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文献名1大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動
文献名2第2章 昭和神聖運動 >第4節 神聖誌(抄)よみ(新仮名遣い)
文献名3肇国皇道の大精神よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考『人類愛善新聞』昭和9年(1934年)10月中旬号から12月中旬号にかけて「昭和神聖会南桑支部発会式に於ける出口王仁三郎氏の講演大要」という題で7回連載された(同年9月13日に南桑支部発会式が行われた)。/『惟神の道』p245「神聖運動について」とほぼ同じ。
タグ データ凡例 データ最終更新日2023-04-20 17:25:27
ページ720 目次メモ
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本文 肇国皇道の大精神
      昭和神聖会統管 出口王仁三郎述
   ウラルの嵐・太平洋の荒波
 今日は『非常時日本』と総ての者が言つて居るが、しかし何が非常時かと問へばそれを明瞭に答へ得る人は極めて少数である。表面から見るとダンスホールや、カフエー、又男か女か性の解らないやうな女学生が沢山に殖えた位なものである。よく考へて見ると日本の非常時はそんな処にあるのではない。今やウラルの嵐は何時日本の本土に向つて吹き付けて来るか知れない迄の危局に直面し、又一方太平洋の荒浪は此大和島根を呑まんとして居る非常時なのである。
 若しわれわれ国民が今日の儘で非常時打開の方法を講じなかつたならば或は外国のやうに窮乏、没落の難局に立つかも知れないのである。
   大聖雄出現を待望する叫び
 然し乍ら我国は肇国以来天津日嗣天皇を主と仰ぎ師と仰ぎ親と仰ぎ奉り、大家族精神を以て今日まで栄えて来た国体であつて、諸外国の如くいろいろの新しい政体ではないのであるが為に一致団結が速いのである。一致団結の力があれば如何なる難関が来ようとも凶を転じて吉となし禍を転じて福とすることが出来るのである。
 故に我国の『非常時』の声は皇運発展の大宣言でもあり、道義的世界統一の提唱でもある。而して又此秋此際、日本の窮状を挽回すべき大聖雄の出現を待望する叫びでもある。天皇陛下の御稜威によつて全人類を愛善の大道に導くところの題目でもあると私は思ふのである。
   身命を賭して非常時を打開
 これに反し外国で謂つて居る処の非常時なるものは、困窮、没落、暗黒の極、手も足も出すことが出来なくなつた処の叫びである。時恰も伊太利にムツソリーニが現はれ独逸にはヒツトラーが現はれ、大勢挽回に勉めて居るが、前にも述ベた通り我国も此儘で行つたならば如何なるか知れないといふやうな気運の中にある。そこで私は本年一月以来東京に上り政治家、其他各要路の人々の意見を叩いて見たが、大抵の人はこの大難局を目前に見乍ら、総てが自己主義であり、事なかれ主義である。所謂スローモーシヨンであり或はノーモーションである。之ではいけないと私は深く感じ、遂に身命を賭しても我皇国の非常時を打開し天津日の大神の御神勅通りに日本の光りを世界各国に輝かさねばならないと固く決心したのである。
   皇民天賦の使命達成を期す
 然るに今日の総ての学者、総ての教育家、総ての政治家等は居睡りどころか皆精神肉体共に麻痺して了ひ棒で突いた位のことでは眼も醒めないで、身体にも応へないのである。これを見れば我国は実に何とも云ひ様のない処の難局に向つて直行しつゝあることを痛感したる余り此処に昭和神聖会を組織し、この大難局打開に邁進することゝなつたのである。
 ついては、本会の主義綱領について簡単なる解釈を試みたいと思ふのである。
     主義
 本会は神聖なる神国日本の大道、皇道に則り、万世一系の聖天子の天業を翼賛し奉り、肇国の精神を遵奉し、皇国の大使命と皇国民天賦の使命達成を期す
 神聖といふ言葉は我日本神国より外には用ふる資格がないのである。我国の憲法にも『天皇は神聖にして冒すべからず』とあり、日本国も又神聖にして冒すべからざる国土である。即ち神聖なる神国日本である。
