に於ける支那人其他十六種の人種がよつて居るが、皆之は幸福を得るのであります。それで今満洲国家が建つたと云つても、まだまだ日本の国が、明治維新が出来てからでも、立派に憲法が発布されるまでに廿三年もか』つて居る。
 此の十六種の人種が雑居して居る満洲、及び日本の三倍もある此の広い土地で政治が到底日本の様に行きとどかん事は火を見るよりも明かであります。それで私は去年の十一月に東上致しまして……其時には宣統帝の擁立問題に向つて進んでゐました。それからいよいよ行かうと思つたのですが、日出麿もやつてあるし、感ずる処があつて時機を待つ事にしたのであります。
 あの国家社会主義、社会民主主義と云ふのは一人に対して何万円より余計金を儲けることならん。余計金を貯へる事は出来ぬ。と云ふ主義でありますから、それでは満洲へ大資本家が行つて呉れる道理がない。それでまだ充分設立しては居らないが、東邦拓殖会社と云ふものを拵へてそれに資本を投じて折角日本があすこ迄やつたのであるから色々と奔走して居ります。また東邦拓殖会社の事は充分安心する所にいかん色々の邪魔が入つて、それでどうしても之はまだまだ納まらない鼻高さんが、鼻の折れるのを待つより外はないのでありますが。
 又満洲新国家の趙欣伯其他重なる新政府の役員は煕ホウと馬占山は紅卍字会員で、其外の皆は愛善会員であります。あちらの方の意見としてはまだ私が行くのには早い。愈々の時には使ひを出すから来て貰ひ度い。と云ふ事で満洲行を見合して居る。
 満洲のゴタゴタの渦中に飛び込んで三千世界の立替立直しを神から申され、世界に人類愛善を提唱して居つて、軽挙してそこに身を投ずると云ふ事は神様に対しても吾々の抱負に対しても、反て小さくなる事になり且つ世界の本会員に対して自分の赤誠をうたがはしめる事になるので今は満洲行は見合して居る様な次第であります。満洲ばかりでなく、私は此前大正十三年蒙古行をした時の考へは、日本の人口は毎年百万も殖へる、それで其人を植へる所がなければならぬ。印度西蔵其外と提携して、それから南洋方面迄すつくり愛善主義をしかねばならぬといふ考へを持つて行つたのであります。
 私が東京方面と行つて色々の人の意見を探つて見まするにやはり今日の当局者は私と同じ様な考へを持つて居ります。それで現在の状態は或はハルマケドンの戦ひの之が行きがゝりと思はねばならぬ。満洲国が治まつても、支那が上海で休戦をやつてもそれで安心するわけにはいかん。就ては吾々昭和青年会員は私は更生第二年でまだ二つである。今迄の年はほかしてしまつた。之は死んだ子の年齢を数へるのと同じで、先の事を言つて見ても三文の値にもならない。けれどもオギヤアと生れたばかりでは仕事も出来ない。併し二歳であるが幸に自由自在に喋れる様になつた又歩く事も自由に出来る。之は非常にいゝ事である。人間と云ふものゝ生命は同年である。三つ子でも五つになつて死ねば、仮令八十の人が九十まで生きたとすればその人間は若いと云ふ勘定になる生命は皆同年である。只此世の中に早く生れたか、遅く生れたかの違ひ丈であつて人間の生命に老若は無い。それで此の昭和青年会は他にある昭和青年と違ふて皆が、白いひげの人、白い頭の昭和青年もある。之は精神上の昭和青年であります。
 ──言心行一致と云ふ事が最も必要であつて、口で云ふて居る事、心で思つて居る事それを行はなければなんにもならぬ。此の昭和青年も言心行一致を以て難局に当らねば、つまり後世に至つて笑ひ話になつてしまふ(笑声)
 就きましては私の一つ考へて居りますのは、万祥殿が建つたならば此処を(大祥殿)昭和青年会の会場にしようかとも思つたのです、が併し此処は宣霊社を置かねばならぬ。それで特に『芸術は宗教の母なり』の『大本の母』たる所の『芸術の殿堂』はまだない。そして其子たる殿堂は五六七殿なり大祥殿なり其他出来たのであります。が之は芸術の方面の其宣言、『芸術は宗教の母なり』から考へて見ると大分親に不孝してゐる様な感じがする。それで芸術館と昭和青年館と兼用のものを建て度いと思ひます。就きましては之を建てるには金がなければならぬのでありますが、幸に愛善新聞を一生懸命に売つて貰つて居る其間の利益の何分の一かを積んでそれにし度いと思ひます。
