文献名1大本史料集成 3 >第2部 第二次事件関係
文献名2第2章 裁判所資料 >第2節 地裁公判速記録(出口王仁三郎)よみ(新仮名遣い)
文献名3地裁公判速記録(2)よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
タグセーデンボルグ(スエデンボルグ、スウェーデンボルグ)
データ凡例長いので12ページに分割した。行頭●記号で始まる小見出しは底本にはない(うろーの狭依彦氏作成)。底本は漢字と片仮名だが、読みづらいので片仮名を平仮名に直した。
データ最終更新日2022-05-14 08:28:05
ページ362
目次メモ
OBC B195503c220202
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本文
●裁判進行 高橋警部の取り調べ
午後一時二十分開廷
清瀬弁護人 ちよつと被告を調べる前に私から願ひたい。
(此の時雑誌を裁判所に提出)
此の調べの劈頭に被告より高橋警部の御調べに際しては、真実を述べ能はざりし事情を裁判長に対して、詳細述べたのでありまするが、私は能く警察の調べのことは此の事件のみならず他の事件に於ても聴きますが、近時矢張り同様のことがあるものである。
十年以前にはそれはどうも被告が言ふのだと思つて居りましたが、段々此の頃の世相から考へて、警察の調べの真相は被告の訴へ通りだらうと思ひ出したのであります。
此の雑誌の四十四頁に『大本事件日記』と云ふものがあります。京都府特高課長杭迫軍治と云ふ人の執筆に掛りますが、其の末尾即ち五十三頁──一番終ひです、そこを御覧下さると、
「本稿を草するに付ては高橋警部、倉元、小川両警部補に負ふ所大なり」
そこでどう云ふことをしたかと言ひますると、頁の上段を見ますると、一月二十五日の記事には、
「彼等は何れも最初審理の節は宗教乃至精神的問題に仮托して、頑強に事実を否定、否認し続けたるが、事犯の全貌が証拠品調査、参考人の予備的取調の結果遂に暴露せるに至り、一切を自供するに至つた」
其の次です、
「三月三日に高橋警部は熱誠遂に元兇王仁を降す」
と書いてあります、まるが付いて居りますが、「熱誠」の言葉は麗しい言葉でありますけれども、事件の半面には、余りにも高橋警部が職務に熱誠の結果遂に「元兇王仁を降す」と云ふ文字を書いて居りますが、其の意にあらずして、前項の供述を取得したるものであることは紙背に明瞭であります。
此の記録を見ますると二月三日には調書がなくして、二月八日からに十二日迄十四日連続の調書があります。
之に依りますると、此の記録も随聴随録の記録ではなく、うんと被告を抑へて、恰も右へ曲つてるものを或程度迄は抑へないと真直ぐになりませぬが、抑へ過ぎると左になるやうに、是も曲り過ぎた記録ではあるまいか。
本日の御調べに反抗して、高橋のしたことを訴へましたが、私聴いて惻々として感ずる所があつたのであります。
後に証人として或は高橋警部を喚ぶやうなことが出るかも知れませぬが、此の「熱誠の結果王仁を降す」と云ふ記事を御覧に供して置くと、段々判ると思ひます。
是は証拠として別に出しますが、単に御覧下されば、今日の所は宜しうございます。
前田弁護人 午前に御許可を得ましたのですが、本日他の被告共に対しまして、自分に関する限りに於てのノートを取らしめたいと思ふのであります。それで此処にノートブツクと鉛筆を備付けて置きました。
裁判長の方の承諾を御与へを願ひたいと思ひます。
尤も之には……。
裁判長 此処に置いて行く訳ですね。
前田弁護人 無論一冊のノートと鉛筆を渡しますが、各自がそれに署名して置きまして、退廷の際に此処に置いて行くと、斯う云ふことにして置きたいと思ひます。
田代弁護人 尚前田君の仰しやつたことに附加しますが、被告にですな、其のノートは他の被告が言うてることに違つて居ると云ふやうなこととか、是は何れ自分が言はなくちやならぬと思ふことを忘れ勝ちでありますから、それをば何日の誰のと云ふやうに「メモ」を取つて置くと云ふやうにすれば、言ひそびれてしまふとか或は忘れてしまつたと云ふやうなことがないやうになる。
其の御趣旨の下にノートブツクを御許しを願つたのだと云ふことを仰しやつて戴きたい。相被告の方は何の為のノートブツクか御判りにならぬと思ひます。
裁判長 全部起つて──。
(各被告人、全部起立)