   皇道は宗教に非ず治教なり
 日本が神国であることは、我国の歴史を溯り研究すれば判る。天之御中主大神を初め天照皇大神が日本の国を豊葦原の瑞穂の中津国と神定めに定め給ひて、極を立て統を垂れ給ひ、皇孫瓊々杵尊をしてこの国土に君臨せしめ給ふた故である。外国には斯ふいふ尊い大君も国土も一ケ国たりともない。それで日本は天立君主国と申すのである。即ち天より君臨された大君が我々の大君でお坐すのである。
 此神国日本の大道、即ち皇道は所謂宗教では無く、すめらぎの道であつて、天皇陛下の御道である。天が下を安国と平らけく安らけく知召すべき御大道である。儒教の五倫五常といふやうなものは極く枝葉のものであつて、皇道とは総てのものに関係のある総ての根本である道といふ意味である。
   我国には現人神があらせらる
 それで『天壌と与に窮りなかるべし』といふ天祖の御神勅によつて我国の大君は万世一系である。外国のやうに禅譲あり、放伐あり、勢威あれば君となり勢威を失へば奴隷となり、家来となり、或は殺されるといふ風な見識のない政体とは違ふのである。
 即ち我国の大君は現人神にてあらせられ、吾々が朝夕に敬ひ奉る活きたる神様である。外国には斯ふいふ尊い活きた神様がないので、キリスト教の必要が起つたり、釈迦の宗教の必要が起るのである。頼る処がないからさういふ死神死仏を引張り出して慰安の道具にして居るだけで其実は泡抹に等しいものである。
 次に「肇国の精神を遵奉し」の意は、肇国の精神とは国を肇め給ふ処の精神である。此肇国の精神といふことは、御肇国天皇、即ち神武天皇が初めて御神代からの神様の系統を継承いて人皇の祖と成らせられた時からの神言である。外国には建国があつても肇国の神定はないのである。
   日本には天皇あつて皇帝なし
 日本国と世界とは丁度相向ひ合ふて蜻蛉が臀呫せるような地形になつて居る。此神武天皇のお言葉にある、『蜻蛉となめせる国』とは日本のみならず五大洲全体のことであるから、勿論皇祖の御意志を継いで此五大洲を安国と平らけく治め給ふ御意志が其御言葉にはつきりと現はれて居るのである。吾々は其御聖慮を奉体して日本の神国臣民たる使命を果すべく茲に昭和神聖会を起し、皇国民天賦の使命を国民に自覚せしめ、日本皇国の真相を日本人に再認識せしめたい為に敢然立上つたのである。
     綱領
 一、皇道の本義に基き祭政一致の確立を期す
 日本国には帝道といふものはない。皇道はあつても帝道はないのである。また天皇はあつても皇帝はない。大日本史を初め六国史、其他の日本歴史を隅から隅まで調べて見ても皇帝と記された処は何処にもないのである。
   我国は天立君主立憲制の国
 詩書などには一、二ケ所「神武帝」「醍醐帝」などといふ言葉が出て居るけれども之は正史ではなく歴史でもなく作詩上の都合で只其中に織込んだ言葉なのである。故に我国には天立君主たる天皇即ちすめらぎのみことがおはしまして、外国の皇帝や王や、その他の主権者とは根底から尊卑の区別が違ふのである。支那の太古には三皇五帝といふものが出来、秦の始皇帝が初めて皇帝と名乗つたのである。然乍ら支那の国は禅譲あり放伐あり、時々姓を変へるが、日本の陛下には苗字といふものはない。天を父とし地を母とせられて居られるからである。宇宙其ものの表現が即ち我国の天津日嗣天皇でおはすのである。それ故に皇帝ではない。皇帝といふものは憲法を以つて権力を定めたものである。立憲君主とは憲法に依つて認めた処の君主である。日本は天立君主立憲制であつて君主が吾々に憲法を賜はつたのであるから、他国の憲法とは天地霄壌の差があることは之に依つても明かである。
   帝国にあらず皇国なり