 芸術は宗教の親でもあり、青年に対して最も元気を与へるものであり、又世界の平和を保証するものであります。世界の平和は芸術でなければ、芸術と宗教でなければいかんのであります。宗教の中にも固苦しうなるのと、話を聞いてゐてもねむたくなるのと、涙が出て悲しうなる宗教もありますが、大本の宗教を聞いて居ると何か勇んで来る。之は明るい宗教であるからであります。人間は勇むばかりでもいかん。やはり涙もなければいかん。此の華やかな宗教を調節する為に喜劇も悲劇もやる。
 就いては私は芸術舘、昭和青年舘を建る為に、昭和青年会へ一千円の寄附を致します。それで新聞を売る、或は又其外の多少にかゝわらず一銭でも二銭でもいゝから、此昭和青年会舘の建設に御尽力願ひ度いと思ふのであります。
 人間は、最前も成功の話がありましたが、私が考へるのに人間は一生の中に、絶対の成功者もなければ又絶対の失敗者もないと思ひます。之は此大宇宙を神様が作つて完全な地の世界を作らうと思つて居つても、あの大和川の様な事が起つて、あちらが崩れこちらが崩れたり、色々な事があつて仲々神様の事であつても邪魔が入つて来る。吾々の失敗するのは之は常の事と思ふ。成功しても別に喜ばず惟神の儘に進んで来たのであります。満洲へ行つてえらい失敗したなアと人に挨拶される又月宮殿が出来て成功しましたと云ふ人もあるが吾々は何とも思はない、失敗したとも思はない。失敗と云ふ事は末代かゝつても恢復すべからざる事、之は或は失敗であると思ひます。併し此生きとる中に完全の成功と云ふ事は誰も出来ないものであります。併し各々に之は凡て何をして居ても神様の御用である。惟神に任せてあるから、成功失敗と云ふ事を頭に置かず、又青年の意気を持つて、失敗やとか成功やとか躊躇逡巡せずに進まねば何も仕事は出来ないと思ひます。今日私が歩いて居りましたら、『舌ある者は叫べ、耳ある者は聴け』と云ふ事が書いてありました。私が『尻ある者は屁をたれよ』こう云ふたら誰か笑つて居つた。各々が汚い尻の穴を持つて居るのでありますから、何を叫んでも聞いて居つても洩れる事があるかも知れぬ。それでそう云ふ時には尻の穴をつめて置かねばならぬ。何でも小さな事でも積んだら大きくなる。大きな事でもほつといたら何にもならぬ。それで昭和青年はこういふ際に、今我が神国が勃興せんとする際でありますから充分落着いて、と云つてもあんまり落着いて居つてもいかん。勝利は最後の正念場にあるのであります。
 『せいては事を仕損ずる』『せかねば事が間に合はぬ』と云ふ言葉が昔からありますが、神様の道にある人は『静かに急げ』と云ふ事が、一番で昭和青年の行く道だと思ひます。行ふべき、心得べき事やと思つて居ります。今皆が国難々々と云つて居りますが、之は国福であつて勃興する日本の国運が開け、アジアの日本となり、或は南洋の日本となる点から思へば、大変祝福された年やと私は思つて居ります。
 吾々人間にも一代の中、一度や二度は幸運が向いて来るから、国にも百年に一辺位は幸運が向いて来るのであります。百年に一度、千年に一度と云ふ風に、今国運が向いて来て居るのであります。今頃の妙な主義も皆戦争の為影をひそめ、そして日本の国体を忘れんとして居た国民がそろそろ日本の国の尊い事を知り、日本に神様があると云ふ事を悟りかけたのであります。之が三年も四年もほつといたら、それこそ大変でありまするが、神様の御神徳で、こういふ恵まれた年が来たのだと私は思ひます。
 今此の電燈が消えて暗くなつた様に、成程色々の事は起つて参りましたが国の勃興の秋にあたつて一つとして違はず、筆先通りに何もかもなつて参りました。此秋に於て一層神様の教を腹につめ込んで、そして此難局を一人でしのがれる様に心得て貰ひ度いのであります。愈々大峠と云ふそこで落憺してへたばらない様に、何でも最後の五分間、戦でも最後の五分間にあるのでありますから、たほれない様に、之からは仲々苦しい事が出て来ますが併し苦しい反面には又楽しい事もあるのですから、其考へを以て昭和青年諸子は、此時代に処して貰ひ度い事を希望する次第であります。
(文責小山)
(「昭和青年」昭和七年五月号)
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