前田弁護人から御話がありましたが、王仁三郎の供述なり、其の他のことに付て裁判長に於てはそれを引用することがあるかも知れませぬから、其の時分には自分は斯う云ふ点は違ふ、あの点は……と云ふやうなことの考があつたらそれは後から言ひ落したと云ふことのないやうに十分に覚えて書いて置いて貰ひたい。
必ず書かなければならぬことはありませぬよ。それで書いたものは此処に置いて退廷する。
判つたな、ぢや座つて……。
(各被告着席)
必ず書いて置かなけひはならぬのぢやないよ。
(此の時前田弁護人各被告にノートを渡す)
●歴史 十年事件、保釈中の活動
それぢや王仁三郎の訊問をします、其の儘……被告人は大正十年の二月、不敬並に新聞紙法違反罪に依つて起訴せられましたか。
答 はい。
問 右事件の犯罪事実の内容は此の通りですか。記録の判決抄本、大阪控訴院の判決。是が出て居りますが是は見せて貰つたでせう。
(此の時記録を示す)
答 其の時は蒙古へ行つて居りましたですけれども、大抵は判つて居ります。それは斯うやつたろと聴いて居ります。
問 それで王仁三郎の此の不敬事件が係属中も、尚大本の為に活動して居つたやうであるが、是はどう云ふ訳だ。
答 何をですか。
問 前の十年事件が係属中に尚色々の活動をして居つたやうなことですが。
答 活動……私は決して是は──。
問 それはどう云ふ訳であるか。
答 其の訳は、私は決して自分では、さう云ふ不都合な事はないと私は信じて居つた。
それで是は早く之を──免罪を天下に知らす為には、一刻も早く、一人にでも余計に此の教義を知らすが宜いと云ふ信念の下に、布教致しましたです。
悪いと思ひましたら、若しも不都合なことだと思うて居りましたら……私は神様から色々のことを聴いて居りまして、決して罪ぢやないと思うて居りました。我々も日本の臣民だから悪いと思へば何もしやしまへぬ。其の時は私は悪いとは思はなかつた。残念だと思つて居りました。
問 悪いとは思はぬからそれをやつて居つたと云ふ訳ですな。
答 ……それで人が来れば布教して居つた。
それから、神懸りになりまして、其の間布教やなしに霊界物語を述べて居つた訳です。
問 其の時に大本改良意見書──大本は斯う云ふやうに改良すると云ふ誓ひの書付見たいのが出て居るやうだな。
答 はあ。
問 はあぢやない、自分で書いたのか。
答 書いたのかも知れませぬ、書いたやうにも思ひますし……ちよつと見せて下ざい。
(記録を示す)
問 それの一番終ひの所だ。
答 是は書いたのです。
問 それに依るとどうぢやな、悪いことをしたと云ふやうになつて居りやせぬか。
答 是はもう私は言うたつて迚もあきまへぬから、「悪いことをしたと言ふて謝つて、早く予審をして貰つて、予審ぢやない、保釈して貰ひたいと思ひまして」予審判事のお気に入るやうに書いたのです。
問 さうすると自分の意思に反することを書いた訳ですね。
答 意思にあることもありますし、反したこともあります、けれども良いものにしたいことはしたい、矢張り改良して良いものにしたい、幾分か不都合やと云ふ組織の点に於ても、信仰の点に於ても幾分か人から見て悪いと思へる所は直したいと云ふ考はありました。それからぼつぼつ改良した積りで居ります。
問 此の書いた物を見ると、是等は純然たる宗教団体として盛り立てて行くと云ふやうなことを書いて居りますね。
答 それはさうです。
問 それはさうぢや……。
答 宗教としてやつて行くと云ふことは、私の意思ですから──。
問 それぢや宗教でなかつたのか。
答 いや本当の宗教-公認教にする積りだつた。宗教としてやつて行くと云ふことの為に、其の事件が済むと直ぐ平渡信と運動をやつたのです。
問 立替立直の趣旨はどうも余り穏かでないから、是はやるべき……。
答 詰り私はそんな国体の変革と云ふやうな立替ぢやない、総ての今日のやり方、一切の経済の統制やとか云ふことの意味に於ける立替立直ですから、あゝ云ふことの意味を言うとるので、それを何だかへんな所に持つて行かれてしまうた。
さうせぬと云ふと、今日の事件が起らぬ。それで、さう云ふ所に持つて行かれたのです。私は決してさう云ふことは夢にも思うて居りまへぬ。証拠には大本信徒が朝晩神前に奏上して居りまする所の善言美詞と云ふ祝詞を見て貰ひましたらはつきり判ります。