 それ故に吾々は、帝国議会といふことを、非常に耳障りに思ふのである。之は皇国議会でなければならない。又帝国憲法は皇国憲法でなければならないと思ふのである。然乍ら明治維新の際は兵馬倥偬の際でもあり、あまり皇道に熟達した学者がなかつた為に外国流に日本帝国と謂ひ、或は帝国軍人と謂ひ帝国議会と謂ひ帝国憲法と謂ふやうになつたのである。けれども今日は既う之を改むべき時が来て居ることを私は信ずるのである。東郷元帥は皇国と言つて居られる。彼の日本海大海戦の際『皇国の興廃此一戦に在り』と云はれ、決して帝国とは言つて居られないのである。東郷さんは其点に於いては非常に日本の惟神の道に通じた方だと、私は其時に感じて居つたのである。其時代に皇国といふた学者は尠かつた。只東郷元帥の其言葉に現はれただけである。
   外国魂がわが日本に浸潤す
 皇道の本義は祭政一致にあるのである。祭政といふことは、私が十年事件の際、裁判所に呼び出された時に司法官は『大本は祭政一致といふが怪しからぬ』と斯ふ言つたので『何故』かと問ふと『祭といふのは宗教家の仕事で政治は天皇陛下の御仕事ではないか、祭の字を上にやつて天皇陛下の政治を下に置くといふ不埓があるか』と斯んな解釈をしてゐるのである。然乍ら明治三年正月三日明治天皇のお下しになつた宣布大教の詔に
『祭政一致、億兆同心、治教上ニ明カニ、風俗下ニ美ハシ。而シテ中世以降、時ニ汚隆アリ、道ニ顕晦有リ……云々』
と示され、又
『因テ新ニ宣教使ヲ命シ天下ニ布教ス……』
とある。人民の罪を裁くべき役人が之を知らないとは、実に外国魂が日本に浸潤して、日本皇国の教といふものが殆んどすたれ切つて居る処の、此状況を見て私はあまりにも当局の無智蒙昧なるに呆れたのである。要するに祭政一致と政教一致を混同した意見である。
   役所にも学校にも大神様を
 宮中には八神殿が斎つてあり、陛下が政治をなさるには必ず八神殿のお祭祀をして、それから総理大臣其他にすべてのことを仰せられるのが祭政一致なのである。別に宗教のような吝嗇臭いものではないのである。それで、祭政一致の制によつて到る処の諸官衙にも神殿を作り、天照皇大神を敬斎し、そうして大神様の御心の儘に文武百般の政治に奉仕せなければならない。之が即ち祭政一致の政治なのである。学校にも役所にも神様を斎つて、すべてのことを神様の御心の儘に行ふ。之を祭政一致の政治といふのである。宣布大教の詔はこう云ふ御聖旨であると私は拝察するのである。之を忘れては国民として済まないのである。愈々この祭政一致の御詔勅を実現すべき時機が来たことを深く感ずる次第である。
   世界を導く日本の大使命
 一、天祖の神勅並に聖詔を奉戴し、神国日本の大使命遂行を期す
 天祖の御神勅とは『豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、これ吾が子孫の王とますべき地なり、爾皇孫就て治らせ、さきくませ、宝祚の隆えまさんこと、天壌と与に窮りなかるべし』と仰せられた、あの御神勅である。延喜式の祝詞にも『狭き国は広く峻しき国は平けく遠き国は八十綱懸けて引寄する事の如く皇孫尊の御前に仕へ奉れ』云々とある。此天祖の御神勅、並びに延喜式の祝詞に言はれて居る其御心を心として、勇壮なる日本国民は今日迄進んで来たものである。それ故に一回も外国の侮辱を受けたこともなく、辺境を侵されたこともない処の万邦無比の尊い神国である。
 故に、日本皇国の使命も又大きいのであつて、此豊葦原の瑞穂国即ち地球全体に、日本が率先して総ての軌範を示し、御神慮たる人類愛善の大道によつて之を護り、導かなければならないのである。
   この非常時打開の鍵は何か
 然るに現代は天祖の御神勅、皇国の大道を忘れたが為に、政治も経済も産業も何も彼も行き詰り、悲惨事が到る処に突発するやうになつたのである。畏くも天祖の御神勅を遵奉して、日本国の大使命が解つたならば、日本は安全無事に明日からでも行ける処の尊い国なのである。それ故に、わが神聖会は神国日本の大使命遂行を期して起つたのである。
 一、万邦無比の国体を闡明し、皇道経済、皇道外交の確立を期す
 日本の国は前にも申した通り、万邦に其比を見ざる処の結構な尊い国である。故に又国体に於ても無比であり、且つ真に国体と言ひ得る国体を持つてゐるのは日本だけである。一天万乗の大君様が厳然と現はれまして、一つに治められる国である。
   皇国民は皇国の手足・胴体