是は高橋警部の時にも、予審の時にも、何れの時にも申しませぬ、何で申さぬかと云ふと、宜いことばかりが書いてあります。大本の結構なことばかりが──国家に対する大事なことが書いてありますが、是も亦今迄のやうに、「胡麻化すとか、或は保護色やとか、表看板や」とか言はれてけちを付けられては適はぬから、其のことはちよつとも言はぬで、それが利益のあるものやと言うたら湮滅させられてしまうたら大変だと思うて、此の公判迄にそれは言はぬやうにしてのけて置いたのです。
私の利益になるやうなことは言はぬやうに……予審でも言うて居りませぬ。
問 王仁三郎に対する此の事件の三十二回の問答に依ると、「出る時は誓約書通りに改良する意見であつたが、出て見ると信者共がどうも筆先を信用して居る。其の為に我々の主張は正当なことと考へて居る。又自分も国常立尊は古事記にも書いてあるし、本当とも思はれて居る。それで改良はしなかつたのだ」と云ふことをば三十二回の問答に述べて居るが、是はどうなのだ、まるきり悪いことはして居らぬ──訂正する必要はなかつたと思うて居つたのか。
答 それはね、私は大して是は悪いと云ふことは一つも思うて居りまへぬ。
宗教として之をやりたい、本当の宗教にしたい、宗教類似ぢやなしに──斯う云ふことを考へて居りましたし、又私の言うたことよりも、少し向ふでは加減して書いてありますから、私が言うたこととはちよつと違うて居る所があります。
ま一遍見せて……もう一遍聴かして下さい。
問 能く聴いて居なくちやいけないよ、「自分は出る時に、予審判事に対して提出せる改正意見の通りにする積りで居たが、帰つて信者に会つて見れば、矢張り筆先と云ふものは神様のものであると信用して居る。」
答 さうです。
問 「又色々な関係で自分の是迄の主張が国常立尊の問題とか、素盞嗚尊の問題と云ふやうなことは正常なことであると思つて居る」と云ふやうなことを言つてるやうだな、さう予審記録に書いてあるな。
答 ちよつと頭が判らなくなつちやつた、ちよつと待つて下さい。
もう一遍そこの所をはつきりして貰はないと工台が悪いのです。
実は予審でね、予審判事さんの前で、筆先は決して悪いものとは思つて居らぬ、絶対信用して居つた、それを悪いと仰しやるし、又筆先が問題になりますので、又筆先が問題になつたやうなことの為に、私がこんな所に入らなけひはならぬのだから、こんな所は改良しなければならぬ。こんな所は──問題になるやうな所は焼いてしまふか、潰してしまうたら宜いと思つてほかさせなければならぬと云ふ信念を有つて居りました。
問 それは前の問題だね。
答 前の事件の時の予審判事の前で言うたことは、全部焼く積りはなかつた、悪い所だけほかす積りだつたと云ふ考であつたが、予審判事さんはそれを全部ほかすと云ふ意味に取られたが、私は皆はようほかさぬと思つて居つたのです。
処が戻つて来たら信者が、「予審判事の前で焼くとかと云ふやうなことを言つた」と云ふので、私に迫つて仕様がない。そこで、私は、「済まぬが其の時はさう云ふやうに言はなければならなかつたのだからこらへて呉れ」と謝つて居つた。
其の時分、予審判事さんの前で、仕様がないからさう云ふやうに言ひました。仮令九牛の一毛でも筆先のいかぬことがあるのに、其の筆先を残すと云ふことは言へませぬがな……。
問 成る程。
答 それで、私は、「止めます」と言ふたけれども、肚の底では矢張り止めたうなかつた。
●歴史 十年事件中の大本の活動
問 それからね、大正十年の不敬事件当時の皇道大本の状況はどう云ふ風でした。
答 事件中ですか。
問 事件中。
答 入つて居つた当時のことは知りまへぬが、人に聞いた位です。
事件当時は江木博士やとか、あゝ云ふ人が弁護して呉れて居て、何かと用がありました。
私は其の時には病気をしまして、十年から寝て居りまして、さうして霊が懸つて来て、筆先を……筆先ぢやない霊界物語と云ふもののを書いた。
十月頃からそれから毎日寝て居つて書いたのです……書いて呉れたのです。
十年、十一年、十二年頃迄は殆ど霊界物語ばかりである。
問 自分としては……。
答 喋つて居つたのを人が書いて居つたのです。
問 口述要旨は後から訊きます。
大本の状況は──。
答 其の時の状況と云ふものは、余り宣伝にも行つてるものがありませぬ。唯何とか云ふ……。
問 積極的の活動を止めて居つたのですね。
答 さうです、唯二人程宣伝をして居つた。
満州へ行つたり、他所へ行つたりして、内地では八方塞がりで──
問 信者は減つたか。
答 減つて居りませぬ、それは殖えて居りました。それは何故かと云ふと、私が掴へられた時には百二十四であつた支部が、帰つた時は百五十四と、三十殖えて居つた。
何故殖えたと云ふと、大本と云ふものはあの事件が出たものですから、大島とか、琉球とか、朝鮮とか、満州とか端々のさう云ふ所の人が、今迄知らなんで居つた人達が、大本事件があつたので初めて知つた。さうして一度見て来てやらうかと言うて来た人が来て信者になつた。
問 予審の三十二回の訊問調書に於て、「一部の主だつた者が脱退して信者も半減して居る」と云ふことを言つてるが、是はどうだ。
答 向ふがさう言うて聴かしまへぬもの……。
問 予審ですよ。
答 え、さう言やはるから仕様がありまへぬ、減つて居りまへぬ。
問 減つて居らぬと云ふことは宜しい。
答 減つた人がある代りに殖えて居ります。
●歴史 開窟奉賛祭
問 被告人王仁三郎は右の不敬事件に付て、昭和二年の五月十七日大審院に於て同年の勅令第十一号大赦令に依つて免訴の判決を受けましたね。
答 はあ。
問 昭和二年の五月二十七日開窟奉賛祭を行ひましたか。
答 はい。
問 其の際の模様はどうでした。
答 祭の模様は唯斯う云ふ事件が起つて、さうして大本はまるで真つくらがりになつて居つたが、愈々夜が明けた。それの御礼の御祭をしたのです。
其の時に綾部の人やら大分祝ひに来て呉れました、信者や何かで千人位居つたかと思ひます。
問 綾部の弥勒殿でやつた、千人程集つてやつた。
答 信者やら町の人やらが集つて……。
問 さうして祝詞を奏上したと云ふ訳だね。
答 さうです、千人でしたか、千五百人でしたかはつきり覚えて居りまへぬが。
問 『真如能光』に祝詞が出て居るね。
あれは見せて貰はぬでも宜いか。
答 祝詞だから大抵悪いことはないと思ひます。
湯川先生が書いたのです。
問 証第四千二百十五号の昭和二年六月五日発行の『真如能光』の第七十一頁、此処に出て居る訳だね。
是へ見せて貰はぬでも宜いでせう。
答 へ、祝詞はもう大抵判つて居ります。
問 それからちよつと言うて置くが、同祭の目的はどう云ふ目的なんだ、奉賛祭を催した目的は──。
答 目的は祝の目的です。御礼の目的です。我々が喜んだ喜びを表する御祭です。
問 処が決定には、予審の決定に依ると、奉賛祭と云ふのは、「開窟奉賛祭と云ふものは、役員、信者等に対して、右の事件は大本に反対する者の策動に起因したるものと信ぜしめ、事件の為に減じた信者を本に帰らして、信者の結束の為にやつたものである」と云ふことになつて居るが。
答 それは御書きになつたのでしようがあらへぬ。
「判を捺さなんだら、お前は嘘を言ふのか、三年も四年も是から掛つたらどうする、早う年寄りは弱つて居るからいなしてやらなければ可哀相だ、早ういなしてやらなければならぬのに」と、多勢の者に言はれゝば仕様がない。
私はそんなことは申しまへぬ、そんな阿呆なこと。
●歴史 霊界物語の発行
問 ちよつと聴いて居なさい。
大正十年の十月三十日から昭和九年の十二月三十日迄の間に、霊界物語八十一巻を発行しましたね。
答 はい。
問 是等の物は、皆御前に見せたことにして宜いでせうね。
答 そんなものは見ぬでも宜い。判つて居りますから──予審でなそぼでも見せて貰ひました。
問 霊界物語と云ふのは、被告人が口述をして、口で述べて、外山豊二、加藤新子、桜井重雄、谷口清治、高木鉄雄等に筆記せしめたものを原稿として編纂したものですか。
答 はい。
問 それから霊界物語発行の目的は、どう云ふ目的であつたのか。
答 それは大本の精神を世界に知らす為に、又一方では、小説的に娯楽の為にもやつたのです。
私は体が悪くてえらいものだから、神様に楽しみの為に作つて貰つたりしたものだ。だから、霊界物語は、病人の──うんうんと言つてる人の前で読むと病気が癒ると云ふ。さう云ふことも書いてあります。夢の所も書いてあります。
私が小説的の物を作つたのは其の時が初めてです。私は文章は余り好う作らぬ方です。
皆霊が懸らなかつたら作れない。
問 是はね、教祖ナカの書いた筆先の補充説明の趣旨のやうなものぢやないのですか。
答 それもあります、其の所もあります、それから今迄私の書いて来た裏の筆先……神諭の意味の所もあります。
問 補充の意味か。
答 さう云ふ所もあります。
問 さうか。