 天皇陛下は人間の身体にたとへたならば頭部であり、我々は手足、胴体となつて働くべきもので、之が所謂国の身体即ち御国体である。外国には国体といふものがない。全部政体といふものを作つて居るのである。立憲政体、共和政体、みな持寄合ひ、拵ヘ合ふのであつて、主義の凝塊であり、別に一つの体をなして居らぬのである。此日本の尊い国体を闡明し、国民一般に解らしめ且つ海外諸国の民衆にも之を悟らしめて其上に皇道経済の実行、皇道外交の確立をなさねばならないのである。
 茲にこの「皇道経済」といふことに就いて少しく申上るが、日本に通貨が出来たのは元明天皇の和銅元年で、その時銀と銅とで和同開珍と云ふ通貨を鋳つたので、米一石の価銀銭一文なるに至る云々と、我が歴史に出てゐる。故に旅する時は一石の米を用意して行くよりも銀銭一文を持つて行つたならば到る処で一石の米と換へることが出来る。即ち軽いものを以つて重いものと交換出来るから通貨の価値があつたのである。
   国土は神様から御引継ぎ
 処が今日は、少し贅沢な果物、メロンとか、少し変つた西洋から来たものは目方をかけて売るが、それが銅貨の十倍位の価である。つまり一貫目の果物を買ふには十貫目の銅貨が要る。銀貨にしてもまだ銀貨のほうが重たい位である。斯ふいふことでは何処に通貨の値打があるか判らなくなる。それから此「皇道経済」といふものは、総て此世界──普天の下、率土の浜に到るまで皇土ならざるなし──で天皇陛下の御国土である。即ち神様からお引継になつた処の国土である。
 明治維新までは諸大名が、土地を自由に私有して乱暴なことをやつてゐた。その結果が明治維新となつて土地を陛下に奉還して了つた。そうすれば残らず天津日嗣天皇の御物である。故に人民の所有権といふものは外国にはあつても日本にはなかつたのである。
   土地拝借権と思へばよい
 然し外国流に、又土地の所有権といふものが明治七、八年頃から出来たのである。然乍ら之は元来皆神様の土地であり陛下の土地である。それで今陛下からお借りして居ると思つたらいいのである。所有権ではなしに拝借権と思つて居つたら宜いのである。自分の地面だと思つたらあてが違ふ。
 今日の経済は金銀為本の経済で、総てが金銀を以つて代用する経済であるが、之を土地為本の経済にすれば、日本全体は、拝借権は別として、全部天皇陛下の御物である。そこで天皇陛下の御心の儘に必要に応じて御稜威紙幣をお出しになれば、日本の人民は喜んでこれを迎へるものと私は考へて居るのである。
 現在日本の正貨は四億に足るか足らぬかであるが、公債其他の発行高を合すれば実に莫大なものである。
   土地為本及び御稜威為本
 若し之が外国であつたならば、公債を二十億も発行して正貨が四億しかないといふことになれば、忽ちその価値が正貨に準じて下つて来るのである。即ち二十億が四億の価値しかなくなるのであるが、日本の国は一天万乗の大君の御稜威が輝いてゐる為に、今の紙幣が本当の不換紙幣と同じやうなものであつても価値に変動がない。今の兌換紙幣を日本銀行に持つて行つて金貨に取換ようとしても、換えて呉れない。それでも天皇陛下がましますが故に国民全体が安心してゐるのである。
 それでもう一歩を進めて、金銀為本を廃めて、土地為本の制度にするが最も平易にして簡単で効力の多い御稜威為本としたならば、必要な金は何程でも出すことで出来る。勿論無茶苦茶に出してはいけないが、先づ日本を徹底的に建直すに於ては、一千億円の金が要ると思ふのである。
   総て免税し汽車も無料に
 此一千億円の紙幣を陛下の御稜威によつて御発行になつたならば、農民も、商工業者も、その他総ての苦しんでゐる人達を救ふことが出来るのである。つまり、その紙幣によつて日本国がすつくりと建直るまでは五年でも六年でも総ての免税をする。汽車も無料で乗らしてやる、煙草も勝手に作つて喫め、酒も税金を取らぬといふことにする。そうしたならば日本の国は数年ならずして本当の元の天国浄土に立返ることが出来得るのである。之は経済機構の都合で何でもない仕事である。
 今更云ふ迄もなく天津日嗣天皇は我が日本国の同胞のみならず世界万民を安らけく平らけく治め給ふ御天職を惟神に具有し給ふのである。それ故に先づ日本からそれをお始めになるように吾々国民は力を合はして請願したいといふ考を持つて居るのである。