答 高橋はこないに言ひました。「そこらの本を剽窃して書いて居る」のだと──私は「はいはい」と言つて居りました。
講談倶楽部式の所もありますと言うて置いたけれども、私は講談倶楽部からも採つて居やしまへぬ。
唯二頁か、三頁、四頁位は是は参考としてセーデンボルグのそれを少し出した所があります。神様の意思に合うて居る所だから出したけれども、それより外にちよつともそんな剽窃したりした所はありませぬ。
問 それだけは採つた。さう云ふ種本を採つた所もあると言ふのだね。
答 種本はない、それだけですわ。セーデンボルグだけですわ、「天国と地獄」の天国の所をちよつと……。
問 後はお前さんの思ひ付き、感想か。
答 口から出て来るのです。
問 王仁三郎の知つて居る所、感想、其の時の思ひ付を書いたのか。
答 感想ばかりぢやありまへぬ。其の時にちよつと感想と云ふか何か知りまへぬが……。
問 ……知つてること。
答 何時も仰向けに寝て居ると次から次へ出て来るのですわ、糸を繰るやうに駸々として纏つて出て来る。それを喋るだけです。
それからね、六十五巻迄はさうして喋つた。
それから、六十六巻から七十二巻迄は、是は蒙古へ行きまして、蒙古のあたりのことを見て松村や何かと……松村が聴きまして私に話をして呉れて、それ等をあつちやこつちやを何しまして拵へたので、是は本当は六十六巻から七十二巻迄は現代の小説見たいな所がある。
問 ……松村が向ふへ行つて書いたのか。
答 私と二人で拵へた。向ふで拵へた。それをこちらに来て書直した。
何故かと云ふと向ふで書いたのは取られてしまひましたから、パインタラで取られてしまうた。
問 書いてあることは、現界のことも書いてあるのだな。
答 それは蒙古あたりの神界のことや、現界のことやら色々のことが書いてあります。
印度のことや、或は満洲のこと、シベリヤのことあたりが書いてあります。シベリヤとは書いてありませぬが……。
問 霊界のことも書いてあるのだな。
答 さうです、それは皆支那人のワンゲンキと云ふ者が通訳で随いて居りまして、支那の小説、蒙古の小説を訳して聴かして呉れた。それが本になつて出来て居る。
其の通りぢやありませぬ。其の通り写したら剽窃になりますから──。
答 霊界のことに託けて、現界のことを書いたのぢやあるまいな。
問 それはありませぬとも。
殊更判りにくい霊界のことを現界に託けることはあつても、現界のことを霊界に託けたら、尚判らないやうになつてしまふ。
問 宜し宜し。
答 それで高橋さんが言ふのも、予審判事さんの仰しやるのもさう仰しやるけれども、それは私は逆様やと思ひます。
それは何か故意に、私を悪い者にしようと云ふ考がなかつたら、さう云ふことは言やはりまへぬ。
問 さうなつて居るからさうだと言やせぬのだぞ。さうなつて居るから訊くのだ。
答 さう御訊き下さるのが当り前で、私は之を言はむと……之を公判で言ひたうて、言はないで、居ると腹が立つて敵はぬのです。
私はもう罪になつても言ふだけ言はして貰うたら、ほんまのことだけ言はして貰うたらそれで宜いのです。
年寄りだから何時死んでも構はぬ。
●思想 霊界について
問 霊界のこともちよつと訊きたいのだがね。此処で説明するかね。
答 ちよつと霊界のことはむづかしいものです。あなたが霊界の素養がありますひは別ですが……
霊界と云ふことは、丁度謂はば、「ぼた餅が甘いと云ふが、どう云ふ甘さかと言へば、食つて見なければ判らぬ」やうに、言葉で説明が出来ぬ。
問 お前さんの書いた本は大抵読んだぞ。
答 あれは九牛の一毛で、言は意を尽さず……。
問 霊界の神秘な所をコンデンスした所を、ちよつと訊きたいのだがね。
答 世の中には現界、霊界の区別が二つあります。
現界は之を現世と申します。それから霊界は幽世とも言ひます。霊は幽界とも言ひます。霊は霊の世界、又は神界とも言ひます。
併し現界、霊界が……
霊界の中に神様があります。是は高天原と言ひ、仏法で謂ふ浄土やとか極楽とか云ふ所です。
それから、地獄と言ふ所もあります。地獄的の所を今迄幽界と言ふて居ります。幽冥界の幽界……。
問 判つて居る。
答 それで、其処には、矢張り此の現界と同じことで、神様は上は天照皇大神を首め、ずつと百八十一段に精神界の階級が出来て居られる。
百八十一階級の外に又こちらに邪神界がある。幽冥界には邪神界と云ふものがある。是は霊界物語でなくても、総て日本の古事記であらうが、総て昔からの宗教、神道の文献にはあります。