   主要物価の公定と外国貿易
 外国貿易は如何するのかといろいろ尋ねる人々があるが、今でも外国とは物々交換をやつて居るやうなものである。要するに物と物とを交換すればよいのである。そうして米を主として物価を公定すれば百姓はよくなり、従つて商工業者も潤ひ、蘇つて来るのである。また皇道経済になれば一日として休みなく国家の為に働いて居る処の軍人は、一兵卒に至るまで相当な月給を渡すことが出来るのである。そうして一人たりとも苦しむものはなく、富士山の頂上も太平洋の底も、みな同じ慈雨に潤ふことが出来るのである。三井や鴻池を叩き潰して、下層階級の苦しみを救ひ一様に引きならすといふやうな、そんな無理なことをしなくとも、富士山は富士山のまま太平洋は太平洋のままにしておいて、兎に角一切に恵みの雨を降らし、国民が其恩沢に浴したならば、初めて本当の地上天国になるのである。之はやり方一つ、政治機構一つで出来るのである。
   物資はありあまつてゐる
 日本の国は今や全く行詰つてゐるのは事実だ。或処では学校の教員の給金も払へなかつたり、小学校の生徒は弁当を持たずに学校に来る。二、三日食はない生徒もある。着物も着られないといふやうな有様であるが、東京あたりに行つて見ると、空家が何程でもある。着物も会社の倉庫には沢山積んである。米もない処にはないがある処には日本国民が全部食うても余るだけの米がかびてゐる。斯様に衣食住は有余つて居るのである。之は政治機構が悪いから斯ういふことになつて居るのであつて、実際から言へば日本に物資が少くて国民が生活に悩んでゐるのではなくて、政治のやり方、運用が悪いからである。如何しても、之は根本的に変へなければならないと思ふのである。
   何処までも自主的外交たれ
 皇道経済に就いてはあまり突飛な話で合点の行かない人があるかも知れぬが、然し陛下の御稜威によつたならば、どんなことでも出来るといふことは私を確信して居るのである。
 外交も従来の様に弱腰では全然駄目である。日本は世界の親国であり、神様の御子孫がお降りになつて居る処の皇国であるから、五、五、三といふような区別を立てられて日本が二等国の扱ひをされて我慢をして居るやうなそんな腰抜けの国ではないのである。外交といふものは日本から通告を出して、ああせい、斯ふせいと各国に示すのが日本本来の使命である。それにワシントン会議でも五、五、三などといふ──丁度、英米は国が大きく日本は小さい、日本は子供だ、俺は大人だから五本の指が要るが日本は子供だから三本指で宜いではないか、といふのと同様で斯ふいう道理が何処にあるか、大人でも子供でも矢張り五本の指が必要である。
   言葉から見ても日本人が第一
 しかるにそういう処へ行つて、はいはいと言つて調印して来た偉いお方が日本には沢山ある。我々は斯くの如き国辱的な扱ひを払ひ退けて、何処迄も自主的外交を以て行かなければならない。何時までも追随外交で外国の言ふた通りに、何を言はれても随いて行くやうなことでは断じてならないのだ。
 言葉から言つても日本人は七十五音を正確に発するが、英語とか、其他の外国語は大抵二十四音である。それも拗音とか促音とかの捻ったり曲つたり行詰つたりした音許りである。能く考ヘて見るのに高等動物程言葉数が多いのである。牛や馬は『モー』『メー』『ヒンヒン』だけで猫は『ニヤンニヤン』雀は『チユーチユー』烏は『カーカー』といふように下等動物程言葉数が少くなつて来る。西洋人は之から見たならば日本人の七十五声に対して二十四声だから三分の一の力しかない。丁度日本人と獣の中間位にしか見られないのである。
   日本人か外国人か判らない
 斯ういふ国のいふことを喜んで聴いて居る腰抜けは、も早や日本人ではなくして外国の家来なのである、奴隷である。
 東京あたりに行つて見ても女が百人通る中で日本の風をして通る者はない。偶々通つたなと思つて見ると下層労働者の妻君位なものであつて、大抵の女は、男か女か判らぬような風をして居る。之が皇国日本の都かと思へば実に憤慨に堪えなくなつて来る。そうして其風俗が変つて居るだけ矢張り精神も変つて居る。昔は大和民族は民と雖も皆刀を一本差して居つた。武士は二本差して居つたのである。其時には道義心も固く、廉恥心も強かつた。それが外国に嗾かされて丸腰になつてからは文官を初め大抵の者は自分だけよければ宜いといふような外国魂になつて了つたのである。