是が本田先生、副島先生から私に授かつた神伝秘書に依りましても、是も百八十一の階級がある。
両方で三百六十二の階級がある。
之に感応するのが神人感応法であります。
霊界を見るのには此の儘は見られない。霊が霊界へ入つても見られない。それには、媒介天と云ふ者が居ります。それを人間の精霊と言ひます。坊主の方では精霊と言つて居ります。精霊と言ひます、
人間と云ふものは精霊の容れ物であつて、人間と言ふものは、所謂人間其のものがあつて、又精霊と云ふものがある。其の精霊を生かして、精霊を通して、霊界を見ると云ふと、神様も見えるし、精霊の耳を通せば自分の耳にも神の声が聞えるし、精霊を通さなかつたら是は見えない。
霊界の是は法則になつて居ります。
それで霊界にある如く、現界にも百八十一の実際階級があるさうです。私は知りまへぬけれども霊界も其の通りやと云ふことになる。
それで、現界では、大本には神と云ふことを──是は本田先生の古事記に依つて分類された神の分け方ですが、之に幽の幽と云ふのがあります、幽の現、現の幽、現の現があります。
幽の幽と云ふことは幽霊の幽で、幽の幽であるから最も無形、無声の神様である。之を天御中主神様と斯う申上げて居るのであります。其の幽から現が出て来る。
其の幽界の天御中主尊がずつと表現されだものが幽の現であつて、是は天照大神様である。是が幽の現である、是は神から御出ましになつたから幽の現であつて、是が初めて宇宙の主宰になる。幽の幽ではないのだから、幽の現であるから──
又現の幽と云ふのは、現界に生れて居つた人が死んでしまふて、霊界に於て神様になつて居る。大国主命やとか、或は西郷隆盛やとか、楠正成が神様に祭られて居る。是等は現界にあつて幽界に行つたから現の幽。
現の現の神様は、上は天皇より下巡査に至る迄、是は百八十一の階級の神様である。それで日本人は之を御上と言ふ。役人さんを御上と言ふ、是は所謂神の分類です。
それで、耶蘇教や何かが出て来まして、偶像なんと斯う言ひますが決して偶像ぢやない。日本では矢張り現界に居られる人の幽であるから、日本の国家では神様として祭つて居る。
併し、銅像やとか何とか云ふものの前に行つては誰も手を合せませぬ、太閤さんに対しても豊国神社の前へ行くと霊が祭つてあるから頭を下げる、行つて拝むやうになります、それで日本人は決して偶像は拝んで居らぬ。偶像と云ふものは銅像とか何とか云ふあんな偶像です。其のことを私は大本で始終説明して居る。是は神様の原理と言ひますか、神様の何と言ふのですか、性質と言ふか、詰り神様と云ふものは斯う云ふ工合に大別があると云ふことを大本では説いて居るのです。
●思想 霊界物語と神諭
問 其の関係が移写関係……主宰神の所で詳しく訊きませう。それはそれだけにして置きませう。
次に移ります。
さうすると、此の霊界物語と云ふものは、是は矢張り神示と云ふことになりますか。
答 神示とは、詰り仏のことを書いて居るのを仏書と云ふ如くに……。
問王仁三郎自身の感想なり思ひ付きなりを、考へて居るのを書いて居るのですか。
答 考へたこともそれは入つて居りまつしやろ。
間接外流と云ふのがありませう、それは何かと云ふと私も何も知らぬぢやない、書物を読んで居るから──又霊界の神懸りになる方法としては第一に神典を詳読し、神徳を清くすべしと書いてある……本田先生のに。直ちに神様に移つて貰ふには神徳を──「此の神様は斯う云ふ御神徳のある神様、此の神様は斯う云ふ歴史に出て居る」と云ふことを先に悟つて置くと云ふやうにしなければ、縁もゆかりもない所には神は移りやしまへぬ。
問 詰りこちらの訊ねる所は、神様が王仁三郎の口を藉りて言ふたのか、王仁三郎の考を自身が言うたのか。
答 何れも一緒くたになつて居ります。之を外流と言ふのです。
問 それはさう云ふ点もあるし、自分の考もあると云ふ訳ですな。
答 さうです、入つて居るに違ひありませぬ。
問 第五回の予審訊問調書の七問答で、「自分の創作だ」と云ふことを言つて居る点は違ふ訳だね。
答 さうです。
是は──調書と云ふものは、私は言ひ過ぎるかも知れないが、予審判事閣下の創作やと思ひます。
問 まあ宜しい。
それから、是迄訊ねた神諭だね。表神諭、裏神諭、霊界物語、此の三つは大本の教典になつて居りますか。
答 はい、教典です。
神諭と霊界物語……。
問 神諭には裏と表があるな。
答 はい。
●思想 大本教義
問 是は大本教に関することは総括的に訊きたいと思ふが、起訴事実に関することを訊くが、此の教典には大本教義に関する記載はありますか。
答 大本教義に関する……。
問 書いてあるのか。
答 それはあると思ひます。
其の時々あつちやこつちやに断片的に書いてあると思ひます。兎に角霊界物語でも大本の為に書いたものですから──。
問 此の教典は、信者なり未信者に対しては、大本教義なるものを知らしむる為に、其の読むことを奨励して居つたのか。
答 それは売らんならんから。買ふて呉れと云ふことは言はぬが……。
問 売る為か。それとも知らしむる為か。
答 知らしめる為でありますけれども、売りもし、知らしめもし、それを両方兼ねてあるのですわ。
問 大本教義に付ては、其の疑点などに付ては、教義の疑点に付ては、大本の幹部、役員の方から説明するとか、或は信者同志が寄り合つて研究することがあつたのか。
答 役員が弥勒殿でやるとか大祥殿で日々を決めて、今日は誰の番、誰の番と云ふやうに色々のことをして居りましたが、其の外は私は役員や信者と教義のことに付てまだちよつとも話したことがありませぬ。役員同志がさう云ふことをして居つたと云ふことも余り知りまへぬ。
それは何故かと言ふと、神様に毎日夜の十一時から四時迄は何時も斯うして(と手を合せながら)拝んで居るのですから、昼は今日の詰り言葉で言ふと廻し者で、私を庇護する為に加藤新子と云ふ者が附いて居りまして、──私の言ふたことを付ける役があつて、私がくしやみしても本に出るのです。
問 幹部から説明したことも聴かぬし、信者同志、幹部連中同志研究したと云ふことも聴かぬのだな。
答 唯弥勒殿や大祥殿で、来た人に役員が代る代る話をして居ることは知つて居ります。
言霊学の話とか、大本の話とか──。
問 さうすると大本教義に付ては疑問があると云ふ場合には、各々研究して、教典を読んで悟れと云ふ意味か。
答 大抵解ることばかりですわ。
其の内容はむつかしいことぢやありまへぬが、それは毎日それを勉強してそれに掛かつて居ればむつかしくないのですが、初めての人が見ると随分むつかしい言葉があります。用語が違ひますから。宗教の用語と云ふものは現在の科学の用語とは違ひますから。総て是から科学以外の世界があると云ふことを知つて居らなけひは宗教のことは判らぬ。
●歴史 大本瑞祥会
問 むつかしいことはないから解る訳だと云ふ訳だね。
大正十一年のに月に大日本修斎会を大本瑞祥会に改称して、之を大本の活動機関となしたのですか。
答 はい、同じものですが名を変へただけです。前の大日本修斎会も活動機関です。
問 是は形式的のものか。
答 何故瑞祥会に変へましたかと言ひますと、大日本修斎会と云ふ間の時にあんな不吉な事件が起りましたから、今度は瑞祥を祝ふと云ふやうに、瑞祥になるやうにと云ふので、意味もなしに瑞祥会としたのです。目出度いことが来るやうに──。
問 さうか、其の後京都府の南桑田郡の亀岡城趾を大本天恩郷と称し、大正十四年六月大本の外廓団体、補助機関として人類愛善会と云ふものを組織しましたね。
●歴史 人類愛善会
答 それをちよつと言はして下さい。
問 外廓団体、是は後から纏めて訊きたいとは思つて居りますが、形式だけ書いてあるから訊いたので、本質論は纏めて訊かう。
併し言ふなら言ふても構ひませぬけれども……。
答 昭和二年に海外の為に主に拵へた愛善会と云ふものは何かと申しますと、日本の国の法律は外国と条約を結んだ時に、其の時に明治維新の時に、日本の太政官がうつかりして居つて、宗教は日本の国に自由自在に拡めても宜いと云ふことを約束した。
けれども、日本は宗教を支那でも何処でも拡めると云ふことの許可を得て置かなんだ。それで宗教団体であれば外国へ行けない。大本教では外国へは拡められない。
それで、人類愛善会と云ふ会にすれば外国人もそれに喜んで入る。
問 それは初耳だね。
答 日本の法律が、外国へ宗教を拡げると云ふ所の権利を取つて置いてくれなんだ為に、仕様がない。
併し天理教なども外国で拡げて居りますけれども、是は日本人に対して──在外日本人に対しての宗教であつて、外国人に教へることは出来ない。
愛善会は外国人が信者になつて居る。其の為に愛善会と云ふものを拵へた。
日本にも亦大本教と云ふ名を嫌ふ人がある。事件があつたものだから。