   死神死仏は何にもならぬ
 其証拠には、皇国軍人と警察官とは劔を有つて居る故に、日本国民が堕落した中にも其割に堕落してゐない。それで私は帯劔は必要であると思つて居る。
 一、皇道を国教と信奉し、国民教育、指導精神の確立を期す
 皇道は即ち国の教である。天津日嗣天皇が世界を安国と治め給ふ治教である。既成宗教のやうなけちなものとは違ふ。宗教といふものは数千年前に人心を収攬すべき必要があつて起つた便宜上の教なのである。釈迦もキリストも二千年、三千年後にこれだけ立派な寺や教会が沢山出来、坊主や宣教師が沢山に出来るとは思はなかつたであらう。然乍ら死んだ虎よりも生きた鼠のほうが余程宜い、小さな鼠でも死んだ虎なら其皮を引張つて行く。釈迦でもキリストでも過去の、死んだ虎である、死神死仏である。
   天皇陛下は現人神にまします
 吾等の天皇陛下は天照皇大神様直々の生きた本当の神様である。又何千年前の国民に適した宗教は、所謂厳寒時代に着る綿入れを暑い夏に『着よ』といふのと同じことである。又或る宗教はアダムとイヴが神様の禁断の果実を食つたが為に神の規則に背いて何千万年の末に至る迄其子孫たる人民が地獄の火の中に突込まれる。それが可哀さうだから之を助ける為に神が独り子を十字架にかけて、其キリストを通じて天に願ふ者は助けてやるといふ事になつたのだといふ。自分の可愛いい子を殺して置いてそれに願つたら助けてやらうなどゝそんな馬鹿なことが何処にあらうか。
   皇国民覚醒の秋は来れり
 何千万年前の先祖が何んなことをしたか知らないが、今日の人間の作つた不完全な法律でさえも親が泥棒したからと言つて子供迄罰するといふことはしないのである。まして、至仁至愛公平無私な神様がそんな不公平な訳の解らないことをなさる筈がない。そんな神様があつたら此宇宙間より籍を除いて了ふても差支えがない。外教其他の宗教で地獄極楽説に脅迫され立派な髯を生やした紳士が涙声になつて感謝したり謝罪まつて居るのは、我等の先祖が借りもしないのに、金を貸したからと攻められて、又改めて証文を書きそれに利子を附けて取られるのと同じことである。
 斯ふいふ矛盾はもう皇国日本からは取去らなければならない時機に到達したことを諸君は御覚悟になつて然るべきだと思ふ。
   国防の充実と農工商の隆昌
 一、国防の充実と農工商の隆昌を図り、国本の基礎確立を期す
 国防は元々国をとる為や人民を殺戮する為の国防ではないのだ。我国は我国としての資格を保ち、且つ天定の大使命により世界に号令する処の威容を保持する為に必要なものである。如何しても国防は充実して置かねば今日の処まだ世界を導く訳には行かないのである。御即位式には三種の神器即ち璽鏡劔の三つがなければならない。璽や鏡ばかりでは完全でない。如何しても劔といふものが最後になければならない。此国防といふものは所謂この神劔である。
 又農工商は今日の状態の儘で置いたならばもう破滅する外に道はないのである。此農工商の隆昌を図るといふことは、先づ第一に皇道経済の実行を先にし、それからぼつぼつ教育なり或は総てのものを変へて行かねばならないのであるが、今日のやうに窮乏して了つては、一日も早く皇道経済の実行に依つて農工商の復活を図るより外に、断じて道はないのである。
   万民救済至仁至愛の御心
 一、神聖皇道を宣布発揚し、人類愛善の実践を期す
 神聖なる日本の皇道を普く中外に宣布し発揚すべき秋は今である。そうして天津日嗣天皇の御政治は、征伐に非ず、侵略にあらず、また併呑に非ず、万民悉くを赤子として愛し給ふ処の御精神の発露であり、御経綸である。之が所謂人類愛善の実践である。
(昭和神聖会南桑支部発会式に於ける出口統管の講演中より =文責在記者)
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