其の人は大本教へ入つて居ると云ふと、親類からごそごそ言はれる。愛善会に入つて居ると云ふと何でもない。それで、入る人が内外共に其の名に依つてアレして来た。
問 さう云ふ密接な関係があるのか。
答 中には、大本教の看板の塗替と仰しやいますけれども、塗替ではないのです。外国では大本はいけないのです。
●歴史 綾部と亀岡
問 是は何でもないことだが、綾部町の本宮を司祭の中心地、亀岡町の天恩郷を教義宣伝の根拠地としたるは、開窟奉賛祭を施行した、其の当時からですか。
答 それよりも先や位と思ひます。
兎に角綾部は神聖の所や。亀岡で教を開く時は、矢張りヘロヘロの魂の人も或は悪い人も来まつしやろ。
親鸞上人が言つたやうに、宗教は悪人の為に……善人ばかりだつたら宗教は要らぬ訳になる。
亀岡では悪人が来て、善人になつたら、綾部へ参る。綾部へ良い人ばかりを連れて行かう。
斯う云ふ訳で、亀岡を主として教義宣伝の根拠地とし、綾部を祭祀の中心地と決めたのであります。
●思想 立替立直し
問 それから、次は大本に於ては、所謂立替立直、ミロク神政成就と云ふことを強調して居りますか。
答 はい。
問 所謂立替立直、ミロク神政成就と云ふのは大本の根本の目的です
か。
答 さうですとも。
問 此の立替立直、ミロク神政成就と云ふのは何時頃から主張して居りましたか。
答 是は──立替立直と云ふことは出口教祖がに十五年から書いて居る。
立替立直と云ふことは、世の立替立直と云ふことは是はむつかしい。言ふたら革新です。
大本に於てはミロク神政成就、立替立直としたのはに十五年からです、立替立直と云ふことは教祖の言葉です、初まりは──それから始まつて今迄ずつと使うて来て居る訳です。
問 準備手続の時は三十年か三十一年頃からか主張して居つたと言ひましたね。
答 さうですか、好い加減に言うて居つたのでせう。
問 それは困るね。
答 三十一年頃から筆先があつた。併し、本当は二十五年頃から言うて居る。三十一年頃に書いたものがあるから三十一年と言うたのでせう。それでなければ証拠がありませぬから……。
問 本職の前で出鱈目を言つちや困るね。
答 尚ほ……。
問 三十一年はどう云ふ根拠か。
答 それは根拠も余りありませぬ。私が行つたのは三十一年です。
問 それ迄も、直婆さんが立替立直と云ふことは言うて居つたのか。
答 言うて居つたのです。
其の書いたものがなくなつてしまつたのだから、さう言うて置いた。以前のことはさう詳しく判りませぬから。
問 併し、先に訊ねたことだが、それに対する答でも、二十五年当時なり三十年頃迄は是と云ふ目標もないやうぢやないか。
答 それは目標は斯う書いてあります。斯う云ふことがあつたのです。
我々はそれに一生懸命になつて居つた。二十八年の……二十五年頃から教祖が、「戦争がある」と言うて居つた。さうして二十八年に戦争があつた。
当時五十人程信者があつた。其の後に私が行つた時分には、「日本とロシアとの戦争が起る」と云ふことを始終教祖が言つて居つた。筆先に書いて居つた。
所がロシアと戦争が起つたから大変なこつちやと思うて居つた。
其の時に、「出口清吉と云ふ者が日之出之神となつて帰つて来るのだ」と云ふやうなことを言つて居つた。
それが出て来たらホンマやと言つて居つたから、それが来ると思つて居つた、それ迄の目的は──さうしたらねつから帰つて来ない。
教祖に訊いた。「あなたは嘘ばかり言ひますな」と言つたら、「神様に訊いたら生きて帰つて来る」と言ふから、「生れ変つて来るのだらう」と言つて居つた。
後から、今の伊佐男と云ふのが家へ養子に来た。それがなんや、清吉の生れ代りと云ふやうなことを夢に見て、皆それを信じてしまうた。
問 ミロク神政成就と云ふことは、幽世の立替立直と云ふことは、二十五年から断定的に大本教義だと言つて言ひ出したのぢやないね、二十五年からぢやないのだらう。
答 直の教義を取つて其の言葉を取つて言つたのは、もつと越えてから……。
問 それを訊いて居るのだ。
答 それぢや矢張り三十二年頃か四十二年頃、本当にはつきりしたのは四十二年頃です。
問 よしよし。
はつきりは四十二年、はつきりしないのは三十二年か。
答 三十二年頃です。
問 よし、では……。
答 三十二年頃に私は行つた。
四十二年は御嶽教へ行つて居つて帰つて行つた年で、それでさう思うて居ります。
裁判長 ちよつと五分間ばかり休憩を致します。
午後二時二十分休憩